書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

叩いて育てた子供が思春期になったら。

 考えさせられるブログ記事があったので、今日はその事について書きます。

 その記事はコチラ↓。プロのカウンセラーさんのブログなので、勝手ながら引用させて頂きます。

もう、嫌。と思っていた。 | もう2度と『わたし』を一人にしない生き方を♡心屋塾認定講師・カウンセラー星野えみ(えいみー)

 

 私が何故この方のブログをたまにチェックするかというと。姉がはまっている自己啓発の一つだからなのです。

 姉は、様々な自己啓発やスピ団体にはまっていますが、ここもその一つで、このブログの方は中心的カウンセラーさんのお一人です。姉の行動は突拍子もない自暴自棄とも思える事が多いのですが、「どうしてそういう事をするの?」という疑問の答えが、こういう方々のブログ内にあるのです。なので私は、この方に限らず、中心的な方々のブログは、時々チェックしています。姉は、こういう方々の言う事書く事に、すぐに影響されてしまうからです。

 

 上の記事には、ざっとこういう事が書いてありました。

 この方には二人お嬢さんがおられるシングルマザーさんです。実家に住んでおられます。上の中学生のお嬢さんがずっと不登校で、とても自堕落な生活を送っています(下の小学生のお嬢さんは優秀で性格的にも円満なようです)。最近では、彼女への反抗的な態度があまりにもひどくなったので、我慢できなくなり、上のお嬢さんだけ、別れた元夫に預ける事にした、との事。

 よくある話、といえば、よくある話です。親とうまくいかない子供を、実家の親に預けるとか、義実家にとか、元配偶者にとか。だから、これだけを見れば、私もさほど考えさせられる事はなかったのですが。

 ただ私が強く疑問に思ったのは、この方が「何故、長女さんが不登校なのか。何故、母親である彼女にだけ、ひどく反抗的なのか」その理由を全く考えようとされない事なのです。つまり、長女さんの気持ちになって思いを汲んであげる事を一切されない。そして、ただただ「私はつらい。私は一生懸命だった。私は愛情深い親だ。罪悪感を感じてしまう私がかわいそうで泣ける」と、ひたすら自己憐憫に浸っておられる。

 全部ではないですが、ちょこちょこ彼女のブログを拝読している一読者の私でさえ、長女さんが彼女に反抗する理由が推測できます。彼女は、長女さんを、叩いて育てたからです。そして叩く育児を肯定し、今も尚「手も口も出している」と。つまり、叩いたり、暴言を吐く事で、長女さんを自分に従わせようと今だにやっている、と。

 半年程前、長女さんがリストカットしていた記事も読みました。その時も彼女は長女さんの気持ちを汲む事もなく、ただ「娘にリストカットされてかわいそうな私」と自己憐憫で泣いておられました。もし私が彼女なら、まず「叩いて育ててごめんなさい」と謝り「もう二度とあなたを叩かない」と約束します。でも彼女はそういう事は何もされませんでした。

 謝るという事は、もう二度と同じミスは繰り返さないと約束する事がセットです。でも、彼女は、これからも、長女さんを叩いたり暴言を吐いたりする事を、やめるつもりはない。だから謝るつもりもないのでしょう。

 長女さんは、子供ながら精一杯のSOSを出しておられるのに。不登校リストカット、徹底的に自堕落な生活、母親への激しい反抗。それでも、母親である彼女は、長女さんを叩くのをやめません。

 彼女の言い分によると、彼女は叩く事や暴言こそやめていないが、子育てにおいてそれ以外に様々な努力をしていると、上の記事に書いておられます。

 

放っておいても大丈夫。

 

口を出しても大丈夫。

 

 

どちらも、した。

 

 

イライラする、自分の心の中を探ることもした。

 

 

期待しない

ジャッジしない

べきねばを捨てる

境界線を引く

 

いろいろした。

 

いろいろした。

 

 

ずっと、

いろいろ、してきた。

 

 

 

問題視しない

いい母ぶらない

わたしが人生を楽しむ

 

いろいろした。

 

 

