書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

波動という言葉と、高齢出産について

 こんにちは!

 桜もだいぶ咲いてきました。私の近所の桜は、ほぼ満開です(^^)。桜だけじゃなく、良い香りの沈丁花も咲き始め、お散歩が楽しいです。今日は曇りですが、雨は降らないようですし、あたたかい。だんだん、外出が気持ちいい季節になりますね。

 ふと拝読したブログに、波動を上げる方法、として「大きな字を書き、腹から声を出し、常にチャレンジをし続ける事」だと、書いてありました。自己啓発ブログでしたので、その方の個人的意見というよりは、事実はこうです、という風に書いてありました。

 なんかちょっと違和感だな~と思ったんですよね。そもそも、「波動」という言葉も眉唾というか、実態がない言葉ですよね。怪しいというか。

 ま、そんな事を言い出したら、私が日々ブログに書いている神社仏閣関連なんてのは、全部怪しいわけですが。

 私個人としては、私個人が何をしようが他人に迷惑をかけていない限り、いいんじゃないかと思っているんですけどね。個人的に神社仏閣巡りは楽しいし、5年前に始めてから良い事しか起こらなくなってきているので、現実的な効果もありますし。また、「波動を上げたい」という言葉も、私自身使っていて、私の中では、それはイコール「良心的に暮らしたい」という事なんですよね。

 でも、今日、その方のブログを見て、その方が「波動」という言葉を使っておられたのを見て、なんだか違和感を感じてしまったので、同じような違和感を、私のブログを見て感じられる方もおられるかもしれない、と思いました。

 なので、これからは、波動とか、そういうスピ的な言葉は、極力使わないようにしようと思いました。「波動を上げたい」と書かずに「良心的に暮らしたい」と、そのままを書こうと思いました。

 神社仏閣への参拝記録も、「神様が~」とか書かずに(怪しいですから)、ただ「こういう事があった」「結果、こうなった」という事実だけを書こうと思いました。

 他人のふり見て我がふり直す、という事で、その方のブログは有難かったです。

 

 ちょっと話は変わるのですが、もう一つ「う~ん」というブログを拝読しまして、その事も少し書いておきたい。自分の中で結論は出ていないのですが。

 そのブログは、40歳で婚活を始め、42歳で結婚され、それから妊活を始めて無事に出産された女性が書かれています。お目出たいお話なのですが、ただ、生まれた赤ちゃんには、先天的に腎臓に異常があり、生後2か月で手術をされました。その手術は、とりあえず「間に合わせ」の手術であり、もう少し成長したら(小学校に入学する直前あたり)、本格的な手術が必要との事でした。

 産後、体もまだ戻らないうちからの赤ちゃんの手術で、その方は強いストレスを感じられ、ウツになってしまい、術後すぐの生後2カ月から、赤ちゃんは乳児院に預ける事にされました。赤ちゃんは現在、生後7か月くらいだそうですが、更にこれからも預け続ける予定のようです。

 その方いわく、「自分はマイペースに暮らすのが向いているので、子育てには向かないのだと分かった」と書いておられました。

 ご主人は土日しっかり家にいてくれて、家事育児を負担してくれる方ですが、平日の日中は当然お仕事なので、彼女が一人で子育てされます。それが、彼女にはしんど過ぎたのだそうです。あとは、料理が出来ない、献立を考えるのも負担、との事でした。

 赤ちゃんがそういう病気なので、手術での入院中も付き添いが大変で、そのストレスが直接的にはウツの引き金になったようです。

 彼女自身は、精神科や心療内科クリニックをいくつか受診し薬も出してもらい、また、家事がもう無理になったので、彼女一人で実家に帰って、実家で母親の世話になっているとのこと。ご主人は一人暮らしになりますが、比較的近い場所にご主人の実家があるので、なんとかやっているとのこと。

 そうやって、半年ほどが過ぎ、今後どうするかという段階で、彼女はまだウツが治りきっていないし、早く治さないといけないと急かされるのがストレスなので、まだしばらく実家でのんびりしていたい。子供は、乳児院に預け続けたい、という風に書いておられました。

 彼女としては、赤ちゃんはとてもかわいく、面会に行くのはとても楽しみなのだけれど、自分が責任を持って育てるとなると、嫌で仕方ない、しんどくなる、との事でした。面会中に、たまたまオムツを替えなくてはいけない時があると、それがとても苦しく、やりたくない、と思ってしまうのだとか。でも、赤ちゃんはとてもかわいいのだと。

 

 この方のブログを読んで、まず思ったのが、ああ、我が子は発達障害で大変な子育てだったけれど、深刻な病気はしなかった事が、有難い事だったんだな、という事です。

 うちの子も、幼稚園の時に一度入院を経験しており、その時は私も付き添い入院しました。子供を大人しく寝かせておくことや、私自身の食事は出ない、など大変と言えば大変でしたが、なんとかなりました。多分、一泊二日という短い入院だったからで、この方の場合は四泊五日で、それがすごいストレスだったようです。

 すごく理解できるのは、子供がいると、抽象的な表現になりますが「子供の存在に常に引っ張られる」んですよね。子供を一人にしておけない、常について見守っていないといけない、とはいえ親も沢山の用事をこなさねばならない、用事をこなす際に子供を一人に出来ないので常に連れているか、もしくは寝ている隙に焦って急いでパッパとこなさなければならない。この焦りが、積み重なると相当なストレスになります。あとは、誰かに子供を見ていてもらうか。それを誰かに頼む、お願いする、という事も、ストレスなんですよね。

