書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

何に心の平安を得るか。

 今年の関西の冬は、あたたかいのだそうで。今日は、朝は曇っていましたが、午後から日がさしてきました。今は夕日が綺麗です。

「街 夕日」の画像検索結果ネットで素敵な画像お借りしました<(_ _)>。

 

 さて。今日は自分の考えの整理をします。有意義な情報は一切ありませんので、ご了承ください<(_ _)>。(と言うと、普段有意義な事を書いているみたいでアレですが、、、、普段に増して、という意味です)

 私は神仏を信じていると散々書いておりますが、にも関わらず、私は、スピリチュアル的な事が苦手です。神仏OK、スピNGなのです。ここの部分についての考えを書きたいと思います。

 そもそも私がスピが苦手な理由は、玉石混合だからです。信じる根拠を出さず「心が純粋な人は信じてくれる」的な主張がよく分かりません。石(だと思われる人の言う事)を信じない人間は、心が汚れているのでょうか。。。いや、信じてもらえる根拠を明示しない人のほうが、間違っているのではないか、そう感じてしまうからです。玉の人は明らかに、明確に、信じる根拠を出してくれます。

 で。ある方(仮にAさん)がおられます。Aさんは、天の神様に守られているそうで、神様の声も直接聞く事ができ、神様のお話を、一般人に伝えるお仕事を、セミナーやヒーリングを通してされています。参加費用は各々一万円弱です。私はこの方が、玉なのか石なのか(失礼な言い方で申し訳ないですが)、分からないので、気になって時々ブログを拝読しています。

 Aさんは、昨年の大阪の地震で揺れた地域に住んでおられ、その経験を「とても怖かった。恐ろしかった。不安で仕方ない」とブログに書かれていました。あまりにも不安なので会社員のご主人に「不安だから会社を休んで欲しい」と強く頼んだそうです。「不安と恐怖で胸が押しつぶされそう。とても大丈夫と思えない。つらい。不安と恐怖と戦っています」と書かれていました。

 そうですよね。地震ですもの。怖くて当たり前。

 ただ。うん。こういう時こそ、日頃の信仰を活かす時なのではないのかしら、と思ってしまう私もいました。

 Aさんは神様のお言葉として、常日頃からこういう事を、我々一般人に伝えておられます。

「自分を信じ、周りの人を信じ、神を信じて下さい。大丈夫。あなたはいつでも守られているのです」と。

 一般人である私達には、直接神様の声は聞こえません。だから「いつでも守られていますよ」と言われても、なかなか心の底から信じる事はできません。でも、Aさんは、ご自身の耳で、神様の声を、直接聞いておられます。ご自身で経験されているのだから、信じるというか、「それが事実であると知っている」はずだと思うのです。事実だと確信しているからこそ、神様の声を、一般人である私達に向かって、有料で伝えておられるわけですから。お金を取るという事は、それだけ確固とした自信がある、確信がある、という事だと思います。逆に言えば、ご自身に確信がない事を、お金を取って他人に伝える事はできないと思うのです。

 ですが。地震で揺れたら「大丈夫と思えない。不安と恐怖で押しつぶされる」心の状態になってしまう、というのは、どういう事なのだろう。Aさんは「いつでも守られている」と確信を持っておられたのではないのだろうか。神を信心するという事は、こういう危機的な状況にこそ、活かされるものではないのだろうか。

 そんな疑問が、ふつふつと湧いてきました。

 Aさんは、「神様からのメッセージ」として、こういう事を書いておられます。

セミナーやヒーリングをさせてもらっているのに、自分自身の不安や恐怖心をなくせずにいる私に神様は、『そのまんまでいいよ。何も間違ってないよ』と、言って下さいます。こんなに未熟な私のままでいい、と。怒ったり泣いたり、不安になったり怖がったり、そんな私のまんまでいい、と。いや。むしろ、そんな感情むき出しでいい、と」

 うーん・・・・。「そのままでいい。変わらなくていい。努力しなくていい」これが神様の言葉なのだろうか。なんだかあまりにもご都合主義じゃないかと感じてしまう私がいます。

 いや、私も、別に、怖い時に怖い、不安な時に不安、と言ってもいいし、いやむしろ言うべきだと思います。でも、曲りなりにも神様の声が直接伝わる、神様が御自ら守っておられる人間に対してなら、「怖い怖いと嘆いていいよ」と仰るのではなく、「私が守っているから大丈夫。安心しなさい。何も心配しなくていい」と、神様はまず、お伝えになるのではないだろうか。Aさんが不安で参っているのだから、まずはその不安を和らげる言葉を、神様は言って下さるのではないだろうか。だって日頃からそういう言葉を、神様はAさんにお伝えになっているのだから。今こそ、あれらの言葉が有効に働く時なのではないか、と私は思ってしまうのです。

 なのでAさんが書いておられる「そのままでいい」が、神様からのメッセージと言われても、なかなかピンとこない。かといって、嘘偽りだと断定する事もまた、難しい。Aさんご自身は、いたって普通の方のように感じられますし。

