書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

自分の欠点から目をそらす為にダシに使うもの

 今日は風が強いですね。大阪の最高気温は23度とか。例年、春秋は、毎日ちょこちょこお出かけしていました。いや、たいした用事じゃないんです。お気に入りの水沿いのカフェとか、見たかった美術館とか、神社仏閣とか花を見にとか、とにかく外へ外へと出かけていたのですが、今年はかなりの出不精。息子の受験のこともあるのですが、それ以上に、気候が不安定で、出かけたい気持ちにならないのだと思います。

 例年だと、秋の風は爽やかで心地よく、わざわざ風に吹かれる為に外出したりもしたのですが、今朝は窓を開けて、風がさーっと吹きこんで来た時に、なんとも言えない不快感を感じて、早々に閉めました。寒い、とも違う、ざらついた空気感というか。埃っぽいというか、肌触りが悪いというか。朝一なのに、窓開けたくないなあというか。そんななので、今年の秋は、外出熱もあまり出ません。曇りや雨の日が多いせいかなあ。

 と言いつつまあ、ちょこちょこ出かけてはいるのですが。例年ほど気持ち良いお出かけにはならないです。今年は。

 そうそう、懸念していたインフルエンザの予防接種、見切り発車で受けてきました。懸念していた理由は、まだ喉の腫れと痛みが、少し残っていたからです。もう、痛みだしてから一カ月ほどたちますし、いつ治るかもわからないし、病院には2回行って、抗生物質と痛み止め炎症止めと頂いてのんで、それでもまだ完治しないので、あとは養生して時間薬という段階で。ただ、完治するまで待っていたら、インフルの予防接種の在庫がなくなるのが不安なのと、あと、早く受けないと受験シーズンが来てしまうので、見切り発車で行ってきました。

 ら。予防接種受けたその日から、喉の痛みと腫れが消えました。

 どういう体の仕組みなのでしょうか。。。

 喉の不具合は、もしかしたら、花粉症等のアレルギーもあったのかもしれません。全身の免疫が、体の中に入ってきたインフルウィルスに対抗する事に集中した為、免疫の過剰反応であるアレルギー症状がおさまったのかも、、と、勝手に思いました。

 正解は分かりませんが、喉も完治、懸念の予防接種も完了、で、双方まるくおさまりました。良かった。たまには慎重さをかなぐり捨てて、見切り発車してみるのも良いですね。

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 さて今日は、子育てについて、つらつら考えます。

 先日、ある方のブログに、こんな内容のことが書いてありました。色々考えてみたいなあと思い、勝手ならが、一部抜粋させて頂きます(太文字はその方自身がされたものです)。

 

****(抜粋開始)***

 私が思うに、子育てに悩んでいるお母さんは、子供との関係に過剰に依存していてその関係性に執着している場合が多い。

 子供に起きたネガティブな出来事を、母親が、まるで自分の痛みのように感じてしまう。子供のことを一番に愛し、子供のことを一番に考えたい、という気持ちは、母親として素晴らしいもののように見えるけれど、それが長期間に渡りあまりにも過剰に行きすぎると、問題が生じる。

  何が問題かというと、母親である自分が、自分の感覚ではなくなっていることが問題である。 

 気温が寒い時に、自分がまず先に寒さを感じて寒さをしのぐことよりも、「この子は寒くないかしら?」と子供のことを先に心配する。子供のことを心配している間、母親の「わたし」はここには居ない。自分は、どこにも居ない。

  頭の中で、子供の感覚に浸ってしまっているから、自分では無い、別の他人(子供)の感覚になってしまっているのだ。

  だから母親が「わたし」のストレスに気づかない。本来、自分自身が感じるべきストレスを子供になすりつけているし、本来、子供自身が感じるべきストレスを、母親の「わたし」が奪い取ってしまっている。要するに、感覚が解離してしまっている。自分が自分であるという感覚がどんどんと失われてゆく。多くの場合、「自分が大元の恐怖を感じたくないから」無意識にやっている場合がある。 

  「この子は辛い思いをしていないかしら?」と子供の気持ちを先に心配することで、子供の感覚に浸っている間は、自分がしんどくて辛い気持ちから一時的に目をそらすことができる。それが習慣化して固く条件づけられてしまうと、どんどんと回避できなくなる。そういう人は、「自分がしんどい」ということが起きると、すかさず「子供が心配」にすり替わってしまう。

 もし、今、子育てで問題を感じて苦しいのなら、それは「これ」に気づく時である。「これ」というのは、「自分の大元の恐怖」である。子育てで問題を感じたら、まずは、自分が感じるべきストレスをちゃんと自分である「わたし」が感じることである。 

 子供の心配をする前に、自分が「あーーー!寒みぃなーーーーー!!!」って感じてまずは服を一枚羽織ることである。子供の心配をする前に、自分が「あーーー!今日はしんどいなーーーー!!!」って感じてまずは、ごろっと横になることである。(子供はDVD漬けでいい)  

 この話を(相談者)それぞれのケースに合わせて答えようとすると、「子供はほっぽってママが好きなことしたらイーヨ!」という、浅はかに見える答えになってしまう。

 *******(抜粋終わり)****

 

 これを書かれたのは、民間の自己啓発カウンセラーさんです。

 読んだ時に、大きな違和感を感じました。

 私の違和感の元はこの部分。

気温が寒い時に、自分がまず先に寒さを感じて寒さをしのぐことよりも、「この子は寒くないかしら?」と子供のことを先に心配する。子供のことを心配している間、母親の「わたし」はここには居ない。自分は、どこにも居ない。」

 なぜそうなる?

