書くしかできない

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発達障害児を育てる究極の方法

 少し時間が出来たので、発達障害界隈のブログをいくつか拝読し、改めて、ああ大変だなと思いました。

 発達障害児を育てるのは、本当に大変なんですよね。それは、健常児を育てるのも大変ですが、大変さの質もレベルも違います。

 世の中には、「発達障害など無い」という方もおられるし、「発達障害は生まれつきではなく、親の育て方のせい」という方もおられますので、、。もうその時点で、問題山積みなわけで。

 障害は存在するのに、障害の存在を理解されていない、という現実がまずあり、理解されないという現実は、もうどうしようもないから置いておくしかなく。

 その上で、しんどい現実が山のようにあるわけです。

 他の子との発達差、出来ない事の多さ、教えたら出来るようになるのではなくそもそも一生出来ない事の多さ、健常者には分からない過敏さから来る面倒な数々、将来の見通しの立たなさ、日々の暮らしの難しさ、一瞬も目を離せない心労、理解できない言動の数々、我儘としか思えない言動の数々、周囲からの差別、周囲からの見下し、、、、まだまだ書けますが、止めておきます。

 さて、こういう発達障害児を、どうやったら無事に育て上げられるのか。私自身の子供が中度の発達障害なので、ずっとそれを考え続け、実践し続けてきたのですが、一言で言えば、「母親がロボットになる」しかないと思います。

 母親は、発達障害児を産んだ瞬間から、人間でいる事をやめなくてはならないと思います。母親が、人間でいる限り、発達障害児は無事に育たないと思います。

 母親は、辛いと感じる心も、苦しいと感じる心も、とにかく感情という感情を全て捨てなくてはなりません。少しでも自分を人間だと思ってしまうと、「人間だから、腹がたっても仕方ない」と言い訳して、子供を叱ってしまったりします。でも、発達障害児を叱る行為は、百害あって一利無しです。絶対にやってはいけない。「人間だから、逃げても仕方ない」と言い訳して、子供から目をそらしてしまいます。でも、普通に発達できない発達障害児は、大人の支えなしには生活できません。健常児相手なら、ちょっと目を離した程度でも、発達障害児相手だと、重大な放任放置となり、取返しのつかない事態に発展する事が多々あります。

 だから。

 母親は、一切の感情を捨てて、ロボットになりきるしかないと、私は思っています。私自身が、息子が発達障害だと知った2歳半から、現在の20歳まで、ずっとそうしてきました。息子と対峙している時の私は、人間ではなくロボットです。言うべき事を言い、やるべき事をやり、辛いとか苦しいとか一切感じず、どんな理不尽な状況にも何も異議を唱えず疑問を感じず、ただ全てを淡々と受け入れ、現状から目的までの道筋を、都度都度計算し、それがどれだけ不可能でも計算した通り実行し、実行していく中で、現状が変化するに応じて、再計算し、再実行し、それを繰り返して今があります。

 心が折れる、という言葉は、人間に対して使う言葉で、ロボットであれば心が折れる事もありません。ただ淡々と実行してくのみです。

 

 現在、6人に1人、発達障害が生まれると言われています。なので、万が一自分がその6人のうちの1人になるかもしれない、と思うなら、子供は生まないのが一番だと私は思います。もしくは、子供が発達障害児だった場合はロボットになれる人だけが、子供を産むべきだと私は思います。

 すでに発達障害児を産んでしまった人に対しては、ロボットになり切るのが一番ラクだよと、私は言いたいです。

 そもそも、日本という国において、子育ては罰ゲームです。国の福祉予算の9割は高齢者向けで、子育てに関するものはほんのほんの少しです。

 どうしてこんなに子育てが辛いの?といえば、それは「国からの援助がないからだよ」と。「誰も助けてくれないからだよ」と。「子育ての一番大変なところは、親か保育士に押し付けられるんだよ」と。そうなってくると、健常児でさえ、つらい環境で育つわけです。アダルトチルドレンの出来上がりです。 

