書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

頑張って1つ動くと、あとは数珠繋ぎに転がっていく(場合がある)。

 今日は、発達障害を持つ、大学生1年の息子の話です。

 なんとか2年に進級が決まったのですが、昨年はオンライン授業だった事もあり、なかなかに苦戦しました。息子は、障害特性を活かして特殊な理系に進んでいるのですが、暗記せねばならないものの量が半端ない。そもそも「見たものをそのまま暗記する」特性があるので、この道を選んだのですが、そんな息子でもストレスを感じる量でした。案の定、留年(もしくは退学休学)の生徒さんも、毎年一定数います。

 こういう状況に危機感を持ちまして、この春休みから、家庭教師をつける事にしました。いるんですね。理系大学生の為の家庭教師。驚くほど高額なのですが。教える内容が高度で特殊なので、そもそもの需要が少ない故に、家庭教師になる方の数も少ない為、値段が上がってしまうのは仕方ないのでしょう。

 授業は、オンラインです。ズームもしくはスカイプ画面と、ラインの音声映像通話でやります。PC画面に進行中のテキストのページを映し(教材代わり)、ライン画像には先生の手元を映し(板書代わり)、ライン通話で先生と会話しながら進めます。この方式、慣れると対面よりラクです。人がすぐ隣りにいると、ストレスを感じるタチの人には、遠隔授業は向いていると思います。移動時間もいりませんし、風邪などひいていても受けられます。

 この春休み二か月の間に、少しでも2年の勉強の先取りができたらと思っています。

 

 それと、今回家庭教師の先生をお願いしてみて、初めて知った事がとても多かったので、その事についても書きたい思います。家庭教師をお願いしてみて得たものは、勉強だけではなかったので。

 まず、大学のシステムについて、漠然と「これは出来ないのだろう」と思っていた事が、意外と出来る事を知りました。例えば、来年度のシラバス(各講義の授業予定)は、2年にならないと見れないと思っていたのですが、1年のうちから全て見れる事を知りました。ちょっと調べてみたら分かる事だったのですが、私も息子も「来年度のシラバスは、来年度にならないと見れない」と思い込んでいたので、調べてみる事すら、していませんでした。

 先生にさらっと「来年度のシラバスを見たら、この教科は〇〇をやる事になっているので、今日は〇〇をしましょう」と言われて、初めて、「え?なぜ分かったの?」と驚き、調べ方を教えてもらったわけです。

 それで、全教科の来年度のシラバスを調べて、必要なテキストはさっさとアマゾンで購入し、家庭教師でやってもらわない科目についても、出来る限り予習しておく事が可能になりました。暗記科目については、これは本当に有効で。。なにせ、大学の授業が始まったら、毎回怒涛の量の暗記を強いられるので。少しでも先に覚えておくに越したことはありません。シラバス見てやる事が分かっていたら、二か月も先から準備しておくことができます。

 他にも、大学のこと、勉強のこと、試験のこと、裏道というか、賢いやり方を色々教えて頂けるので、「え~?そんな方法が!」と驚くばかり。やはり、何事においても、要領って大事ですね。家庭教師の先生は、勉強だけでなく、要領を教えてくれるので、本当に値打ちがあると思いました。

 家庭教師をつけなかったら、息子は3年に進級は難しかったかもしれません。思い切って決断して良かったです。

 

 家庭教師なんかつけなくても、年上の友達がいたり、兄や姉がいたりする人は、こういう要領について、全部分かっているのでしょう。昨年度にしても、高校から大学への間の春休みに、大学のシラバスをさっさと調べて、1年でやる事をチェックして、テキストを買い、ある程度準備しておいた、という生徒さんもきっとおられたでしょう。

 そういう準備をしていたら、昨年度の勉強も、さほどしんどい思いをせずに済んだ事と思います。うちは、そんな事は全く知らず(息子には一人も友達がいませんし、一人っ子なので)、高校から大学への春休み、全く何もせずにぼーっと過ごしてしまい、大学自体もコロナでバタバタして、実際にオンライン授業が始まったのが6月か7月で、そこから怒涛の量の勉強ががーっと押し付けられ、定期試験定期試験で息つく暇なく、残りの時間が過ぎたという感じ。一分一秒惜しむ感じで勉強して、本当に大変だった。

