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元事務次官の長男殺害事件について思うこと

nenesan0102.hatenablog.com

 いつも拝読しているブログで、またしても共感する記事があったので、勝手ながら上に引用させて頂きました。農林水産省の元事務次官が長男を殺害した事件についての記事です。

 元事務次官は76歳、長男は44歳。長男は中高一貫校へ進学するものの、苛められ、そのうっ憤晴らしからか家庭内暴力を起こします。大学や専門学校に複数行き(つまりどこも通い続けられなかったということ)、就職は父親の紹介でなんとか病院に勤められたものの、2年で辞めて、その後はずっと無職で一人暮らしをしていたようです。長男の下に妹さんがいたそうですが、長男の存在のせいで結婚が決まらず、自殺されてしまったとのこと。

 長男が発達障害だと診断されたのは、4年前。また、一人暮らしをやめて実家に戻って来たのが、殺害される一週間前との事。

 

 この長男さんが生れた頃というのは、確かに、まだ発達障害という名称が、世の中に浸透していない時代だったと思います。私の18歳の息子が2歳の頃、あまりの言葉の遅さに保健センターに相談に言った時に、私は初めて「発達障害」という名称を聞きました。それまで聞いた事がありませんでした。16年前でそうだったのだから、40年前なら尚の事、親が発達障害に気づかず育ててしまった事を、責めるのは酷かもしれません。

 息子を育てている過程で、小学校中学校高校の先生方も、発達障害について知識のない方がほとんどだったし、「発達障害って何ですか?」と聞いてこられる先生や、「学校で習ってないので分かりません」と仰る先生もおられました。「悪いけど、障害なんて特殊なものには、ウチラは無縁な世界で生きているんで」と、発達障害というワードを知らない事に、胸を張る先生もおられました。「発達障害者って以外と多い。無視できない」という事実が一般に浸透し始めたのは、ここ1年ぐらいだと思います。

 なので、この長男の両親が、発達障害である長男を、適切に育ててあげられなかった事は、仕方ないことだと思います。

 思いますが。

 

 発達障害という知識はなくても、子供が学校でイジメに遭っていたら、全力で助けるべきだったと私は思います。転校させてやるとか、普通の中学が無理ならフリースクールのような所を探してやるとか、とにかく、子供がイジメを受けない環境を探してやるべきだったと思います。これはもう、発達障害だとか健常児だとか関係なく、やるべきだった。ご両親にはそれができる能力があったはずです。「せっかく入った学校なのだから、頑張って通え」というのは、親の希望の押し付けです。イジメを受けている子供にとってみたら、中高一貫校だろうと進学校だろうと何の価値もなく、それよりも、「イジメを受けない環境」のほうが、何百倍も望ましかったはずです。

 子供がイジメられていたら、親は全力で助けるべき。学校から「過保護親」とか「クレーマー」とか言われるでしょうが、そんな事は気にする必要はありません。親が批判される事で子供が救われるのなら、どれだけ批判されてもいいと私は思います。大事なのは子供をイジメから救う事で、これより優先されるべきことは何もありません。

 まずは、安心して通える環境を子供に与えてあげる事、これが最優先です。

 この元事務次官の父親は(そして母親も)、学齢期の長男を、親身になって助けてあげなかった。イジメられていると知っていて、杓子定規に学校に通わせた。この事が、長男が心を壊してしまう最大の原因だったと思います。

 勿論、それまでの成育期間中もそれ以降も、発達障害だと知らなかったわけですから、沢山の不適切な関わり方をしてこられたのだと思います。障害特性故に出来ない事なのに、「みんな出来るのに、何故できない」と叱り続けたり、聴覚や触覚、味覚などの感覚過敏が(多分)あるだろうに、そこに配慮してあげなかったり。自閉的な面が、単なる我儘ととられたり。かわいくない、素直じゃない、自分勝手、努力しない、神経質、等、本人の性格が悪いかのように決めつけて育てたのだろうと思います。これらは本当は、障害特性故なので、本人に罪はないし、努力で改善できるものではないにも関わらず。

 

 成人して無職のまま一人暮らしをしていた長男さんに、父親が日々大量の「指示メール」を送っていたそうです。事件直前の1年半だけでも、父親から長男に送った指示メールは約1000件。それに対して、長男からの返信は140件。しかも「はい」などの短文のみとのこと。

