久しぶりに発言小町を見てみたら、不思議なケースを発見したので、今日はその事を書きます。
目に入ったのは、こちら。
天才?発達障害?娘の不登校で悩んでおります。 | 生活・身近な話題 | 発言小町 (yomiuri.co.jp)
要約すると。
小4のお嬢さんが、不登校になったと。病院で発達検査(WISC)を受けたら、
・言語理解143
・知覚推理113
・ワーキングメモリ118
・処理速度88
という数値。
高い所と低い所に50以上の差があるので、明らかに発達障害だけれども、知的な遅れはなく。運動神経もよくて、友達関係も良好。おかしな言動もしない。機嫌のよい性格の良いお子様。
なのに、不登校。
その理由は、専門家いわく、「頭が良過ぎて(特に言語理解)、小学校の授業が退屈過ぎて苦痛なのではないか。ドリルなどの反復も、苦痛なのだろう」との事。
投稿されたのはお父様で、彼自身なぜ娘が不登校になってしまったのか、ハッキリと理由は分からない。だからどうしたらいいのかも、分からない。
こんな風に、頭が良過ぎて不登校になるというケースが、あるのだなあと意外に思ったので、自分のブログに引っ張ってきたのですが。
うちの息子も、記憶力だけなら異様に良いのですが、他が平均よりもはるかに低い。言語理解など下手すると幼稚園児並みです。情緒的にも幼いし、運動神経もほぼ無いし、手先もとんでもなく不器用ですし、他人の嘘が見抜けないし、何より他人に興味がなく、1つの事にこだわるとそこから気持ちが離れないという特性があり、生きづらさに繋がっています。
こんな息子ですが、早いうちから専門家に診せ、特性にあわせた配慮や支援を学校にお願い(医師の診断書もその都度つけて)してきたせいで、不登校にはならずに大学生になりました。大学生の今も、もちろん、学校には障害を伝えて、必要な配慮を受けています。配慮なしには、通えないですから。
上のケースのお嬢様。賢こ過ぎて学校にいられない。友達とも、有る意味、相手にあわせて会話のレベルを下げて付き合うので、しんどい。子供の中に、一人大人がぽつんと入った、そんな感じなのでしょうか。
う~ん。でもそれが、学校に行けないほどの辛さに繋がるのが、ちょっと分かりません。子供の中に、一人大人がいる状態がしんどいなら、教師だってそうですよね。教室では、自分以外はみんな子供なわけで。それがしんどくて学校に行けない教師は、いません。
このお父様の投稿内容を拝読する限り、このお嬢様が学校に行けない理由がよく分かりません。お父様ご自身も分かっておられないようです。
なんとなく、輪郭として、「賢こ過ぎるから」というぐらいしか。
でもおそらく、これは理由ではないと思います。周囲のレベルが低い事ぐらい、我慢できるからです。
いくつかワードは出てきている。ドリル等の処理が遅い。アレルギーがあって給食が食べられない(一人だけ別メニュー)。転校したてである。
頭はいいのにドリル処理が遅い事が、お子様自身のプライドを傷つけるのか。
給食が食べられない事で、疎外感から恥ずかしいという気持ちになるのか。
以前の学校の居心地の良さが当たり前となっていて、今の学校を否定的に感じるのか。
私が親なら、本人に、「あたなには発達障害があり、こういう特性がある」という事を知らせ、「何がつらいのか」「どうしたら解決できるか」一緒に考える。勿論、学校にも、医師の診断書を付けた上で、子供の特性に配慮した支援を頼むと思います。とにかく、本人が障害を自覚する事から始めると思います。
ドリル処理が遅い件については、「あなたが悪いわけでもサボっているわけでもなく障害特性である」と伝え、それでも本人が納得しなければ、学校側の理解を求め、先生からも遅さを指摘しないように頼むなり、「出来なかった人は家でしてきてね」といった、「出来ないのは自分だけではないし、問題ない」という風に思わせてもらう。方法は色々あります。
賢いお子様なら、本人が障害を理解し、特性を自覚する事で、解決できる事は沢山あるように感じました。
あと蛇足ですが。このお父様の文章が、私には少し気になりまして。
頭のいい方なのでしょう。少し、心の中で、読者をバカにする意識がおありなのかなと感じてしまったんですね。
例えば、こういう箇所に。
「私、父親です。割とムサ苦しいオッサンなので皆さんもお気になさらず罵倒してくださいね」
レスされる方々が、厳しめの内容を書かれたとしても、それはこのお父様を「罵倒したくて」書いているわけじゃないですよね。お役に立ちたくて書いている人がほとんどだと思います。
厳しめのレス=罵倒したいんだろう?
みたいな解釈をされている事が、ちょっとどうなだろう?と思いました。
ご自身は冗談のつもりで書いておられるのだと思いますが、障害がらみのシビアな問題を考える時に、冗談を言う人が私は苦手なのです。
アクセス稼ぎの為に、天才という表現をあえて使ったというところも、あまり良い感じは受けませんでした。真面目に真剣に正味で、お子様のそのものを見て、真面目に真剣に正味で、お子様の困りごとについて悩み考える、という姿勢が、少し見えずらいというか。
どこか浮ついているというか。
どこか逃避しているというか。
うまく書けませんが、父親と母親の違いかもしれませんが、このお父様は、お嬢様の上辺の分かりやすいところだけを見ている気がしてなりません。上辺だけをいくら観察しても、本当の問題は見えてこないと思います。
全て私の個人的感覚で、普通の人は気にならない事だとは思います。
いずれにしても、このお嬢様が、無事に学べる場所を見つけて、幸せに成長される事を祈ります。