 要領って大事、というか、情報って本当に大事。

 

 息子に家庭教師をつけよう、と決めたのは私なのですが、動いて良かったと思います。調べて調べて、連絡とったり電話したり。いくつかの会社があったのですが、常識のない会社があったり、担当者がいたり、どの会社が大丈夫な会社なのかの判断基準も私にはなく。ああでもない、こうでもないと、最終的に今の先生に決めるまでは、ストレスで頭禿げそうでした。夫に少し相談しようとしたのですが、ものすごく迷惑そうにされたので、一瞬でやめました。そうなんですよね。夫は、最初から結果がハッキリと読めるものについては話しが出来るけれど、どうなるか分からない、何が正解か分からない、というような五里霧中な事については、絶対に相談が出来ないのです。決断して失敗したくないから、そもそも考えたくないのだと思います。

 つまりですね、「家庭教師を付ける事が正解かどうか」がそもそも分からないわけで、そういう「正解が分からない事」について、夫は相談される事を拒否するのです。

  夫に相談するのは一瞬でやめた、と書きましたが、実際は一瞬ではなく、何度か食い下がって相談してみたのですが、さも嫌そうに「そんなにゴチャゴチャ言うなら、もう家庭教師つけるの止めたら?こっちも、ストレスたまるわ」と言われ。要するに、夫を煩わさないのであればやってもいいけれども、煩わすのならやめろ、という事ですね。

 まあ、何事につけ、夫は基本そうなので。自分が出来る範囲の事しかしない人なので。だから、本当にシビアに難しい事ほど、私一人でやらねばならないのです。息子の育児方針なんかもそうでした。夫は一切相談にのってくれませんでした。私一人でずっとやって来ました。今回の家庭教師の件も、その延長だったのだと思います。

 だから、私一人で動いたのですが、動いて良かったなと思うのです。一つ動くと、数珠繋ぎに、次々と良い方向に物事は動いていったので。

 つくづく思うのですが。最初に一歩踏み出すその方向は、自分が嫌で嫌でたまらなくて気が進まない事であっても、やるべきかもしれないと思う、そう思うなら動くべきなのでしょう。

 最初の一歩を、頑張って動いてみると、そこから先は数珠繋ぎに良い方向に転がる場合がある。だから、しんどくても、孤独でも、頑張って1つ動いてみる事は大事だなと思いました。良い先生に辿り着けた事は、運も良かった。有難い事です。

 

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 一方の息子はというと。私が頭禿げそうになりながら、必死で家庭教師の件に取り組んでいた時に、どうでもいい(と私には思える)息子のこだわり事について、しつこく私に絡み続けてきていました。例えば、発達障害で掛かっている精神科のクリニックに、次回自分も一緒に行くかどうかについて(いつもは私が一人で行っています)。どっちでもいいんですよ。息子が行こうが行くまいが。先生も、親だけでいいと言っていえるし、私も、私一人で行っても何ら困らない。息子が来たいならくればいいし、来たくないなら来なければいい。100%息子の自由意思で決められるし、どっちに決めても誰からも怒られないし、何の不都合もおこらない。何をこだわる必要があるのか?と思うのですが、何週間も「〇〇先生のところに、僕も一緒に行くべきか、やめるべきか」について、延々私に聞き続けるのです。「どっちでもいいよ」と何度言っても、息子の耳には入らない。何なんだろう。ほとほと疲れます。

 そして、私が疲れた顔をすると、「お母さん、疲れてる?」と、すかさず聞いてくる。「疲れてるよ」と答えると、罠にはまります。「お母さん。どうして疲れてるの。お母さん、疲れた顔しないで」と、今度は、私が疲れたネタで、延々からんでくるので。私は「全然疲れてないよ」と答えざるを得ません。心底疲れてるのにね。

 あ。愚痴になってしまいました。もうやめよう。

 息子は障害児。だから親は大変。それだけの事です。ではまた~。