書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

実質、幸せに続くほうを、常に賢く選択する。

 アメブロ発達障害界隈で、若干の炎上が起こっているようです。

 発端は、発達障害上位ブロガーさんの、こんな発信でした。

「子供が特別支援学校に行かねばならないと言われたら、人間ではないと言われたように感じる」。

 このブロガーさんのお子様は現在小1で、就学時に特別支援学校に行くべきとの判定を受けていました。が、ブロガーさんは、お子様を、小学校の支援級に行かせる事にされました。

 で、この12月に支援級での個人懇談があり、担任の先生から「この学校には、支援級が4クラスあり、4クラス全体で補助員さんが1人だけいる。お宅のお子さんは、その1人だけいる補助員さんを常時(98%)独占している。何故ならば、他害や異食があり、食事や排泄が自立出来ておらず、授業中の立ち歩きもあり、目が離せないからだ」と言われたそうです。

 それを聞いても、件のブロガーさんは、来年度もお子様を小学校の支援級に引き続き通わせると書いておられました。どうしても支援学校には行かせたくない、と。そして、上記の「子供を支援学校に行かせるのは、我が子が人間ではないように感じて悲しいから」と書かれたのでした。

 上位ブロガーさんだけに、この発信は物議を醸し、発達障害界隈で小規模ながら炎上しました。お子様を支援学校に行かせているご父兄は、当然ながらご不快に感じたでしょうし、そうでない第三者の方々も、不適切な発言だと感じられたようです。

 ご自身の発信が非難されている事について、件のブロガーさんは「支援学校の生徒さんを批判したつもりはない」と発言されていました、、。さすがにそれは通らないかなあ。

 

 私は、子供を小1から普通クラスに通わせました。中度の発達障害児なのに、それが可能だった理由は、大人しく1時間座っていられたからです。他害もなく、身辺自立も出来ていて、他人に迷惑をかけなかったからですね。担任の先生の手を煩わせる事がなかったからです。

 普通クラスに座っていても、勉強には一切ついていけませんでしたが、勉強については、帰宅後私が教えていました。息子は、私以外の人から教わっても、頭に入っていかなかったです。息子の理解ポイント(アプローチ)はとても狭い為、普通に教えても意味がなかったように思います。

 息子は、普通クラスに通えたおかげで、今、専門職を目指して大学に通えています。もし、支援級や支援学校に通っていたら、息子の夢は叶わなかったでしょう。

 なので、件のブロガーさんが、小学校にこだわるお気持ちは、私にも理解できます。

 

 でも、希望は希望。現実は現実です。

 支援級のマンパワーをほぼ一人で独占するような状況のお子様を、無理やり支援級に通わせる事は、どう考えても適切ではありません。批判されても仕方ないと思います。

 また、いくらご自身が支援学校を否定的に捉えておらえたとしても、「人間ではない」とまで言うのは、配慮に欠けた行為だと言わざるを得ません。

 どうしても支援級に行かせたいのであれば、身辺自立を完成させ、他害や異食を起こさないように療育してからにせねばなりません。1時間大人しく座っていられる事も必要です。勉強よりも、まずはそれに集中すべきです。

 但し、それを身に着けさせるのは、並大抵のことではありません。親も子供も、相当ストレスがたまります。下手すると、親がウツになり、子供には二次障害が出るかもしれません。それほど、大変な事です。しかも、そこまでやっても、身につかない可能性のほうが高いでしょう。それが「障害」というものです。死ぬほど頑張っても、出来ないものは出来ないです。

 でも、それが出来なければ、残念ながら、支援級は不適切でしょう。何故ならば、小学校の支援級は、普通クラスより人数は少ないとはいえ、担任の先生は一人だけだからです。手薄なのです。支援が手薄でも大丈夫なお子様しか、行けないのが小学校というところです。

 身辺自立不完全で他害や異食があるお子様を、支援級に行かせるのは、間違っているし、行かせる理由として「支援校は人間の行くところじゃない」と発言してしまうのは、論外だと思います。

 

 ただ、彼女の発信に怒ってもなあ、、、という思いもあります。いずれにしても、発達障害児を育てていれば、人間以下の扱いを受ける事など日常茶飯事だし、そもそも世間一般では、障害者=人間ではない、と考えている人も多いです。これが現実です。いちいち傷ついていては、生きていけません。発達障害児の親は、ナイーブではいられませんから。

 怒っている方々のお子様は、まだそこまで大きい方はおられないようですが、発達障害児を成人するまで育ててみると、現実社会はもっと冷たく残酷だという事を、経験されると思います。

 人間以下で結構。

 馬鹿にされて、おとしめられて、結構。

 そうはらをくくったほうが、賢いと私は思っています。

 大事なのは、現実に、我が子が幸せになる事です。他人からなんと言われようと、我が子が幸せであり、今後も幸せであり続ける事が全てです。

 

 もし、私が息子を支援学校に通わせていたとして、件のブロガーさんのような「支援学校生は人間ではない」発言を聞いたとしても、別に何とも思わないと思います。

 ああ、そういう風に考える人もいるよね、それが現実だよね、と思うだけです。

 

 発達障害児が支援学校に通うメリットは沢山あります。自立に向けて手厚い指導をしてもらえるという事、卒業後の就職が充実しているという事、障害界隈の情報が沢山入ってくるという事、子供が無理なくストレスなく通えるなど、他では得られないメリットです。

 健常児が、色々大変な思いをして学校に通い、受験戦争をくぐりぬけ、就職戦線をくぐりぬけ、過酷な仕事をこなすのと、単純に比較は出来ませんが、むしろ安定して平和な人生かもしれません。

 ですが、支援学校を知らない人からしたら、「障害児なんですね、おかわいそうに」と思われるでしょう。別に構わないのです。実質、「おかわいそう」ではないのですから。

 実質、幸せに続くほうを、常に賢く選択していれば、他人がどう言おうと、どうでもいいと思えるのではないでしょうか。

 

 件のブロガーさんの発信は、障害児への偏見を助長するから宜しくない、というご指摘や、障害児親が子の進学先を冷静に決められなくなる、というご指摘などを拝見しました。

 確かにそうだと思う反面、そのブロガーさんの発言があろうがなかろうが、すでに社会には障害者への偏見は大いにあるし、支援校へ進学すれば障害者として生きる道しかないのは事実です。

 障害児の親は、子が5歳の時点で、子の将来を決めなければなりません。苛酷です。障害者として生きさせると腹をくくり、子に無理ない進学先として特別支援校を選ぶ。また、健常者の中で生きさせると腹をくくり、小学校に進学させるほうを選ぶ。

 どちらも苦渋の決断です。そしてどちらも茨の道です。そして、どちらが正解だったのかは、子供自身がその人生を終える時に初めて分かるでしょう。いえ、最後まで分からないかもしれません。

 

 茨の道ではありますが、そして発達障害者が、どこまで「幸せ」に生きられるのかは分かりませんが、私は出来うる限り、可能な限り、息子を支えていきたいと思っています。親が出来るのは、それだけじゃないでしょうか。社会から偏見をなくすとか、支援校出身でも健常者と同様に自由な将来設計が出来るとか、、、は現実問題、無理でしょう。無理なことを、無理ではないように言うのは、私はよくないなあと思います。

 ただ、いつも書いていますが、発達障害として生きる事は大変なことなので、発達障害は生まれないほうが良いと思うし、現段階で発達障害有る無しが事前に分からない以上、子供は産まないほうがよいと、個人的には強く思っています。