書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

発達障害児の共通点

 今年になってから、発達障害児を育てておられる方のブログを、よく拝読していました。発達障害児は千差万別、1000人いたらい1000通りの障害特性を持つわけですが、一方で、共通点も少なくないなあと、改めて気づきました。

 例えば、以下の3点は、程度の差こそあれ、多くの発達障害児に見られる特性かもしれないと思いました。勿論、我が子にもあります。

①否定される事に我慢できない

②母親に対し、自分の要求を通す為に、大声や奇声を上げ、通常考えられないような暴力をふるう。一方、落ち着いた後は一転して、母親の機嫌をしつこいほど伺う。

③母親に対し、過去に嫌な思いをした経験を、繰り返し語る。

 

 例えば、発達障害児不登校になりやすいわけですが、イジメだけでなく、勉強についていけないから、という理由も大きい。で、何故勉強ができないのかというと、自分が書いた答えを直されるのに耐えられないから、だと。もっと言えば、間違いを書いてしまう事に耐えられないので、勉強自体が出来なくなる。そういう発達障害児さんは、結構いるのだなあと思いました。

 こういうお子さんは、大体、小4ぐらいから不登校気味になるようです。それまでは、とにかく「間違いたくない。直されたくない。✖をつけられたくない」という一心で、ものすごく過剰に頑張っていて、それでなんとかなっていたのだけれど、小4ともなると、ただでさえ凹の多い発達障害児が、頑張りだけでは100点は取れない。間違いを書く率が増えてくると、もう、勉強自体やれなくなってしまう。間違いを正されるのに耐えられないから。それでもう、学校にも行けなくなる、そういうケースがあるようです。

 こういうケースは、親御さんがお子さんの障害に気付いておらず、不登校になってはじめて病院にかかり、障害が判明するようです。障害に気付いていなかったので、親御さんはお子さんが「普通にちゃんと」できるように、かなり厳しく叱って育てており、「叱られる否定される厳しくされる」のが、何より苦痛な特性を持つお子さんは、叱られないように過剰に頑張り続けてきて、ギリギリ一杯一杯頑張ってやっと人並みにやれてきたのが小3まで、という事のようです。

 これは③にも関連するのですが、発達障害者は、過去に起こった出来事のうち、嬉しかった事は忘れてしまい、嫌だったこと苦しかったことだけを鮮明に覚え続けています。絶対に忘れないし、思い出し続けるので、記憶が一層強化され続けます。親から叱られた記憶は強化されて残り、だからこそもう二度と叱られたくない、だから勉強はもうできない、学校にも行けない、そういう方向に行ってしまうわけです。

 

 また、②の特性を持つ発達障害児も多いんだなあと、いろんなブログを拝読して思いました。うちの子もこの傾向があったので、いかに大変かは私自身、身に染みて感じるところです。私の経験は、過去記事に書きましたので、よろしければ見て頂ければと思いますが、うちの例など生易しいほうだった気がします。

 例えば、やはり小4ぐらいから激しくなるようですが、母親に対し、自分の要求が通らないと、近所に響き渡るような大声奇声をあげて、叫び続ける、母親に蹴る殴る噛む等の暴力をふるう、挙句には、包丁を持ち出して母親に突きつける、等。警察を呼ぶ事態に発展する事もあるし、その後、児童相談所に一時保護されるケースも少なくないようです。一次保護は最長二か月だそうで、二か月経てば自宅に戻される。また母親に暴力をふるい、児相に保護。これの繰り返し。

 子供の要求というのは、例えば、ゲームをもっとさせろ、とか。自分に対して、小言を言うな、自分に注意してくるな、とか、そういう事です。「そろそろゲームを止めなさい」と言われると、怒って母親に包丁を突き付ける。

 親としては、何も言わず放置しておくのが一番ラク、という事になりますね。放任放置。好き勝手させておけば、とりあえず平和、という。

 でもその平和も小学生の間だけで、中学生になれば、思春期の心の不安定さから、母親が何もしなくても言わなくても、キレる。なんなら、キレるきっかけを見つける為に、母親をずっと監視し続ける。母親の口調、視線、みぶり、に難癖つけれる隙を見つけようと。キレる為のきっかけをいつも探し続けていてピリピリしている。こうなると、放任放置でも平和は見いだせず、家の中は常に修羅場です。

 何度も警察を呼び、児相に繋がり、最終的には施設に預けるしかなくなる。施設も一生預かってくれるわけではないので、子供が出てきたらやはり親が面倒みるしかない。子供から逃れるには、夜逃げするしかないのかも、と書いているブログもありました。気持ちは痛いほど分かります。

 

 全てのブログに共通しているのが、「この子の将来はどうなるんだろう」という不安と、「子育てが辛過ぎる」という苦難。「自分の人生と、子供の人生は別モノの筈なのに、分ける事ができない」という苦しさ。「子供の障害が具体的にどういうものなのか、ハッキリ分からない。脳機能の何がおかしてく、どこに問題があるのか、何も分からない」というしんどさ。全部ほんとうにその通りだなあと思います。

 じゃあどうしたらいいのか、となると、私にも答えはないのですが。無理やり考えるなら。

 子供の将来は、現在の地続きにある、という事が一つ。現在を、自分が出来る最善を尽くしていくしかない、ということ。

 また、「子育てがつらい」というのは、まさに「子供の人生と、自分の人生を、分けようとしているから」かもしれません。私は、発達障害児の親に、自分自身の人生など、ないと思うからです。障害児は一生涯、障害児なので。そして、普通の障害と違い、発達障害は、親の支援を全面的に必要とする障害なので。

 それを不幸と考えるのか否かは、個々人の価値観だと思いますが、子供の人生と自分の人生の間に、きっぱり線を引いて子育てすると、これは私の経験値ですが、子供は様々な問題を起こし続けるように思います。一方、親が腹をくくって子供の人生に自ら組み込まれていけば、子供は必要な支援を得続ける事ができるので、大きな問題を起こさずに生きていくことができます。私は、後者の親の生き方を幸せだとは言えませんが、少なくとも不幸とも言い切れないように思うので、後者で生きています。

 あと、子供の脳機能のどこがおかしいのか、具体的に知るのは、不可能ではないでしょうか。死んだ後に解剖したら、もしかしたら分かるかもしれませんが。発達障害者は前頭葉の発達に問題がある、というのはよく聞きますが、それも個人差があるように思います。

 いずれにしても、「中枢神経、もしくは神経細胞が一部未発達、もしくは異常に発達している」のが、発達障害者。そして、そこから生じる「実生活における様々な問題」を、なんとか解決しながら生きていくのが、発達障害者の人生、そしてそれを一生涯サポートし続けるのが、発達障害者の親の人生だと思います。

 

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