書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

史上最強のマウンティング。

 今、史上最強のマウンティングを見てしまった気がして、少々落ち込み、気持ちの整理をする為にここに書きます。だらだら長いです。しかも超個人的見解です。すみません。

 

 AさんとBさんがおられます。お二人ともブログを書いておられる。Aさんは、私の姉がはまっている自己啓発の中心的カウンセラーさんです(なので私は時々読んでいます)。Bさんは、普通の方のようです。

 ある日、Bさんが、Aさんのブログに、Aさんの欠点を指摘するコメントを入れられたそうです。Aさんはすぐに削除されたので、私はそのコメントは読んでいません。

 Aさんは、黙って静かに削除したら良かったのに、Bさんにメッセージ(ブログ間メールのようなもの)を送ったそう。いわく「あなたから失礼なコメントをもらって嫌な気持ちになりました。ちゃんと読んでませんけど、波動が低い文章なのは分かった云々。なので削除しました。お知らせするのは礼儀だと思うのでお知らせします」と、あてつけ的な内容。

 それにBさんがカチンときて、ご自身のブログに「良かれと思って指摘してあげたのに。Aさんというのは、考えの浅い、偉ぶった人だ」と書いたのだそうです。Bさんが誰なのか分からないので、その文章も私は読んでいません。

 これにまたまたAさんが怒って、ご自身のブログに「私は今、大笑いしています。ある方が私の事を、悪く書いているようで、笑ってしまったのです。その方のブログをちらっと読みましたが、ひどい毒親に育てられたようです。そのせいで心が歪んでしまったのでしょう。かわいそうに。毒親に育てられたからって、その事を、いつまでもひきずらなくてもいいんですよ。忘れたほうがいいですよ」とかなり上から書いておられました。ある種の民間カウンセラーさんの書き方ですね。

 私はこのAさんの記事を読んで、ぶるぶる震えてしまったのです。

 Aさんが、自分の欠点をBさんに指摘されて、気分を害したのは理解できます。誰しも自分の欠点を指摘されたら、ムッとするものです。きちんと受け止めて内容を咀嚼し、その指摘が正しいか間違いかを考える人は少ないです。欠点を指摘されると、余計なお世話!と怒るのが普通。また、Bさんにブログで名指しで悪口を書かれた事に対して、Aさんが怒ったのも当然です。

 そこはだから、いいのですが。

 私が怖かったのは、Aさんが、Bさんのことを「毒親に育てられたから、心が歪んでいる」と決めつけたことです。

 いや。それとこれとは、別じゃない?

 Bさんに嫌な事を書かれて不快なのは分かるから、ただシンプルに「そういう事は不快だから止めて下さい」と書けば良いのでは?と思います。わざわざ相手の人格を攻撃してマウンティングしなくても。

 

 確かにBさんは、ご自身のブログに毒親について書かれているのでしょうが、だからといって、Bさんの心が歪んでいると決めつけるのは無理がある。

 Bさんは、Aさんの欠点を正しく指摘したのかもしれませんし。コメントはすぐに削除されているので、Bさんの指摘が的を得たものなのかどうかは誰にも分かりませんが、万一的を得たものであったとしたら、それを素直に受け取れないAさんのほうに、何らかの問題が潜んでいる可能性もあります。

 なのに。

 Aさんは、頭からBさんが間違っていると決めつけていて、その根拠として、「Bさんは毒親に育てられたから」としている。「私は優しい両親に育てられたから、心がまっすぐだが、Bさんは毒親に育てられたから心が歪んでいるのだ。だから間違っているのはBさんです」という論法は、めちゃくちゃだなと思いました。

 毒親に育てられて苦労しても、その苦労分頑張って心を磨き上げた人もいるだろうし。逆に、優しい親に育てられたせいで甘え根性が見についてロクデナシになった人もいるだろうし。

 そもそも。

 どんな親に育てられるかなんて、運ですから。本人のせいじゃないですからね。その人のせいじゃないことで、その人を貶めるのは、卑怯です。

 逆に言えば。運よく優しい親に育てられたからといって、自分の努力でもない事で、優越感を感じるというのも、間違っている。

 私の母も、毒親ではないですが、自分勝手なところのある人だという事は、このブログに書いてきた通りです。それをもってして、私の心が歪んでいると決めつけられたら、たまらないなあと思います。心なんて見えないものですから、「あなたの心は歪んでいる」と決めつけられたら、そうなのかなと思うしね。違う、と証明できないし。

