書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

頂いたコメントへのお返事(少々追記)

 こんにちは。良い季節となり、お散歩が楽しいですね。

 さて。前回の記事に、息子の子育てについてご質問を頂きまして、コメント欄でお返事するのに限界があったので、記事にてお返事したいと思います。

 ご質問は、息子が小学校4年生の時、どんな子育てをしていたか?というものでした。発達障害児の子育ては、本当に疲弊しますので、大変だと感じられる事に心から共感します。

 というわけで、僭越ながら、お答えさせて頂きます。ご質問は、分かりやすく箇条書きにして下さっていたので、順番に書かせて頂きます。

 

①作文、感想文はどのように教えていましたか?言葉に遅れがあると、このあたりも難しいと思うのです。

 息子には、毎日、短くてもいいので、日記を書かせていまして、作文等は、その延長線上で、書けていました。書けていた、と言っても、ただ文章のパターンを教えて、それに当て込んで書いていただけです。

 パターンは、前にも少し書いたかもしれませんが、5W1Hです。それに、自分の感想を一言書く、というもの。例えば「先日の日曜日」というのが作文のお題だったら、こんな感じ。

「日曜日は、父と母と、梅田に、ご飯を食べに、行きました。○○電車と、○○電車に、乗りました。○○電車は、○○駅を11時24分に出て、○○駅に11時40分に着きました。○○電車は、○○駅を11時45分に出て、○○駅に12時に着きました。ご飯は美味しかったです」

 みたいな感じ。基本、息子の日記や作文は、乗った電車の記録でした。それを書くのが好きな子だったので。電車のことを、ただただ延々と書いて、行を埋めていた、という感じです。それでもまあ、作文の体裁はとれていたので、私的には由としていました。今はさすがに、もう少しマシな文章を書きますが、パターンに当て込んで書く、という部分は今でもそうです。

 

②体のぎこちなさ、不器用さがあったと思うのですが、自然となくなりましたか?いまは日常生活は困らない感じですか?

 今でも、不器用です。でも、生活する分には、問題ないレベルになりました。靴紐やウエスト調整紐の、蝶々結びが出来るようになったのは、高校の時です。必要な事は、練習しまくり、また、息子がやりやすいようにアレンジしたりして、工夫しました。練習しまくっても出来るようにならない時は、少し期間を置いて(半年ほど)、また再チャレンジ、という感じです。蝶々結びも、普通のやり方とは全く違うやり方です。でも、結べれば良いので、これで問題ありません。歯磨きも、不器用なので上手にできないので、歯医者さんで教えてもらったり、私がフォローしたり、機械を利用したりして、虫歯や歯周病にならないよう工夫しています。今のところ、虫歯はありません。不器用さは、多分、一生残ると思います。必要な事は、工夫と練習で乗り切る、という感じです。

 

③小学校中学年〜高学年になると、委員会やクラブ活動をしたり、班で話し合って決めたり等、子供達が自主的に行動することが多くなってくると思います。会話が難しいと、このあたりはかなりハードルが高くなってくると思うのですが、どうされていましたか?

 息子がうまくコミュニケーションがとれない子だ、という事は、クラスメイトみんなが分かってくれていたので、特に問題なかったと思います。息子が障害児である事は学校側に伝えていたので、先生がうまくクラスに説明してくれていたのだと思います。息子は、みんなの輪の中に大人しく座ってニコニコしていただけだったはずです。何かを話し合う時にも、息子に話が振られる事は無かったようで、活動で困る、という事はありませんでした。


④簡単な問題も理解に時間がかかったということですが、それだと学校の進度にはついていけなかったと思うのですが、基本的な問題のみ教えていた感じですか?また、教えているとあまりの理解力の無さに、イライラしたり、絶望的になったりしませんでしたか?私は未熟者なんで、いつもしてしまいます(T_T)淡々と、コツコツと、諦らめずに教えていくコツとか、息抜きの仕方とか、ありますか?

 これはとてもよく分かります。私もイライラしていました。ただ、それを息子に見せる事はありませんでしたが、見せられないからこそ、余計にしんどかった記憶があります。

 学校の進度は、全く意識していませんでした。別に小学校の成績がオール1でも進学はできますから。大事なのは、基本的な勉強の基礎が分かっていて、将来、発達が追い付いてきた時に、息子が困らないようにする事だと思っていました。

 実際、中学になってぐんぐん理解が進み、高校では勉強で困る事はなく、大学の今は、学年での順位が一桁です(実力テスト等で)。私が全くちんぷんかんぷんの物理の難解な問題も、すらすら~と解いていて驚愕します。

 でも、小4の時の算数は、文章題はまったくのお手上げでした。0点ばかりだった記憶があります。でも、計算の考え方、概念、やり方をちゃんと理解できていたらそれでOKと思っていました。

 例えば、小5ぐらいでこんな感じでした。「38個の椅子を、1列に7つづつ並べると、何列できるか?」という問題の解き方が、「38÷7=5あまり3」である事は、息子にも分かるのです。でも答えは5列ではなく6列ですが、そこは息子には理解できませんでした。何度教えても、当時は5列と答えていました。でも、今は勿論、6列と理解できてます 笑。多分、中学で分かるようになったと思います。発達が追い付いたんでしょうね。

 

イライラしたり、絶望的になったりしませんでしたか?私は未熟者なんで、いつもしてしまいます(T_T)淡々と、コツコツと、諦らめずに教えていくコツとか、息抜きの仕方とか、ありますか?

