書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

反抗期はなかったが、思春期に不安定期はあった。

 発達障害の息子の子育てについて、思い出しているのですが、いわゆる「反抗期」というものは、無かったように思います。

 三歳前後のイヤイヤ期も無かったし、思春期の反抗とか親と口をきかない、というのもありませんでした。

 ただ、中学生から高校生にかけての思春期に、精神面で不安定になったのか、私に長時間絡み続ける、という事が頻繁にありました。

 絡む理由は、とにかく安心させて欲しい、自分の望む答えを言って欲しい、というものでした。本人が100%望む答えを、私が言わない限り、話が終わらなかったので、6時間話し続ける、という事もザラでした。

 なぜ6時間かというと、多分、人間がひたすら他人に絡み続けられる時間の限界が、6時間なのだろうと思います。

 絡まれる側の人間(私)にしたら、30分でもう限界がくるのですが、絡む側の人間(息子)の場合は、絡む事が快感ですので、延々話し続けられるわけです。それでも人間の体力の限界が、6時間なのだと思います。

 小学生の間の息子は、頭がぼんやりしていて、先の事もあまり考えられなかったので、先を考えて不安になる、という事もありませんでした。

 でも、中学生になって、頭がすっきりしてくると、先々を考えて、いちいち不安になるわけです。それで、不安を先取りしては、私にぶつけて「大丈夫。絶対にそういう事にはならない」或いは「大丈夫。絶対にあたなの希望通りになる」を、宣言してもらいたがったのです。こうやって、自分の不安を他人にぶつけて何とかしてもらおうとするところが、発達障害ならではで、親をカサンドラ化させるわけです。そうじゃない発達障害児さんも、おられるとは思いますが。

 

 私としては、精一杯息子寄りに答えて「あなたが○○すれば、大丈夫」とか、「状況が○○になればきっと大丈夫」ぐらいしか言えないわけです。でも、そういう答えは息子には通用せず、「息子本人が1ミリも努力する事なく、息子が望む状況が実現する」と私に確約させようとしてきました。それが、長時間に及ぶ、私への絡みです。

 大学生になり、これはなくなりました。有難い。本当に寿命が縮まりましたので。

 反抗期も大変だと思いますが、不安定期も相当に大変です。

 

 あと、ふと思い出したので書いておきます。

 私が息子の子育てに頑張れたのは、恐怖心もあったからだと思います。

 私が今、息子をスパッと叱ってしまったら、息子がパニックになってもっと大変な事態になるという恐怖。私が今、息子の子育てに疲弊して放置してしまったら、先々息子がとんでもない子供になる、という恐怖。

 恐怖心がとても大きかったので、私は無理やりにでも自分を鼓舞して、頑張り続けられたような気がします。体のほうはとっくに死んでいた(比喩です)ので、ただ気力だけで乗り切ったという感じです。人間にとって、恐怖心というのは相当効くようで、なんとかやれました。ただ愛情とか責任感だけでは、絶対に乗り切れなかったと思います。

 今でも一抹の恐怖心は残っていますが、この恐怖心がある意味、お守りのような役目を果たしていて、「思った事をそのまま言いたい」「ラクがしたい」「嫌な事はしたくない」「もう頑張りたくない」と逃げようとする私を、理性に繋ぎとめてくれています。

 今日は話がアチコチしましたが、息子の子育てで思い出した事をつらつら書いてみました。では皆様、どうぞ良い週末をお過ごしください。