書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

源九郎稲荷神社、優しく賢く。

 先日、奈良の源九郎稲荷神社に行って来ました。緊急事態宣言中なので、かなり気が引けたのですが、どうしても行きたくなって。

 お天気もよく、清々しい風が吹く中で、久しぶりの参拝で、とても気持ちが良かったです。

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 以前、私の足の不調についてお願いしていたので、お守り頂きお陰様で全く困らず生活できていますとご報告し、お礼を言いました。今回は、こういうご時世ですので、コロナワクチンの副作用から家族を守って下さるよう、お願いしました。

 拝殿の横にベンチを置いて下さっているので(この神社は、参拝者が寛げるように、椅子を沢山置いて下さっています)、そこに座って、ダラダラと息子の事など(神様に)お話ししました。とても心が落ち着きました。

 源九郎稲荷神社だけでなく、そもそも神社参拝自体が本当に久しぶりだったので、「ああ、神社参拝って気持ちいいなあ」とつくづく感じました。

 人心地ついて、花一杯の境内をぶらぶら歩きました。

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 上手に撮れなかったですが、朝顔が綺麗に咲いていました。

 今日は社務所に人がおられたので、この神社では初めてになりますが、おみくじを引いてみました。100円。良心的です。出たのは小吉。以下の内容。

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 運自体は大吉だけれど、それは心がけが良かった場合のみである。なので、小吉にしておいた、というような内容でした。

 わ~。見抜かれている、、、。私のダラけた程度の低い心根を見抜かれている、、、。一瞬で背筋がシャンと伸び、「しっかりしよう。良心に従って生きよう」と思いました。

 おみくじは、この赤い傘の下の、ベンチに座って読んだのですが。

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 私が背筋をしゃんと伸ばした瞬間に、背中をポンと叩かれました。「え?」と思って振り返りましたが、誰もいません。どういうこと??と思って、立ち上がると、私が座っていたベンチに、一枚の葉っぱが。

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 この葉っぱが上から落ちてきて、私の背中に当たったようです。赤い傘は顏の前にあって、背中は傘から出ていたんですよね。だから上からの木の葉が当たったのだろうと思うのだけど、なんというタイミング。

 

 あと、またしてもアゲハ蝶が沢山飛んでいました。ここのアゲハ蝶は、黒地に緑の羽です。綺麗なのですが、飛ぶのが早すぎて写真に撮れないのが本当に残念。

 

 見て頂いてわかるように、参拝者は全くおらず、社務所の方も「コロナのせいで、参拝者が減った」と嘆いておられました。そうですよね。私も、来るのにものすごく躊躇しましたから。難しいですね。

 私はかなり長々と境内にお邪魔していたのですが、その間来た参拝者は、私と同年代の女性が一人だけでした。その方も、おみくじを引かれたので、きっとこの赤い傘の下のベンチに座ってお読みになりたいだろうと思い、帰る事にしました。

 

 帰り道は、またしても遊歩道をお散歩しました。この遊歩道、とても和みます。一番和むスポットのベンチに座って、空を見上げました。

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 はあ~~。と大きな深呼吸。ここにも、黒地に緑のアゲハ蝶が沢山飛んでいました。何気に上を見上げると、木の梢の間にも二匹、仲良く飛んでいたので、写真に撮ってみました。分かるでしょうか。中央の枝がV字に分かれた左側にいます。一匹しか写っていません(涙

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 やっぱりうまく撮れないなあ、、、と悲しく思っていたら、一匹のアゲハ蝶が、私の目の前の地面に、来てくれました。おおお!これは撮れるのでは?と思い、シャッターを切りました。

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 嬉しがって一杯撮りました(笑)。何もない地面に、じーっと止まってくれていた蝶に感謝。とてもかわいい。癒されました。

 

 座っているベンチは、木陰でとても涼しく、風が気持ちよく、いつまでも座っていられそうです。お尻に根が生えたのかと思うほど、かなり長く風に吹かれながら座っていました。

 この時、「死ぬ」という事を考えていました。最近読み直した篠田節子さんの「聖域」に影響されているのですが、死んだ後の魂は、我がなくなり、すべてに散らばっていくのかもしれないと。この木の枝にも、光にも、蝶々にも。懐かしい死んだ人の魂は、今私が見ているこの花にも、その水滴にも、流れる雲にも、広がっているのかもしれない。私が死んだ後も、私という我がなくなって、すべてに溶け込んでいくのだとしても、それはそれで嬉しいかもしれない、と思いました。

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 私は今56歳なのですが、これからの残りの人生が、同時にとても嬉しく思えました。まるで、ホールのイチゴケーキ丸ごとを抱えているような。

 記憶というのは、嫌なことをそぎ落としていくものだと言いますが、確かにそうで、今までの人生も全て良かったなあと思えました。学生時代はそれなりに勉強したし、社会人として働いたし、結婚して子供を産んだし、そして必死で育てたし。今はそれらがほぼ全て終わり、後はホールのイチゴケーキのような時間が残っているという嬉しさ。

 残りの人生をどう生きたらいいのだろう?とぼんやり楽しく考えていたら、「優しく、そして賢く」という言葉が頭に浮かびました。おみくじにもありましたが、良心的に生きるという事がまず何よりも大事で、でもそれだけでは生きていけませんから、同時に賢くもあらねばなりません。賢いというのは、「ズルい」とか「こすからい」、という事ではなく、引くべき時に引けたり、耐えぬくべき時に耐えたり、という事も含む。そして、優しさを持って人(特に家族)に接するという事が、きっと私の残りの人生を、良いものにしてくれるのだと思いました。

 

 なんとも言えない幸せな気持ちで、テクテク遊歩道を散歩し、広い空と流れる雲と、揺れる梢と涼しい風を、心行くまで堪能してから、家路につきました。

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 源九郎稲荷神社に参拝すると、いつもとても癒されます。また行きたいです。

 

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