書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

「そういう人」枠

 わざわざ誰かを、「敵認定」する必要はない、と私は思うんでよね。唐突ですが、今日はそういう事を書きたいと思います。

 自分にとって理解不能な言動をする人や、逆にすべき言動をせずにしれっとしている人、或いは自分を攻撃してくる人を、「敵」と認定し色んな意味で攻撃する。これ、必要なのだろか。

 多分、必要不必要関わらず、多分自然に、自動的に、敵認定してしまっているのだと思うのです。攻撃されたから攻撃し返す、当たり前、みたいな。そうしたほうがスッキリするから、みたいな。

 でも、そうしていると、自分の周囲に敵を一杯作る事になります。あまり良い環境ではなくなります。

 自分にとって理解不能な言動をする人や、逆にすべき言動をせずにしれっとしている人、或いは自分を攻撃してくる人がいたとしても、あえて「敵認定」せず、「そういう人」枠に入れて終われば良いのでは、と思うのです。

 

 敵、と認定してしまうと、無意識に攻撃したくなるし、相手に対してあからさまに好戦的になってしまいます。自分を正義の側に置き、相手を悪の側に置き、被害者意識を持って相手と対応してしまいます。

 けれど、そういう人達を、「そういう人」枠に入れてしまえば、好戦的な気持ちや、被害者意識を、持たずに済みます。

 ただの「そういう人」なので。相手は、自分とは違う世界に住んでいる人、と思えるので。世界が違えば、戦う事はできないので。

 私は専業主婦なので、仕事上関わりたくなくても関わらねばならない、という人間関係がありません。だから、こういう事が言えてしまうのかもしれません。でも、私とて、関わりを絶つ事ができない人間関係の中に「何なんこの人!理解できへんわ!」とイラっとさせられる人はいます。ついつい、「敵認定」したくなる。

 いったん敵認定してしまうと、自分を被害者の立場に置き、相手に対して構える事になり、ただでさえ悪い関係が、もっと悪くなってこじれていきます。

 だから、理解できない人がいたら、「そういう人」なんだとだけ思い、淡々と「そういう人」枠に入れ、余計な感情は入れずに、自分はやるべき事をただ淡々とこなす。それが平和に生きていくコツではないかと思います。現実的には、そういう人とは、離れる、出来るだけ接点を持たない、という対応になるのだけれど、被害者意識を持って離れるのではなく、淡々とタイミングを計って離れるほうが、トラブルは少ないです。

 

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