書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

不安がない

 一つ前の記事に、私、「今は何も不安がない」と書いたのですが、書いた後に自分で「え?」となりました。

 私、不安がないんだ。知らなかった、と。

 ブログを書いていて良い点は、こんな風に、自分で気づかなかった事に気づける事ですね。不安がないとは思わなかった。でも、改めて考えてみると、ないです。

 子供が小さい頃の記事を読み返すと、ほぼ不安しかない、という感じなので、時間が解決する事は沢山あるのだなあと思います。 

 話は変わるのですが、母が姉の事を愚痴った後に、「でも、鬱みたいになって家に閉じこもってウツウツされるより、何をやるにしても元気で外に出ているほうが、マシかもしれない」と言っていて、「どういうこと?」と聞いた事があります。

 母いわく。母の友達の娘さん方は、当然ですが、私や姉と同年代の人が多く、つまり、50代。また、専業主婦の方が多い。社会との繋がりがなく、家から出る事がなく、鬱っぽくなってしまう人が多いのだとか。

 母としては、姉が何をしようとも、鬱になるよりマシだと、そう言いたかったようです。なるほど。

 ただ、私はそこで、不思議だなと思ったのが、「社会との繋がりがないので家から出なくなる」という事。

 いやいやいやいや、私なんか自慢じゃないですが、子供を産んでからずっと社会生活なんか無いに等しく、孤独を絵にかいたような人間ですが、けっこう外に出ています。社会と繋がりがないから家から出ない、というのがよく分かりません。

 やりたい事、やればいいんじゃないのかなあ、、と思う。

 私は、「お稽古事」が元来苦手で、大人になってからは行った事がありません。ただ、ボランティア活動はやってもいいかなと思って、実はこの4月からやろうと計画していたのですが、コロナで流れてしまいました。でも、コロナが収まったらやりたいと思っています。

 働くのは敷居が高いけれど、お稽古は苦手、という方は、ボランティア活動をされたら社会と繋がれるんじゃないだろうかと思うんですよね。自分も楽しいし、人の役に立つし、いいことだと思います。

 

 最初に「私は今不安な事が何もない」と書いたのですが、その理由の一つに、「やりたい事が沢山あるから」が、挙げられるかもしれません。やりたい事を考えていると、不安にならない。なんか、私の脳みそは、そういう風に出来ているようです。

 もちろん、現実問題、不安事項が特にない、というのは事実です。でも、生身の人間だから、怪我や病気の可能性はいつだってあるわけだし、コロナを見て分かるように、想像もしていなかったアクシデントはいつだってあるわけで。それを心配しだしたら、不安の種は尽きないと思う。

 でも、私、そういうのは全く気にならないのです。不思議なほど、気にならない。コロナ禍があと2年続くよ、と言われても、ああそう、と思うだけです。え~2年も~不安~とはならない。現実問題を一個一個片付けていきゃいいんでしょ、と思うかな。

 何が書きたかったのか分からなくなってきましたので、今日はこのへんで。大雨で被害が大きい地域の方、どうぞお気を付けて下さい。被害が少しでも小さくなるよう祈っています。ではでは。

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