 

 どうしてこういう不幸が起こってしまうのかなあと考えた時、やはり高齢出産が一つの要因になってはいるのかなと思いました。この方は、あと10年早く産んでおられたら、ご実家や義実家のご両親もまだお若く、子育てを手伝って下さったと思います。40代半ばでのご出産となると、ご両親も70代半ばとなり、子育てを手伝うどころか、下手したら自分達の介護を頼みたい、ぐらいの年齢なわけで。なかなか援助は難しいです。また、お子さまの先天性の病気も、高齢出産が原因ではないとは言い切れませんし、また、ご自身の子育てに対するストレスも、加齢からくる体力低下も一つの要因だったと思われます。

 私も、なんだかんだ言って、30代で妊娠出産幼児期育児を終わらせましたので、なんとかなったんだなあと思います。30代はまだ無理がきくんですね。40代で同じ事をやれ、と言われたら、到底私には無理です。

 いつかは結婚したいなあ、とか、子供が欲しいなあ、と思っておられる方は、月並みですが、できるだけ早くにされたほうが良いなと改めて思いました。

 でも、40歳になってみて初めて、「やっぱり結婚しておきたし、子供も欲しいかも」と気が付くというパターンが意外と多いんでしょうね。こういうパターンの場合は、子育てが本当にきつくなる、という事を想定して、最初から、家事はヘルパーさんに丸投げできるよう手配をしておくとか、0歳児から保育園に入れられるように手配しておくとか、が必要なのかなと思いました。そうやって準備しておいて、でもいざ子育てが始まったら意外とやれる、大丈夫、となればキャンセルすればいいだけの話ですから。

 一番いけないのが、「夫が非協力的」とか「夫が理解してくれない」とか「夫が大変さに共感してくれない」と、夫さんを責める事だと思います。気持ちは分かります。私の場合も、子供が一番大変だった自殺も考えていた時期、夫は仕事を理由に家に寄りつかず、日曜日も仕事で家を空けていました。夫だけでなく、義親も実家の母も、私達母子を避け、なんとか子育てを押し付けられる事から逃げようとしていました(表現悪くてすみません)。義親や実家の母が、私の子供に近づいてくれるようになったのは、子育てがラクになった小学校以降です。

 そんなもんです。

 夫も、親も、最初から頼らないことです。

 夫も、親も、人間です。しんどい事は、避けたい。逃げて当たり前です。

 子育ては、逃げられない母親が、するしかないんです。

 これを、よくよく分かっておき、特に高齢出産になる方は、ヘルパーを手配するなり、保育園を確保するなりして、自分がラクできるよう、手を打っておく事が必要だと、この方のブログを読んで、思いました。

 

 この方は、結婚される42歳まで、普通にお仕事をされていたわけで、十分常識のあるちゃんとされた社会人だと思われます。そういう「ちゃんとした社会人」である女性と、「乳児院」というものが繋がらなくて、不思議な気がしました。

 乳児院というのは、社会性がなく一人できちんと生きていく事すら難しい、母親として子供を育てる事がどう考えても不可能な方に代わって、子育てを担う場所、というイメージがありました。

 社会人として20年ちゃんと働いてこられた方でも、子育てが出来なくなってしまう、病児であり高齢出産であるという事情があったとしても、尚、私にはどうしてもすんなり繋がりませんでした。

 社会できちっとお金を稼ぎ、20年もつつがなく暮らせていた人でも、「子育て」でウツになってしまうのか。。。。

 この方の過去ブログを拝見すると、女性として美しく生きる事についてしっかりとした一過言お持ちで、少なくとも「何も考えていない女性」ではないのです。平均以上に賢い方だと思われます。

 

 乳児院というのは、施設です。他人に我が子を育ててもらうわけです。

 その他人は、お金(出所は税金)をもらってその人の赤ちゃんを、代わりに育ててくれる。母親にとって子育ては無料奉仕ですが、施設の人にとってはお金を得られるお仕事です。だから、母親よりはしんどくても割り切れるし、精神的にラクかもしれない。施設の職員さん方のほうが。

 でも、我が子ですらしんどい赤ちゃんのお世話を、他人が心をこめてやってくれるものだろうか。例えばオムツ替えの時に、お尻を拭くのも足を持ち上げるのも、我が子だと思うからこそひと手間かけて丁寧に、子供に負担がかからないように気を付けて、神経使ってやるわけです。寒ければ靴下を履かせ、暑ければ一枚脱がせ、一言一言考えながら声かけして一緒に遊び、必要か必要でないかと言われたら必要ではないかもしれないそういう細かい気遣いを、施設の職員さんが、他人の子供に、どこまで親身になってやってくれるのだろうか。

 

 この方は、「赤ちゃんは、まだ小さいから、乳児院に預けてられた事なんか、忘れてしまう」と書いておられました。確かにそうかもしれません。この方は、「乳児院に預けられてラッキーだった」と書いておられます。確かにそうなのかもしれません。

 いずれにしても、その方のウツも、またお子様の病気も、無事に全快される事を祈ります。

 

 他人様のブログを拝読すると、いろいろ考えさせられます。私の人生と、私以外の方の人生が、大きく違う事に、時に気付いて考えてしまうんです。今日はこのへんで。