 やはり。その人が「霊能者として本物」かどうかは、その人の人生で、証明されていくのだろうし、現実にその人がどういう人生を結果的に歩んだか、でしか、判断できないのだろうと思います。ですが、それは厳密には、その人本人にしか分からない事なので、他人が知る事は難しいです。

 つまり、スピリチュアル的な発言をされている人が、本物かどうかを判断する事は、素人には難しい、という事になり、信じるのであれば自己責任で、という当たり前の結論になります。もし万が一その人の言う事が間違っていた場合、それを信じて従ってしまっても、自分の人生も間違ってしまっても、自己責任という事です。なので私は、スピリチュアル全般が苦手なのです。あまりにも曖昧だから。

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 Aさんの書いておられる事で一番私が分からないのは、「未熟なままで良い」という所です。これが本当に神様のメッセージであるならば、人は向上心を持つ必要はなくなりますし、「ここは頑張るところだ」と踏ん張る事もしなくてよい、という事になります。それが、良いことなのかどうか。それで人生が良くなっていくのかどうか。。。神ならぬ身である私には、全く分かりません。

 心を壊すほど無理する必要は勿論ないですけども、それでも、Aさんの仰るように何も頑張らなくていい、ずっとそのまま我欲と煩悩にまみれた未熟なままの魂でOK、というのはちょっと違うかも、、、と感じてしまいます。ですが。。繰り返しますが、Aさんご自身は、いたって普通の方のようなのです。直接存じ上げないので断言はできませんが、お金儲け一心で、ブログで神様の声を発信されているようには、思えないのです。強欲な悪人には思えない。だからこそ、難しい。

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 私は神仏を信じていますが、誰か個人を信じているわけではありません。桜井識子さんの事は好きですが、何から何まで信じているわけではありません。私は、神様仏様の存在だけを、直接信じています。神様仏様の声を聞かせてくれる誰か、神様仏様のエネルギー(?)を送ってくれる誰か、を必要としません。私と神様仏様との間に、人をいれません。なぜならば、その人が本物かどうか、私には分からないからです。もしその人が本物でなかったとしたら、大変な事になるからです(偽物の神の声を聞く、という体質の人もいて、そういうのにひっかかると大変ややこしい怖ろしい事になります)。

 私は、一人で直接神社やお寺に行き、一人で祈ってくるだけです。そういう行動に対し、少なくとも害はありません。神様仏様から、何かを言われる事は無いですから。何か間違った事を言われてそれを信じてしまうからこそ害があるわけです。何も言われなければ何の実害もないのです。それでも、神仏を信じる事で私の心が落ち着くのであれば、信仰しても構わない、と私は思っています。そして 神様仏様からご加護を頂いていると実感しているし、また、神様仏様に少しでも近づきたいと思うので、自分を律して暮らす事ができています。

 霊格の高い神様ほど、器が大きくどんな事にも怒ったりされず鷹揚であるわけで、そこに近づこうと思えば自ずと、私もそうありたいと思えます。また、良心に従った行動をとる事が神仏の状態に近づくという事になります。そこの基準が分かっているだけでも、暮らしのポイントが掴めて生きやすいと感じています。

 まあでもこれは結果論で、そもそも最初は、授かった子供が発達障害で、先行きの見えなさからくる不安に心を占領させない為に、神仏を信じるようになりまして。もし子供が健常児であれば、今も、神社にはお正月にしか行かない生活だったと思います。

 もし、子育てで疲弊していた時期の私が、Aさんの言葉を聞いて信じ、辛い辛いしんどい苦しい!と大騒ぎし、もう頑張れない、と子育てを投げ出して、息子を長時間保育園に預けっぱなしにして育てていたら。ガラス細工のように不安定で脆弱だった幼児期の息子の心は、木端微塵に壊れていた事と思います。今のように落ち着いた青年には、なれていなかったと思います。これはまたいつか、子育てカテゴリーで書きたいですが、乳幼児期の発達障害児は、誰か一人、その子の事を熟知した人間が子供に寄り添って育てる事が必要なのです。何人もの人間が、たらいまわしのように育てるのではなく。同じ人間が、その子の事情も癖も理解し、その子が暮らしやすいように生活圏を整えて落ち着いた日々を送らせる事が、乳幼児期の不安定な発達障害児の心を、健やかに育てるのに必須なのです。健常児であればたらいまわしでも大丈夫でしょうが、発達障害児ではそういう子育ては命取りです(ただ、子供がある程度育ち上がったら、今度は母子の危険な同化を防ぐ為に、ある程度子供と距離を置く事が必須になってきます。ここらあたりのタイミングが難しいです)。

 私が子育てでどん底期だった時、私はスピリチュアルも神仏も、何も信じていませんでした。ただ息子だけを見て、息子にとって良いだろうと思える事を毎日必死でやっていました。子育てが一段落して、子供の将来を考える余裕が出て来た時に、神仏がいるのであればいいなあと思うようになり、信じる事を決めたのです。神仏の世界は、私に平安をくれるのです。

 ですが、もちろん、何をもってして、心の平安を得るのか、は、人によって違うのでしょう。そこに正解はないのでしょう。Aさんの言葉に心の平安を得る人がいても、それはそれでOKなのでしょう。

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つまらない独り言にお付き合い下さいまして、有難うございました。