書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

ネガティブ・ケイパビリティ

 今日は立て続けに、もう一つ記事を書きます。

 というのも、いつも共感しつつ拝読しているブログに、今日も面白い記事があったので。忘れないうちに、その事を書きたくて。

 いつもながら、勝手に引用させて頂きます。こちらの記事です。

スピリチュアルペイン | 山犬の杜 (ameblo.jp)

 

 テーマは、ネガティブ・ケイパビリティ。「分からない事は、分からないままにしておく事」

 ブログ記事より、一部抜粋させて頂きますと、こんな感じ。

 

「わからないものをわからないままに」しておくのが苦手な私たちは、ネットで調べたり他人に聞いたり、自分自身を納得させようと躍起になります。けれど、「わからないことをわからないままに」できる度胸は、生きていく上で必要なときがあります。

わからんことはわからんものですよ。

 むしろ私的にはネットにあふれる怪しげな情報を見たり、誰ぞの与太本を読んだりして、「気づき」を得たり「分かった」つもりになってしまえる人が不思議でならないのですよね。 

そういう人に限って借り物の知識をひけらかしたがるし、人に押し付けたがりもするが、こちらが面白半分にツッコミを入れたりすると、激昂するばかりできちんと説明は出来ない。要するにわかってないことにすら気づいていない。ように思えます。 

人の褌で相撲を取るといずれ外れて丸出しの赤っ恥をかくものだと思います。 

わからない、知らない、というのは恥ではないと思いますね。

意外かも知れませんが科学の最先端というのは常にそこにあるんですよ。 

すべてわかってしまった気になれる、心の安らぎを得るための心理的な技術を、たぶん宗教や信仰と呼ぶんじゃないですかね。 

でもその気持ちよくなるお薬は、わからんことはわからーん ヽ(゜∀゜)ノ と開き直ってしまうよりも、より強い副作用を使用者にもたらすような気がします。 

ま、人それぞれでしょうし、私はそう思う。というだけの話です。

 

 100%共感でございます。その通りだなあと思う。でも、私は思うだけで、この方のようにうまく表現できません。ので、申し訳なくも、丸々引用させて頂きました。「人の褌で相撲をとると、いずれ外れて赤っ恥をかく」笑! いやいや、まさに。

 あと、記事の中に引用されていた、ウィキのネガティブ・ケイパビリティの定義も書いておきます。コチラです

ネガティブ・ケイパビリティ英語Negative capability)は詩人ジョン・キーツが不確実なものや未解決のものを受容する能力を記述した言葉。日本語訳は定まっておらず、「消極的能力」「消極的受容力」「否定的能力」など数多くの訳語が存在する[1]。『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』[2]によると、悩める現代人に最も必要と考えるのは「共感する」ことであり、この共感が成熟する過程で伴走し、容易に答えの出ない事態に耐えうる能力がネガティブ・ケイパビリティキーツが発見し、第二次世界大戦に従軍した精神科医ビオンにより再発見されたとのこと。

 

 答えの出ない事態に耐える力。確かに、これがあると、人生がかなりうまく進むと思われます。何でもかんでも、今すぐ理解できるとは限らない。理解できないものもある。無理なものは無理。分からないものは分からないままで、それはそれと割り切って淡々と生きていく事が、大事なんだなあと思います。