 

 これとよく似たマウンティングで、「家柄が悪い」というのがあり、これは昔から使われています。「あの人は家柄が悪いから礼儀をしらない。道理を知らない」というような使い方で。「私は家柄がいいから、道理をわきまえている」というのが暗にほのめかされているわけです。これも、その人のせいではないこと、その人にはどうしようもない事で、相手を貶めるやり口で、大変に卑怯です。

 また。アメリカに住んでいた時に感じた最大のマウンティングは、肌の色、で、これもよく似た構造です。「有色人種だから一段下」というのが人種差別の考え方で、面と向かっては言いませんが、こういう考え方をしている白人は少なくないです。これも、その人のせいではない事で、相手を貶めるやり口です。

 マウンティングの材料としては、他にも、学歴や容姿、結婚の有無や子供ある無し、経済力や地位権力など、様々ありますが、それらはほぼ運のせい、という事もあるでしょうが、それでも0.001%ぐらいは本人の責任の部分があるものです。

 でも、どの家に生まれるのか、どの親に育てられるのか、どの人種で生まれるのか、については、本人に責任は全くありません。100%ありません。だから、この部分で人をマウントするのは、実に汚いやり口だと私は思います。

 

 中でも、この「毒親マウント」については、一番卑怯だと感じます。

 親が「毒親かどうか」というのは、家柄や肌の色という、ハッキリと分かるものではないからです。どうとでもとれる余地がある。自分の親は善良であり、相手の親は毒親である、という決めつけは、自由自在にできるのです。自分の親については嘘をつき(事実を言わず)、正直に言っている相手を貶める事すら可能だという面から考えると、「毒親マウント」は史上最強のマウンティングだと思います。

 全く落ち度のない親なんかいませんから、相手をマウントしたければ、「あなたは毒親育ちだから心が歪んでる」と決めつければいい。その親が毒親かどうかは、誰にも判定できません。言ったもん勝ち。

 しかも、このマウンティング手法を使う時、「だからといって、いつまでも毒親をひきずらなくていいのよ、毒親のことは忘れて自分の人生を生きればいいのよ」と上から目線のアドバイスを付け加えることで、それがマウンティングである事をカムフラージュする事が可能です。

 相手を、相手の咎ではない事で貶めておいて、更に親切めいた助言を付け加える事で、何重にもマウントをする事ができる。それが「毒親マウント」です。

 

 私が「怖いな」と思ったのは、このAさんが自己啓発カウンセラーさんだという事です。こういう事を、この方は、自分がマウントを取る為に、平気てやっておられる。よって、この方のせいで、逆に心が病んでしまう人も出てくるし、この方のこの論法を真似て、他者をマウントしだす人も出てくるでしょう。

 「私は優しい両親に育てられたから心がまっすぐだけれど、あなたは毒親に育てられたから心が歪んでいるんだ、だから私の言う事は正しく、あなたの言う事は全部間違いだ」という最強のマウンティング手法。

 そう言えば、姉も、「私の両親は人間的に本当に立派で私を愛してくれて云々」と、親自慢をブログに書いていましたっけ。姉は、親を怨み、喧嘩して家出までした人なのですが。。

f:id:oinor-i:20190617151859j:plain

 他者に対して優越したい、マウントをとりたいという欲望は、私の中にもあります。でも、できるだけ増やさないように、減らしていけるように、心がけたいと思います。

 そういう意味でいえば、人から筋の通らないマウンティングをされたとしても、平然としていられる事、気にしないでいられる事が必要なのだと思います。精進しようと改めて思いました。

 先に「私の母も、毒親だと決めつけられ、そのせいで私の心が歪んでいると決めつけられたら、たまらないなあと思う」と書きましたが、だから、こういう時も平静でいるよう心がけねばいけないのですね。きっと。「あなたの心は歪んでいる」「あなたは間違っている」「なぜなら親が毒親だから」と決めつけられても、ああそうですか、とさら~っと流せなくてはいけないのだなあ。この人はそう言いたいのだろうから、言わせてあげればいいのだ、と、不快になる事なく自然に思えたら、素晴らしいなあと思います。そういう人間になりたいです。

     最強のマウンティングに対しても、最強のスルーができる人間に、なれるといいなあと思います。そうしたら、何も怖いものはなくなるだろうなあ。