私はどちらかというと、痴漢に遭いやすいタイプで、高校生の頃はよく遭っていました。ものすごく不快で気分が悪かったけれども、一度も母に言った事はありません。
母は、私の口から、良い話を聞くのはOKだけれども、悪い話・困りごと・面倒ごとを聞かされるのを、とても嫌がるからです。これは今でもそうで、だから母には何も相談できないのですが。私から困りごとを聞くと、母は機嫌が悪くなるだけでなく、私が悪いと決めつけて、怒ってくるので、相談できないんですよね。まあ、私が悪い場合もあるでしょうが、いつもいつも、というわけじゃないのにね。
母は、私から面倒ごとを持ちこまれると、「あなたが悪い。あなた自身が変われば、あなたに起こる事も変わる。面倒ごとの全ては、あなたが引き寄せている」という、今でいう「引き寄せの法則(笑)」みたいな事を言ってきました。
子供は親に逆らえませんから、そうやって理不尽に決めつけられても口答えできません。はい、解決。はい、終了。というわけです。親からしたら、一番簡単な解決方法ですね。
高校生の頃の痴漢の話に戻すと、わりと痴漢に遭っていたにも関わらず、私は、若さに価値がある、という事に、全く気づきませんでした。大人の男性が、女子高生に引き寄せられる、という事について、深く考えた事はありませんでした。よく、「女子高生が最強」みたいな事を言う人がいますが、私はそういう風に、その頃の自分を考えた事はありませんでした。
若さの価値、とか、考えた事がなかったし、もっと言うなら、自分に価値があるとも思わなかった。そういう風に考えた事は、一度もありませんでした。今も、純粋な意味では、自分に価値があるとは思いません。
でも、不思議なことに、私は昔から、自己肯定感だけは高いのです。「自分に価値がある」とは思わないけれど、自分で自分を強く肯定している。
多分、私は、自分の過去の経験の全てを肯定していて、だから今後どんな事があっても、自分はやれる、と思っている。過去にあれだけの事を切り抜けてきたんだから、これからもどんな事でも切り抜けられる。そう思っているのだと思います。
ただ、一つ気をつけねばならないのは、自信過剰にならない事。「私の意見が正解。正しい」と思わない事。
これは、私のような傲慢な人間には、とても難しいことなのです。私は、常に、「私は正しい」と思って生きていますので。いや、怖いですね。書いてるだけで怖いです。
自分は間違った。自分は間違っている。自分は間違うだろう。こういう風に、自分の判断について、常に疑う心を持たないと、鼻持ちならない人間に成り下がってしまいますね。分かっていても、本当に私には難しい事です。そもそも、自分と真逆の考えを持つ人を、否定しないで肯定する、という事は、私にはとても難しい事です。
だって、私と真逆な考えを持っているわけですから、、、。私が正しければ、その人が間違っている、という事になってしまいます。
でも、そういう風に考えてはいけない、といつも自分に言い聞かせています。
自分の心というのは、不思議なものですね。
私の場合は、自分に価値があるとは思わないのですが、自己肯定感だけは高い。また、自分と真逆の考えの人を否定してはいけないとよくよく分かっていながら、心の底で否定してしまっている。
それでもまあ、なんとか日々暮らせているわけで。私の人生など、雑なもんだなあと思ったりします。
今日は雨で、花粉症がラクです。有難い。昨日はひどかった。鼻水止まらなかったです。ではまた~。
菅総理の長男さんの事がニュースになっていて、ちらりと写真を見ましたが、なかなかの方ですね。いろんな屈折を感じました。