書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

罪悪感のループを断ち切る為に注目すべき事

 少し考えさせられるブログ記事を拝読したので、今日はその事を書きます。ネガティブな内容になるので、元記事はご紹介しません。

 

(拝読した記事より抜粋)

子供の具合が悪いと、イライラするよね。とてもわかる。よくわかる。
 怒りの下には、必ず「罪悪感」がある。
 「こんなママのせいで、あなたにつらい思いさせてごめんなさい。」
 「母親のわたしが、もっとああしていたら、こんな事にはならなかったのに。」
 「子供をもっとこう育てていたら、こんなふうになっていなかったかもしれない。」
 「私があんなことをしたから、しなかったから、この子はこうなってしまったんだ。」
 人は、そんな罪悪感に直面するのはとっても怖いから、
 つい「私は正しい」をやろうとする。・・・・①
 「なんでそんな無茶なことしたの!」
 「暖かくしてないからでしょ!」
 「気をつけなさいよ!」
 「おとなしくしてなさいよ!!」
 「ほらまた!そんなことしてるとまた怪我するよ!」
 これが、イライラとなって現れる。
 「間違ってるのは子供の側だ」をやれば、 私の無罪が証明されるからね。
 
 私が自分の罪悪感を子供になすりつければ、
 今度は子供が「罪悪感」を持つ。
 イライラしているお母さんを見て、
 子供は「私のせいでお母さんを苦しめているんだ」
 「お母さん、こんな子供でごめんなさい」って、 そんな罪悪感を持つ。
 元をたどると、 母親である私のこの罪悪感も、
 わたしの母親の罪悪感をそうして引き継いだものなのかもしれない。
 「罪悪感」は、だれも幸せにはしない。
 「罪悪感」を握りしめていても、何もいいことはない。
 だから、早くその「罪悪感」のループから、抜け出さなくちゃいけない。
 
 もう、許そう。まずは、自分から。・・・・②
 「こんなママでごめんなさい。」
 そんな罪悪感を「こんな私でいいんだ。」
 そうやって私を許すと、
 子供ものびのびと生きられる。
 (抜粋終わり)
 
 パッと見、正しい事を書いているように思えます。でも、よくよく考えてみると、おかしいのです。
 確かに、罪悪感のループから抜け出す事は、正しい事です。
 でも、その抜け出し方に関する、この方の主張は、おかしい。この方は、②の行の部分ですが、「罪悪感から抜け出す為に、自分の罪を自分でゆるしてしまうべき」と主張しています。
 自分は、子供に対して、適切に対応しなかった。自分勝手な親であった。でも、「不適切で自分勝手な親で良い、自分はそれで良い。不適切で自分勝手な親で良い」としてしまえ、という事です。反省なんかすべきじゃない。当然、改善も必要ない。ずっと自分勝手な親で行け、という意味です。
 確かに、それなら自分の罪悪感は消えるでしょうが、子供はそれで、幸せになれるのでしょうか。親が自分勝手なままで、不適切な子育てを続けているなら、子供は永遠に不幸でつらい思いをし続けます。
 親はラクになれるでしょうが、子供はつらいままです。解決になっていません。
 この方は、「親が自分を許すと子供はのびのび生きられる」と主張していますが、これは、一部分しか正しくありません。親が自分を許せば、子供に罪悪感を押し付けるのを止めるので、「親の罪悪感を押し付けられなくなった」というその部分では子供はラクになります。でも、本来の、その親の不適切な子育てが続く限り、子供のつらさも続くのです。この部分は何も変わりません。親が不適切な子育てを改善しない限り、子供はつらいままです。
 
 本来、親の姿勢を変えるべきは、①の部分。「自分が不適切な子育てをしたくせに、それで子供の具合が悪くなったら、『私は正しい』をやろうとする」ここです。
 自分が不適切な子育てをしたのが、子供の具合の悪さの原因であれば、「私は正しい」をやってはいけないのです。私が間違っていた、と反省し、子供に謝罪し、今後はこうする、と改善する。そうすれば、罪悪感を持たずにすみます。反省し、謝罪し、改善するのですから。
 
 罪悪感のループを断ち切る為に、注目すべきなのは、②の部分ではなく、①の部分です。
 人間は、無自覚に生きていると、自分が明らかに間違っていても「私は正しい」をやります。だから、これをやらないように、自覚的に生きればよいのです。自分が明らかに間違っていたら、「私は間違っていた」と反省し、謝罪し、改善する。
 上のブログ記事の方は、自分が明らかに間違っていても、「私は正しい、私は悪くない」を押し通せ、反省するな、謝罪もするな、改善も必要ない、という主張をされています。カウンセラーさんなのですが。
 確かに、こういうカウンセラーさんにかかると、相談した親自身は、とてもラクになるでしょうが、子供は救われません。昨今の、子供の不幸は、こういう考え方が一般的になってきたからだと私には思えてなりません。
 とはいえ、私には何もできません。こうやって、ここに違和感を書くのみです。
  
 私の実感では、世の中の半分ぐらいの親が、このカウンセラーさんの主張を由とするのだろうと思います。私のように違和感を覚える親は、残りの半分でしょう。
 ただし、すべての人が、自分を子供の立場に置いた場合は、全員が、このカウンセラーさんの主張に違和感を覚えるでしょう。冗談じゃない、と感じるでしょう。
 矛盾していますが、それが人間です。人がなかなか幸せになれないのは、この矛盾に原因があると私には思えます。自分勝手な矛盾をなくす(もしくは減らす)事は、人間にとって、至難の業で、だから幸せになる事も、至難の業なのだと思います。もちろん、この「人間」には、私自身も含まれます。