前回、在家で出家する人が増えているが大丈夫か?というテーマで書きました。今日はその続きになります。
なぜ、私が「大丈夫か?」と思うのかと言えば、在家であろうとも出家すれば曽呂という立場になるからです。出家とは、見えない世界における、仏様との契約になります。
曽呂とはどういう立場かと言えば、一般の人間と、仏様とを繋ぐ立場の人間です。つまり、一般人と仏様との間に存在する事になります。一般人よりも、仏様に近い存在になります。
え? それって良い事では?と思うかもしれませんが、逆なのです。
悪い事をするとバチが当たる。これは多くの人が経験した事があると思います。罰を当てるのは、神仏ではなく、その下で働く眷属だったり、また神仏とは別の存在である宇宙神(言葉が無いのでとりあえずこの言葉で代用)だったりします。神仏は、人間にバチを与える存在ではなく、人間を救って下さる存在なのですが、だからといって油断して、何をしても許されるわけではないのは、このせいです。
特に、この世界全体宇宙全体のバランスを取っている宇宙神(言葉が違う気が~)は、人間の悪を見逃しません。極端に悪い事をした人間には、必ずどこかの時点で、ペナルティーを与えます。
ただ、人間が生まれながらに煩悩を持っているのはこの世界の折り込み済み事実なので、私達人間が、煩悩に負けて、様々な悪を行ってしまっても、余程の事がない限り、見逃されます。逆に、見逃せない悪を行ってしまった場合は、必ずペナルティーが下されます。
で、出家した曽呂の場合ですが。
曽呂は、仏様に近い人間です。つまり、普通の人間とはペナルティーの基準が異なるのです。普通の人間なら許される軽度の悪も、曽呂には許されません。今まで見逃されてきたレベルの事も、曽呂になった後は、どんどんペナルティーの対象になります。
仏様に近くなった分、許される悪の基準値が、厳しくなるのです。
例えば、ちょっとしたマウンティング、傲慢さ、気ままさ、人を傷つけるちょっとした言動、人に迷惑をかけるちょっとした言動。人間なら仕方ないと許されてきたそれらも、在家とはいえ出家した後は、許されません。ペナルティーの対象になります。
立場が上がれば、その高い立場にふさわしい存在である事が求められるのです。当たり前ですが。
出家した有名人が、出家した後にパタッと消えてしまうのは、このせいだと思います。出家した後、生まれ変わったように自分に高い自律を課し、言動生き方全てを改める事が出来た人の場合は、出家後も大丈夫でしょうが。
私が、在家とはいえ気軽に出家する人に対して、不安を感じてしまうのは、こういう理由からです。
まあでも、とにもかくにも、どんな立場であっても、人を傷つけない事、偉そうにしない事、傲慢にならない事、自己中心的にならない事、当たり前のそれらを、守っていればまあ大丈夫なんですけども。普通の人間には、これらの当たり前が、なかなか難しい。。。
ではまた~