 「いろいろした」とあるけれど、その中に「長女に謝った。もう二度と叩かないと約束した」という記述はありません。それこそが、彼女がすべき事なのに、うまくそれだけはやっていない。だから長女さんは救われないのです。何故彼女は、長女さんに謝らないのか、何故「もう二度と叩かない」と約束できないのか。それ以外の「いろいろした」事なんか、別にする必要のない事です。そんな余計な事を山のようにやっている暇があったら、ただシンプルに、長女さんに謝る。そして二度と叩かない。それだけの事を、何故しないのか。

 上の記事の最後に出てくるように、そういう事(子供を叩いたり、子供に暴言を吐いたりする事)を、この自己啓発のトップの方が「手を出す、口を出す、それも愛情」と言って肯定されているから、だろうなあと思います。この自己啓発に染まっている限り、子供への暴力も暴言も全部愛情故だからOK、としてもらえるから。だから彼女はこの自己啓発にはまり、私の姉もはまったのでしょう。

 一番やりたくない事をやらなくていい、その免罪符をもらえるから。

 でも、免罪符をもらっても、実人生が改善するわけではありません。だから、長女さんにとうとう我慢ができなくなり、家から追い出すような事になってしまったのです。

 

 彼女が叩いて長女さんを育て、またそれを肯定している記事は沢山ありますが、たとえばコチラなどです↓。

それでも、「あなたは間違いじゃない」 | もう2度と『わたし』を一人にしない生き方を♡心屋塾認定講師・カウンセラー星野えみ(えいみー)

 

 子供を叩く事を肯定している、というと語弊がありますが、「悪いとは分かっていても、叩かずにはいられないのだから仕方がない。それでも私は子供を愛しているのだから良いのだ」という開き直りです。

 この記事を読んだ時(数年前です)、私は彼女が「私は子供を叩いて育てたけれど、それでも子供達は良い子に育っているから大丈夫。今、子供を叩いて育てているお母さん、大丈夫だから安心して」というメッセージを繰り返し出している事に、強い危機感を感じました。「今」は大丈夫に見えるかもしれないけれど、「先」は分からないのに、と。自分がするのはよいとしても、何故、他人にまで勧めるのか。無責任過ぎないか。

 案の定、私の姉のように単純な人間は、彼女のような方々の発信する自己啓発に影響を受け、娘に手を上げる事こそしなかったものに、自分の機嫌で暴言を吐いたり育児放棄したりしてきました。姉の娘は不登校になり今は鬱を患っています。

 そして。

 今日読んだ記事によれば、彼女の長女さんもやっぱり不登校で、彼女にひどく反抗的で、生活は自堕落の極みで、彼女はもうどうしようもなくなって、長女さんを元夫に預ける事にした、と書いてあります。

 でも、彼女の記事には、「何故、長女さんがそうなってしまったか」については一切記述がない。

 いや。長女さんを、叩いて育てたからでしょう。原因は叩いた事だけではないでしょうが、それも一因でしょう。だから、今、長女さんから反抗されてしまっているのだとしか思えません。

 姉の娘も、私に電話してきては「お母さんを一生恨む。一生恨み続ける。絶対に許さない」と言います。自分の人生をかけて、母親に仕返ししています。それがどんなに愚かな事かを、できるだけ分かりやすく説明してあげるのですが、傷つき苦しんだ記憶が、私の言葉をはねのけます。姉の娘の心はカチカチにかたまってしまっていて、私の声が届きません。

 

 話がそれてすみません。カウンセラーの彼女に戻します。何故、彼女は、自分の子育てを、真正面から反省しないのだろう? 何故彼女は、ことここに及んでも、被害者の立場を貫くのでしょう。どうして、「かわいそうな私」と言えてしまうのでしょう。

 どうしてそうなるのか。

 そもそも、顔出ししているブログで(長女さんも目のあたりに少しだけモザイクが入った状態で顔出しされています)、長女さんの不登校や自堕落な生活ぶりを全世界に発表しておられる事。長女さんも読んでいる可能性の高いブログで、長女さんの事を嫌いだと明言しておられる事。それでも、長女さんを愛していると言い切る彼女に、どうしても矛盾を感じてしまいます。本当に愛しているのなら、長女さんを守りたいと思う筈ではないでしょうか。中一の娘を家から追い出すという世間に批判されそうな事態について、「私は悪くない。私は一生懸命子育てした。私は被害者だ」と、どうしても言いたかった。その行為が、長女さんを傷つける事だと分かっていても、自分の気が済む方を選択した。長女さんを傷つけてでも自分がスッキリする方を選んだ。暴力暴言をやめられないのと、同じ心の構造を感じます。

