書くしかできない

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鏡の法則の次の法則

 少し前に流行った自己啓発で、類友の法則や鏡の法則というのがありました。 

 鏡の法則とは、『誰かを「苦手だな」と感じるという事は、その人のその苦手な部分を、実は自分が持っている、という事』だそうです。自己啓発界隈で、散々これが喧伝されたので、ちょっと心理をかじった人は、たいてい鏡の法則は知っていると思うし、だから多くの人が、「誰かを苦手だと思う」事を、避けるようになりました。 

 何故なら、誰かに対してマイナス感情が湧いたなら、そのマイナス面は自分の中に問題点としてあるという事になるからです。また、自分自身が「苦手だな」と思う人と関わりを持ってしまうという事は、自分がその苦手な人と同類であるという事になるからです。 

 少しでも心理をかじった人は、苦手な人とは極力関わらないように、苦手な人を自分の人間関係から排除するようになったと思います。 

 

  そうなったので、自己啓発カウンセラーさんにとって、クライアントの問題を解決するのに、鏡の法則を使う事が難しくなってきました。誰も「○○さんのココが苦手で困っています」とは、言わなくなったから。クライアントが何故そういう発言を慎むようになったかと言えば、鏡の法則を持ち出されて「〇〇さんに問題があるように見えるのは、あなた自身に問題があるからです」と決めつけられるのが分かっているからです。

 それで、最近の自己啓発は、新法則を言い出しました。いわく「苦手な人を除外し続けていたら、いずれ周囲には誰も残らなくなるよ」というもの。

 嫌いな人を除外して「好きな人達」だけを残したつもりが、その「すきな人達」の中から、また「嫌いな人」を見つけ出して除外していき、最後に残った「大好きな人」の中にも、無理やり嫌いな部分を探すようになるよ、と。

 

 結局、どうしろ、と言うんでしょうね。

 苦手な人がいれば、「その人のその苦手と感じる部分が、あなた自身の問題。相手の中にあなたの問題が鏡のように映っているだけ」的な事を言われるし。

 じゃあってんで、苦手な人について一切言及しないよう気を付けたら、「苦手な人を除外しては駄目。最後には誰も残らなくなるよ」と言われる。

 

 結局、雑なんですよね。鏡の法則にしても。最近のこの新法則にしても。

 どんな場合にも鏡の法則が成り立つわけじゃないし、同じく、どんな場合にもこの新法則が成り立つわけじゃない。にもかかわらず、「これが心理の法則」とばかりに、100%成り立つと決めつけるからおかしな事になる。

 

 どう考えても、客観的に見て、「間違っている人」というのはいます。そういう人を「苦手だな」と感じる事については、感じる側に問題はありません。感じる側の内面の問題の投影ではありません。例えば、私は時間にルーズな人が苦手なのですが、毎回何時間も遅刻してくる人と同じメンタリティーを私も持っていると決めつけられても無理があります。それは無いから。無いものはない。

 でも、確かに、鏡の法則が成り立つ場合もある。あくまでも「場合もある」であって、常に成り立つわけではないのに、「常に成り立つ」と雑に片付けられるから、「じゃあもう、苦手な人はみんな排除しよ」という事になるわけです。

 苦手だと感じる中には、いろいろな理由があるはずで、先にも書いたように、客観的に明らかに相手が「間違っている人」である場合もあれば、自分に苦言を呈してくれる人である場合もあります。「苦言を呈してくるから苦手」である人を、「苦手だから排除」するのは、自分にとって良い事ではありません。自分の周囲にイエスマンだけを配置することになり、あとは落ちていくだけ、という事になる。

 

 また、新法則についても同じで、雑過ぎるのですよね。確かに、苦手だと思う人を排除していったら、最後は好きだと思っていた人達の中からも苦手な人をあえて見つけて排除するようになり、最後の最後には好きな人自身からも苦手部分をあえて探して排除するようになり、結果孤独になる、という事は、ありえると思います。

 ありえるとは思うけれども、ここまで極端になる人は、そうはいないと思います。

 私も、苦手な人とは関わらないように気を付けるタイプですが、別に孤独にはなっていませんから。何故苦手なのかを考えて、明らかに客観的に見てその人が「間違っている人。危ない人」な時のみ、避けるように気を付けているだけで、誰かれなく、避けているわけではないからです。

 普通はそうですよ。これも先にも書きましたが、「自分に苦言を呈してくれる」タイプの人は、苦手は苦手だけども避けたりしませんし。たいていみんな、そういうバランスはとれていると思います。

 にも関わらず、「苦手な人を避けてはいけない」という自己啓発の新法則を真に受けると、明らかに「おかしな人、危ない人」を避ける事もできなくなる。この新法則を言いたいなら、もっと丁寧に、どういう人なら避けていいか、どういう人は避けてはいけないか、まで説明しないといけないと思います。でも、そういう風に丁寧に説明している自己啓発の人を、見た事がありません。

  

 そもそもですよ。苦手な人を避けてはいけない、かつ、周囲に苦手な人がいたとしても、苦手と感じてはいけない(苦手と感じるなら、それはアナタに問題がある)となると。「何も感じるな」という事と同じだと思うんですよね。もうこうなったら、心を持つことを止めるしかないです。

  

 自己啓発を真面目に受け止めると、心を持つ事を止めるしかなくなるなあと思います。心を持っている事、感情を持っている事が、批判の材料にされてしまうから。 

 でも実際はそんな事はないわけです。感情は豊かなほうがいいのです。感情をなくしたら、誰かから責め立てられる危険はなくなるけれども、生きていく気力もなくなります。

 悩んでいる人は、自己啓発なんか読んじゃいけないな、と心底思います。雑過ぎて危険です。

 

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