 そんな中、健常児ですらない発達障害児を、どうやって無事に育て上げれるでしょう。普通にやってたら、絶対に無理です。母親が倒れるか、子供が倒れるか、共倒れか、です。そうならない為には、国に求めていっても無駄で、子供を倒さない為に母親自身が先に倒れてしまう、つまり人間である事をやめてロボットになるしかない、と私は思います。

 

 ロボットになって20年近くやってきましたが、子育てが無事終わりかけた今、私は再び人間に戻れました。やっぱり、人間でいられるのは嬉しい事です。

 もしかしたら、ウチの子が、発達障害にしては育てやすい子だったのでは?とか、特別出来る子だったからでは?とか思う人がおられるかもしれませんが、それは無いです。小さい頃のこだわりからの癇癪はものすごかったし、発達の遅れ、特に言葉の発達の遅れはひどかったし(まともに話しだしたのは小4)、母親への理不尽な絡みや暴力も凄かったし、息子は、どう考えても、育てにくい方だったと思います。

 私が出来たのだから、他の方もできるはず、とは言いたくないし、出来たらどなたにも、私のような経験はしてほしくないです。だから、私は、誰ももう、子供など産まなければいいのに、と本気で思っています。それが、不幸な母親を作らない、唯一の方法だと思うからです。

 

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 蛇足なんですが、「発達障害は存在しない」とか「発達障害は、親の育て方で生じる病気であり、生まれつきの障害ではない」と仰る方に向けて、書きたいんですけども。

 私は一般的に、「不適切である」と言われる子育ては、一切してこなかったのですが、子供は発達障害です。診断がついたのは2歳半なので、もし発達障害が後天性のものであれば、2歳半までの私の子育て方法の何かが間違っていて、息子が障害児になったという事になるのですが、ちょっとそれは考えられないのです。

 私は専業主婦で、丁寧な子育てをしていました。自分で言うのもなんですが、愛情をたっぷり与え、よく話しかけ、テレビなどほとんど見せず、絵本の読み聞かせやお散歩、公園遊び、他の子との遊び等、毎日息子が笑顔で過ごせるよう努めていました。あの子育てで、息子が障害児になったのなら、世の中のほとんどの子供が、発達障害児になってしまうと思います。

 また、発達障害児は出来る事と出来ない事の差が大きいのが特徴ですが、この「差」は異常です。健常児では考えられない差です。脳の器質異常であるとしか思われず、これも発達障害が先天的障害である事の証明になると思います。

 息子で言えば、言語能力の幼さ、コミュニケーション能力の未発達が顕著です。このへんは、20歳の今でも小学校低学年レベルだと思います。一方で、記憶力だけはとてつもなく発達しており、息子は、物心ついた以降の自分の過去の全てを覚えています。息子に、アトランダムに過去の日付(例:2017年7月18日とか適当に)を言うと、曜日、天気、その日自分は何をしたか、その日家族は何をしたか、を、一瞬で答えます。思い出すとか、考えるとかいう時間を、必要としないのです。日付を聞いたら、瞬時に答える。まるで目の前に、その日付の日記のページがパッと開いたかのように、そしてその日記をすらすら読むかのように、答えるのです。健常者にこういう事は不可能だと思います。訓練してできるようになる事ではないです。やはり、脳が器質的に異常な発達をしているのだと思います。

 私は、世の中の人に対して、あれをして欲しいとか、これをして欲しいとか望む事はないのですが、ただ一つ、発達障害が生まれつきの障害である事だけは、出来たら認めて欲しいなと思います。何故ならば、この世から発達障害を減らすには、ここを認める以外に方法はないからです。

 発達障害は遺伝するので、息子には子供は作って欲しくないです。結婚はしてもいいけれど、子供は作らないほうがいいと、折に触れて息子には伝えており、これを残酷だと感じる方には、発達障害を生み育てる事のほうがはるかに残酷だとお伝えしたいです。