唐突ですが。
私は、自分に無理をさせ過ぎない事が、とても大事だと思っています。
必要な無理は、頑張ってもせねばならない時もありますが、不必要な無理は、しないほうがいいと思います。
不必要な無理とは、「いい子ちゃんになる事」です。
他人から見て「良い人間」だと思われたいと、ついつい「いい子」を目指してしまいます。でも、いい子になったところで、自分にとって得になる事は何もありません。にも関わらず、いい子でいるのは自然の摂理に反するので、とてもしんどい事です。
私は、人生のとても早い段階で、いい子いなるのは止めました。
ただ、とはいえ、自分の良心と照らし合わせて、モラルに反する事、良心が傷む事は、やらないことにしています。
人間社会の暗黙の了解である「いい子」にはこだわりませんが、自分自身の心の判断としての良心には、こだわってきました。
なので、例えば、不必要に母親に気遣いはしません。必要最低限のことはしますが、母が私を気遣いをもって育ててはくれませんでしたし、口では親切めいた事を言いますが、根っこのところでは、常に私より自分の気持ちを優先する人です。なので、私は母に対して冷たくはしませんが、かといって、優しくもしません。そこは、割り切っています。
私に気遣いを持ってくれなかった人に対して、私が気遣いを持とうとすると、私には相当なストレスがかかります。だから、やりません。
でも、子供に対しては、出来る限り親切にしています。何故なら、子供には親としての責任があるからです。この子をこの世に産み出す事を決めたのは私なので、生んだ以上は、幸せにする責任があります。
他人から見たら、「親を放り出して、子供の面倒ばかり見ている、よくない人間」と思われるでしょうが、全く気になりません。
いい子でいる気が、ないからです。
私の中で、良心に恥じない生き方をしていると確信できていればよく、世間一般の価値観の中でいい子を演じる気はありません。大変過ぎますから。
そもそも。他人に対して、いちいち自分の人生を、正当化して見せる必要もないわけで。自分で納得でき、これで良いと確信できれば、それで良いと思っています。
この年になると、色んな人の人生を見て来ますが、不幸になられている方は、共通して、「過去に無理してるいい子ちゃんだった人」だと感じます。
無理がたたって体を壊したとか、無理がたたって逆方向に突っ走りマルチやスピにハマったとか、自分が無理しているから子供にも無理を強要したとか、そういう事から不幸に堕ちていったと感じます。
人間、無理は続きません。必ずどこかで反発が起こり、人生が崩壊します。
無理の代表が「いい子ちゃんになる」という事だと思うので、そこは目指さないほうが無難だと、個人的に強く思っています。