 子供のことを心配している間、母親の「わたし」はここにいない。という理論が、私にはまず分かりません。

 なぜそうなる?

 子供のことを心配する事と、母親が自分をしっかり維持する事は、別問題だと思います。

 つまり、私はこう思うのです。

 人は必ず「直すべき欠点」を持っています。反省すべき改善点、反省点、間違い、落ち度、と言ってもいいですが。人は誰しも必ず、何らかのそういう弱みを持っています。そして、その欠点のせいで、日々失敗し、しんどい思いをする。だから、できるだけ強い気持ちで、自分の欠点に向きあい、できる範囲で改善していかなくてはなりません。

 でも。

 改善したがらない、という人達もいます。自分の欠点に向き合いたくない人。そこから目をそらしたい人。総称して「弱い人」と書いておきます。

 そういう「弱い人」は、なんとかして自分の欠点に向き合わないで済む方法を、常に探しています。何かをダシにして、自分の欠点から目を背けようとするのです。

 そういう人は、子育てをダシに使う事があります。そうすると、子育てに問題が起こってくる、という事になります。

 何故なら、そういう人が「子供の為に」する言動は、実際には子供の為ではなく、自分が自分の欠点から目を背ける為にしている事だからです。子供は、親からしてもらうべき事をしてもらえず、してもらうべきでない事を、沢山されてしまいます。当然、結果として、子供に問題が起こってきます。

 そういう人が、子育てに問題を抱えて、上のカウンセラーさんの扉を叩く。カウンセラーさんは、上記の理論で「お母さん、子供はほっぽってママが好きなことしたらイーヨ!」と言ってくれる。

 どうなるかというと、その人は喜んで、子供を放置し、やりたくない事は全部やめて、自分のやりたい事だけやるようになります。カウンセラーさんの指導だから。

 「何かをダシに使って、自分の欠点から目を背けたい」というその人の根本部分は、何も変わっていません。以前は、子供がダシでしたが、今は、その自己啓発がダシになっている、だけの事です。

 だから、その人の人生から、問題は消えるどころか、どんどん増えていきます。子供の問題が解決することもありません。その原因は、その人が自分の欠点から目をそらし続けているからなので、そこを改善しないと、その人の人生は改善しません。

 でも、ダシとして便利な自己啓発のせいで、その人が、自らの欠点を正面から見つめる事はありません。まさに私の姉の人生のように。

 上の記事のカウンセラーさんも、こういう記事の合間に、ご自身のプライベートな生活上の問題をチラチラ書かれていますが、私からしたら「ええ??」と驚くような事が書かれています。ブログに書くぐらいですから、ご本人は問題だと思っていないのだと思われます。本当にヤバい事は、書かれていないでしょう。でも、書かれている事だけでも、私からしたら相当ヤバい事ですが。

 上の記事を書かれたカウンセラーさんは、カウンセラー業に打ち込む事で、自分の問題から目をそらしているのだと思われます。カウンセラー業をダシに使っていると感じました。

 自分をしっかり維持する事の大切さを、改めて感じました。自分を維持する、という事は、自己中心的になる、という事ではなく、「自分というものを自分でしっかり把握している」という事です。それが出来ていれば、子供に関わらず、人生で何か問題が起こった時に、その問題をケアしながらも、自分は自分でしっかり立っていられます。

 そして、「自分をしっかり把握する」という事は、とりもなおさず、「自分の欠点をしっかり見つめる」という事でもあります。見つめて、改善するよう努力し続ける、という事。

 つまり、自分の欠点をしっかり見つめる事は、自分を把握する事であり、自分をしっかり維持する事に繋がるわけです。

 逆に言えば、自分の欠点から目をそらす事は、自分を見失う事です。自分を失って生きてはいけないので、失った自分に入れ替わる何かダシになるものを必要とします。それが、子供であったり、自己啓発であったり、するのだろうと思います。

 結局。自分がしっかり維持できているかどうかは、ダシに使っているものがなくなっても大丈夫かどうか、で判断できるのでしょう。子供がいなくても自分が生きていられるか、自己啓発がなくても自分が生きていられるか、その答えがイエスなら、大丈夫なのだと思います。

 今まで、この部分がぼんやりしていましたが、上の記事について考える中で、しっかりと確信できました。批判記事になってしまったので、元記事のご紹介は控えます。 

 

 風が強いですが、お買い物に行かねば。

 急に気温が下がりましたが、皆様も体調気を付けられてください。ではでは。

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