書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

中国でコロナ終息の嘘。自粛する理由は?など。

news.livedoor.com

 

 上に貼った記事を読みまして、やはりそうか、、と思いました。ライターは矢野義昭さんという方で、あまり存じあげない方なのですが、丸々出まかせを書いておられるとは思えません。8割9割事実なのでしょうし、ああ中国さん本当に、、、と思わずにはいられません。

 このパンデミックの原因が、中国の隠ぺい体質である事は明白ですが、時すでに遅しとはいえ武漢市への徹底した対応を見て、「さすがの中国も今回はちゃんとし始めた」と安堵した矢先。終息していないのに終息したと公言して、せっかくうまく行き始めた自粛ムードを台無しにしてしまうとは。真に受けた国民が、国内の観光地に一気に飛び出し始めたとか。自分達のトップが真実を語れる人達なのか、国民がいまだに分かっていないというのは、不思議な気がします。

 日本も懸命に自粛しているし、ヨーロッパなど極端なほど自粛に取り組んでいるのに、当の中国がこれでは、他国の努力が水の泡。。。

 そもそもこのコロナ、中国の海鮮市場が発生の元である事はすでに分かっているわけで。その海鮮市場が不衛生だったから、というような理由ではなく、通常食さない生き物を食す事が原因。食文化は文化なのだから、他国が口出しすべき事ではないけれど、やはりどう考えても、「ゲテモノ食い」には危険が伴うと私は思います。

 いきなり卑近な例で申し訳ないですが、私の義父もゲテモノ食いを好む人で(ゲテモノ食いを男らしさの証のように考えていたようで)、そのせいか、わりと若くして胃癌で亡くなりました。そういう環境で育ったので、夫も、夫の男兄弟達も、みなゲテモノ食いを好みます。男兄弟達はそれぞれ胃を患っており、健康なのは夫だけですが、夫の食生活は私がキッチリ管理し、危ないものは食べさせないからだと私は思っています。

 この時期、外食で生ものを食べるのも危ないと思っています。というのも、客数が極端に減っているので、店側としても、鮮度の良い生ものを用意するのが難しいだろうからです。個人的に、ここ数日内で、外食で生ガキにあたったという人を、二人知っています。生ガキを食べた一時間後くらいから、下痢と嘔吐でダウンしたそうです。どちらも名の通った店なのに。

 話がそれてしまいましたが、「自粛」というのは、誰しもが嫌なものです。国レベルでいえば、経済が打撃を受けますし、個人レベルでいえば窮屈で鬱屈です。それでも、終息させるには自粛しかないとみんな割り切って耐えている中で、中国さんの嘘の終息宣言は勘弁してほしいです。

 武漢の医師達は、昨年の11月頃から異変に気付いていたという事は、中国では昨年の秋ぐらいからすでに、コロナに感染した人達が存在していたという事になります。昨年から今年にかけて、インバウンドということで、それはまあ沢山の中国人が日本に来ましたから、日本人の多くも実は、知らないうちに感染しているのではないか、という説もあります。感染しても、風邪かと思ってやり過ごしているうちに治ってしまったという人が、結構いるのではないか。治ってしまえば、検査をしても陰性になりますから、自分が過去に感染したことがあるかどうかは、誰にも分かりません。

 そう思うと本当に、こうやって自粛している事自体、正しいのかどうか、分からなくなります。安倍さんは「花見は自粛で」と言っている一方、我が市長松井さんは「花見は自粛しなくてよし」と言っていますし、どっちなの? 何が正しい事なのか、私達はどうすべきなのか、まったく分からないですね。

 自己啓発界隈の方が、こんな内容の記事を書いておられました。

「自分自身がコロナに感染することよりも、それによって社会的制裁を受けるほうが、よっぽど怖いと思っている人が多い。都道府県の市町村別に人数を発表されるということは、それ以前に近所の人にも知れ渡っているかも知れないという恐怖。「村八分」という言葉を思いだす。この風習が日本人の短所であり長所。人目を気にする性質は他国より重症かも知れない。他者と歩調を合わせておけば間違いないという日本人の特徴を今回の騒動ですごく感じる」

 この方はこう書いておられ、ご自身は自粛など無視で、多人数での集まりを盛んに開催されておられます。うがった見方をすれば、セミナーを開く言い訳に、上のような事を書いているのかもしれませんが。

 しかし今、この日本で、「村八分になりたくないから。人目が気になるから」自粛している人って、そんなに多いでしょうか。むしろ少ないんじゃないかなあ。少なくとも私は、人目がどうこうよりも、自分が感染したり、人にうつしてしまう危険をできるだけ減らしたいから、一日も早く終息して欲しいから、自粛しています。人目とか村八分とか、考えた事もなかったから、この記事を読んだ時は違和感が大きかったです。私のような人のほうが、大多数なのではないかと思います。

 自分の保身の為に、自粛など必要ないと思っているのに自粛したフリをしているのではなく、どこまで必要か分からないけれども、パンデミックを防ぎ一日も早く終息させる為に自粛を選択する。そういう人が多いんじゃないだろうか。

 自粛という自己犠牲をやっている人が、自粛していない人から「村八分になるのが嫌で、自粛しているんでしょう?バカバカしい」と馬鹿にされるという、筋の通らない不思議な事態。

 その国のせいで迷惑をかけられた他の国が、自粛という努力をしているのに、原因を作ったその国自身は「もう終息した」と嘘を宣言するという、これまた不思議な事態。

 なんなんでしょうね。

 結局、このパンデミックは、全ての国、全ての人に平等に起こるように見えて、実は違うんじゃないかな。守られる国や人は守られ、守られない国や人は守られない。守られるか守られないかの違いは、各々が考えるしかないですが。みな、一人ひとり、自分が正しいと考える事を自分の責任のもとにやっていく、それしかないと思います。先にも書いたように、判断基準が不確かで曖昧な中で、正しい判断をするというのは至難の業ですが、それでも、自分で考え正しいと思う事をやっていく、それが守られる国であり人である、と私は思います。

 なんだか話がアチコチしましたが、今日考えた事は、こんな感じです。

 気持ちを明るくしっかりもって、今日一日をできる範囲で楽しく過ごしたいです。