 この部分については、ただ一言「根性」しかないんですよね (泣)。

 自分のイライラや絶望に負けない、何かしらの確固とした「信念」を自分の中で作り上げるしか、ないと思います。小手先の気分転換とか、息抜きとかでなんとかなるほど、発達障害児の子育ては、生易しくはありません(ご存じの通り)。

 自分という人間の人間性が、180度変わるほどの強い変化を、自分に課すしかなかったです。私は本来、超楽天的な怠惰過ぎるほど怠惰な人間でした。それが私の本性で、持って生まれた性質です。

 でも、息子を育てるにあたり、ありのままの自分では全くもって太刀打ちできなかったので、自分を変えました。変わるしかなかったからです。

 あとは、今の目の前の子供を認めていくしかない、かもしれません。高望みしても無駄だし、現実は変わらないし。今の目の前の子供に、今必要な事をやる。それに対して成果が出る出ないは関係ない。ただ、やるべき事をやるだけ。それで成果が出なかったら、出なかったまでのこと。そこまで割り切らないと、やっていけないと思います。

 

 「成果を期待せず、やるべき事をただやる」という境地を、できるだけ早く身に着ける事が、発達障害児の子育てのコツかもしれません。今の私も、これを基本に毎日暮らしている感じです。

 

 また、こういった現実的な事とは別次元で、哲学的な思考をしておくことが、自分を保つのに役立つように思います。例えば、「生きるとはどういう事か」について、自分なりに哲学的答えを考える。こういう事に正解はないので、自分なりの答えで構わないわけですが、それを考える事で、現実世界での自分のこだわりが、ほどけていく部分があります。哲学的思考癖のおかげで、私はかなり助けられました。

 

 ではでは、長くなりましたが、取り急ぎ、お返事書かせて頂きました。私の個人的経験なので、全ての発達障害児に当てはまるわけではないですが、何かのご参考になれば幸いです。ではでは、どうぞ良い午後をお過ごしください。

 

追記:

 息子に教えている時に、常に意識している事があったのを思い出したので、追記します。

 それは、誰かが誰かに何かを教えて、理解されなかった時に、悪いのは教えた側だという事です。相手が理解できるように教えられなかった側が、悪いのであって、理解できなかった側が悪いわけでは、絶対に無い、という事です。

 例えば、私が息子に、これ以上噛み砕けないほど、細かく優しく最低レベルから丁寧に時間をかけて、紙に書いたりものを使ったりして、穏やかにゆっくり急かさず教えても、それでも息子が理解できなかった時に、悪いのは息子ではなく、息子に理解できるような教え方が出来なかった私である、という事です。

 息子に何かを教えている時、理解が進まず、イライラが募る事が多々ありましたが、それは、私が息子に理解できるように教えられなかったからなのです。

 そんなわけあるか?と思われるかもしれませんが、自分が理解できないレベルの話を一方的にされても、人間は理解できないのです。

 例えば、以下の文章を読んで、内容がさっと分かるでしょうか(適当にネットで拾いました)。

HLA-A, HLA-B, HLA-CはClass Iに属し、細胞内で作られたタンパク質の一部(ペプチド)を抗原提示します。つまり自己に対する免疫寛容に非常に重要な役割を示します。例えば染色体に変異が起こり、誤ったタンパク質が生成された場合には本来生体内に存在しないペプチドが表現され、その細胞は免疫の攻撃対象となります。

 免疫について詳しい方なら、初歩的な内容だし、相当噛み砕いて初心者に優しく分かりやすく書いてあるわけですが、免疫に興味のない人には内容理解は難しいと思います。分かる人が、噛み砕いて丁寧に教えているつもりでも、分からない人には、分からないのです。

 多分、こういう事が、息子にもあって、私がどれだけ分かるように噛み砕いて教えても、息子には分からない。それが息子のせいだとして、怒ってしまうのは、理不尽極まりないわけです。

 私達も、上記の説明分文読んで、速やかに正しく内容を理解できないからといって、誰かに怒られたら、理不尽に感じるはずです。「いや、何言ってるか、分からないよ」と。その時、「普通の大人なら分かるレベルだよ」と言われたら、腹立ちますよね。だって分からないのだから。

 息子に教える時は、息子が理解できないのは、私の教え方が悪いせいだと必ず意識して考えるようにしていました。そうする事で、少なくとも、理不尽に息子を叱らずに済んだし、より分かりやすく教える方法を、いつも模索し続ける事ができたように思います。