人生に勝ち負けってあるんでしょうかね。
ふと今日、そんな事を思いました。
最近拝読しているブログに、お子様(発達障害ではない、普通の、賢いお子様)の塾事情が書かれていました。
お子様は中学生で、以前より成績が落ちている。それに伴い、塾の対応が、なおざりになってきている気がする。以前の塾は、「一緒に頑張って有名校に合格しよう」というパートナー的態度だったけれど、今は「お金を落としてくれるただの客」としか見られていないのを感じる、と。それを悲しく思う、と。子供の学力で、親がこうまで馬鹿にされるのが辛い、という感じの事を書いておられました。
翻って我が家の息子を考えると。確か小学生の頃でしたが、全国一律学力試験、というのがありました。学校ごとの学力を把握する為に、国が主導で行うものでした。試験の前日、教頭先生から電話があり、「お子様は明日、試験受けられますか?」と聞かれました。言外に、「全体の学力が下がるから、おたくの子供は欠席してくれ」と言われたのだと解釈しました。そこまでハッキリ仰いませんでしたが、そういうニュアンスでしたし、私が「休ませます」と答えるまで、教頭先生は電話を切ってくれませんでしたから。
こういう事が、息子を育てている中で、多々あり。確かに、子供の学力が低いと、親は周囲から馬鹿にされる、というのは事実だと思います。
でも、子供の学力は、親次第で伸ばせます。だから、今、学力が低くても、地道に親が頑張れば、ある程度は上げる事が出来ると、私は自分の経験上思います(偉そうですみません)。
親が頑張る、というのは、口だけで「勉強しなさい」と怒るという事ではなく、塾に毎日行かせる、という事でもなく、子供が勉強しやすい状況を作る、という事です。
何からどう勉強していったらいいのか、その道筋を具体的に作成し、材料を揃え、子供が実際にやりやすいように整える。子供が分からない所は即座に聞けるように親が前もって予習しておく。親が予習!?と思われるかもしれませんが、少なくとも大卒の親であれば、中学生までの勉強は、その気になれば教えられます。ただ、とても大変ですが。
結局、何が言いたいかというと、子供の学力が下がる事も上がる事も、自分のやり方生き方次第だと言いたかったのです。
人生にもし勝ち負けがあるとしたら、そして、それにどうしても勝ちたいのであれば、最終的に勝てればいいのであって、途中経過はどうでもいいし、結局自分のやり方生き方次第だと思います。工夫する事や努力を、楽しむ事ができたら、そこそこ幸せにいけるのではないかと思います。
第一志望の大学には落ちましたが、今の息子は、今の大学で楽しそうです。勉強する内容も変わらないし、家からも近いし、今の大学のほうが偏差値が低いのですが、入学してしまえば、あまり変わりません。最終的には資格を取る事になるので、大学名は人生に影響ないし、もしどうしても一流大学の大学名が欲しければ、大学院を受け直すという方法もあります(やらないと思いますが)。
受験シーズンですが 、あまり「ここしかない」と思い詰めず、勝ち負けにこだわらず、どこでも行けるところに行く、ぐらいの気持ちでいると、良い結果になるような気がします(他人事ですみません)。ただ、「自分が」努力する。自分以外の人間ではなく、「自分が」努力する。そこだけは大事に続ける。そうすれば、人生悪いようにはならないと私は思います。