 心配だから指示メールを大量に送っていたのでしょうが、、、。この件だけ見ても、この父親が長男に対し、どういう関わり方をして育ててきたのか、分かる気がします。おそらく、口で言って言い聞かせて動かしてきたのだろうと。子供の目線に下りて、子供と一緒に何かをやり、子供の経験値を増やしていく方法で教育するのではなく。ただ口先だけで「ああしろ、こうしろ」と指示を出して、それが「教育」だと思っていたのではないでしょうか。

 優秀な健常児ならそういう教育方法でもよいでしょうが、発達障害児にそれは通用しません。

 

 不思議なのは、4年前にこの長男は、発達障害だと病院で診断がついているにも関わらず、父親がそういう不適切な関わり方を、依然として続けていた、という事です。

 長男の担当医から、両親に対して、発達障害者に対する関わり方を、指導しなかったのだろうか? この担当医は一体、何をしていたのか? そこが一番不思議に思います。

 最近の診察の時、担当医は父親に、長男の様子がかなりおかしい、という事を電話で連絡しています。親を殺す、という言葉を発していたと。その時点で、担当医は、父親に連絡するだけではなく、何かもっとできる事はなかったのでしょうか。一時的にでも長男を入院させるとか。警察に連絡しても良かったのではないかと思います。

 

 もし、この長男が、幼い頃に発達障害だと診断され、適切に育てられたら、こういう事件は起こっていなかったかもしれません。

 ただ、発達障害児を適切に育てる、という事は、とてつもなく困難です。手間暇がとてつもなくかかります。体力と忍耐力を酷使されます。母親は当然専業主婦であらねばなりませんし、場合によっては父親も勤務時間の短い仕事に変えねばならないかもしれません。その発達障害児の育てにくさにもよりますが、育てにくい子の場合、一人の子供に対して、大人が複数人関わらないと、とてもじゃないけれど「適切に育てる」事は難しいからです。

 

 だから。

 発達障害児が生れたら、両親の人生は変わります。変えねばなりません。両親自身の人生は無くなります。全て、子供の為に、献身せねば、発達障害児は育ちません。両親が、自分自身の生活を維持したままで、片手間で子育てしたのでは、この長男のようになってしまう可能性が高いです。

 

 この事件の後、多くの人が「こうなる前に、どこかに相談に行ってくれたら」と言っています。でも、父親はちゃんと、長男を、病院に通わせていたのです。つまり、病院に相談していたのです。でも、担当医には何も出来なかった。長男を救う事も、両親を救う事も。たとえば、彼等を、どこかの発達障害専門のセンターのような機関に繋げる、というような事すら、できなかった。つまり、こういうケースの家族が相談できる機関は、今の日本には無いのです。これが、発達障害に関わる世界の現実です。

 

 発達障害児が生れたら、親は自分の人生を捨て、全力で子育てに献身せねばいけません。でないと、こういう結果になってしまうからです。

 

 上に紹介させて頂いた記事の中に、こういう記述があります。勝手ながら、引用させて頂きます。

 「発達障害の専門医に星野仁彦先生という医師がいるのだが、その人が著書の中で、「発達障害の特性は代を経るごとに濃縮されていく」ということを書いている。

これはなるほどと思うところで、父親or母親(もしくはその前の代)が、社会生活上でさほど問題にならないけれどもなにがしかの特性を持っていて、子供にばっちり発達障害が出たという例がけっこうある。これらの記述についての統計はまだないが、いずれ時代が進むにつれてここも解明されてくると思っている。」

 

 であるなら。自分が少しでも発達障害の気があれば、子供はかなり発達障害特性を持って生まれる可能性が高い、という事です。

 私の息子は、結婚するかどうか分かりませんが、この事はちゃんと言っておいてあげないといけないと思っています。発達障害者の親が、自分より更に特性の強い発達障害児を育てる事ほど、ひどい地獄はありません。

 

 私は常々、世の中の明るい面を見て生きていこうと思っていますが、現実を無視する事は愚かだとも思っています。聞いていて苦しい現実があっても、それはちゃんと正面から見ないといけないし、見なければ避けて通れると自分に都合よく考えてはいけないと思っています。

 

 この元事務次官に、どれほどの罪があったのか。確かに、発達障害児を不適切な育児で育ててしまった事が、罪と言えば言えるけれど、それがどれほどのものか。多くの人が、やっている子育てを、彼もまたやっただけではないのか。考えがまとまらないまま、今日はここで終わります。