 こんな批判記事を書いていますが、私は彼女を、根は良い人だと感じるのです。姉のことを、根は良い人だと思っているのと同じで。

 根は良い人が、どうして子供に暴言暴力をふるうのをやめないのか。そこに対する一つの答えが自己啓発による免罪符を得るから、だろうけれども。それだけでは説明のつかない、「子供を傷つけてでも自分の我を通したい」という身勝手さが一人の人間の中で善良さと同居できる事実に、いつも私は戸惑うのです。

 

 この後、長女さんの心がどうなっていくのか、私には分かりません。ただ、長女さんはまた一つ、学んでしまったと思います。「人生に嫌な事があったら、どうしてそうなったのか反省し改善するのではなく、ただ目の前から排除すればそれでOK」という生き方を。

 子供は、親の言葉で学ぶのではありません。親の生き方から学びます。

 

 長女さんの事とは関係ないのですが、彼女の記事内の、この部分にも私は違和感を感じました。長女さんを預かる事を快く承諾してくれた元夫さんについて、

この人はいい男なのだなぁと思った。改めて、わたしは男を見る目があるなぁと思った。

 と書いておられますが。。

 離婚した相手に対して、こういう事を仰って自画自賛される事について、私は疑問に思うのです。たまにこういう方おられますが。「いい男なら、離婚しなきゃいいのでは」と思うし、「結局離婚したのだから、あなたにとって、いい男じゃなかったわけですよね」とも思うし、「だから、あなた、男を見る目は無かった、という事じゃないですか。ちゃんと一生添い遂げられる相手と結婚できなかったんだから」と思うのです。意地悪な見方ですみません。でも、「見る目がある」と自画自賛するほど「いい男」なら、子供達から父親を奪う離婚など、しなきゃいいわけです。離婚しておいて、「いい男だった」と後から言うのは、理屈にあわない、と思います。

 この事ひとつとっても、この方が、自分のした行動と、起こった事実との因果関係を正しく把握できない人である事が推測されます。事実を正確に捉える事ができず、自分に都合よく捻じ曲げてしまう癖がある、つまり今流行りの言葉で言うなら「認知が歪んでいる」のではないか?と思われるのです。だから人生がうまくいかない、だから行き詰って自己啓発にのめりこむ。自己啓発で更に歪んだ物の見方を見に付けてしまい、歪みがエスカレートしていく。だけでなく、自分自身もそれを外部に発信していく。一方で、自分自身の実人生の困り事は依然解決せず、どんどん悪化していく。

 

 彼女の長女さんがどういう風に成長していかれるのか、私には何の関係もないので、口出しする権利もありませんが、出来る事なら、無責任な発言は控えて頂ければと思わずにはいられません。影響されてしまう人がいるのだから。影響されてしまうのもその人間の自己責任ではありますが、全部が全部、慎重に自立的に生きていける人間ばかりではありません。ラクに流されてしまう人も多いのです。結局、子供や弱い人間が被害者になります。

 

 自分の思い通りにならない子供を、叩く事で、思い通りにさせようとすると、子供は内面から壊れていきます。本当の不幸は、そうやって、子供の内面を親自身が壊しておいて、思春期になって力でコントロールできなくなると「反抗的で理解できない」と、親がその子を拒絶することです。そんな子にしてしまったのは、一体誰なんだ。

 もともと、育てにくい子供はいます。極端に育てにくい子もいます。それでも、子供は叩いて育てないで欲しいです。それがどんなにしんどくても。分かっていても出来ない、叩いてしまう、という方に、上のカウンセラーさんの長女さんや、私の姉の娘の現在の姿が、少しでも抑止力になればと思い、書きました。

 どうしても子供を叩いてしまうのが止められないなら、周囲に相談して欲しいです。適当な人がいないなら、病院でも児相でもいいです。とにかく誰かに相談して欲しいです。一時的に子供をどこかに預ける事になっても、取り返しがつかないほど傷つけて壊してしまうより遥かにマシです。 

 子育てのすべての時期が苦しいわけではありませんが、子供によっては、一時期本当に親の忍耐を超える苦しさを要求されます。そこでなんとか踏ん張って欲しい。自分自身の為に。そう願います。