書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

批判してくる人の側に問題がある、という考え方について。

 引き続きまして、その3「相手が自分を嫌っている時、問題は自分にあるのではなく、相手にある」という考え方について、今日は書いていこうと思います。

 この考え方は、流行りの自己啓発の方々には馴染みのあるもので。これを仰っていた方は、つい最近、田舎に新築の家を建てた、一人暮らしの50代女性です。

 

 少し彼女の状況を説明しますと、こんな感じ。

 彼女の家は、こだわって作った目立つログハウスで、数千万円のローンを組んだそう。

 引っ越し予定の9月に入っても、家は出来上がっていたものの、外溝や駐車場手付かず。引っ越ししてきた段階でも、やっと駐車場に取り掛かった所だったとか。

 工事車輛は、大きなトラック2台ですが、家の前の道路に路駐されており、更に彼女自身の大きな外車も、駐車場がまだ出来上がっていない為に、路駐していたそうです。

 そしたら先週、彼女がその家に引っ越してすぐの日ですが、家の前に、ゴミがまとめて捨てられていたのだそう。

 ゴミの中には、「ここに駐車するな。迷惑だ。非常識」と書かれた紙や、犬の糞、家庭から出る生ゴミ等が、あったそうです。

 彼女は「淡々をそれらを片付け、気にしない事にした」そうです。

 家の前の道路は広くて、トラックが路駐していても、他の車の通行は可能だし、工事車輛を他にとめる場所がないから仕方ない。路駐が駄目だと言っても、梅田あたりに行けば、路駐だらけじゃないか。この程度の路駐、問題にするほうがおかしい。ご近所には、工事前に、工事業者と共に、タオルを持って挨拶に回った。その時、色々工事でご迷惑おかけしますとことわりも入れてある。

 これが彼女の言い分でした。

 

 その上で、彼女は、上の言葉を言ったんですね。

相手が自分を嫌っている時、問題は自分にあるのではなく、相手にある」と。

 現時点での彼女の状況に合わせて言えば、彼女の家の前にゴミを捨て「路駐するな」と書いた人は、彼女に問題があるかのように思っているだろうが、本当はそうではなく、問題は、その人側にあるのだ、と。

 こうやって他人に嫌がらせしてくるような人間は、自分自身に問題を抱えていて、その鬱憤を他人を攻撃して晴らしているだけなので、そういう人を相手にしてはいけない。

 他人から攻撃されたら、自分に問題があるのかと思ってしまうが、そうではなく、攻撃してくる人間側に、問題があるのである。だから気にする必要はなく、こちらが無視していれば、攻撃対象は別の人に移っていくから大丈夫。

 

 彼女はそう言っていました。

 

 でも、この場合、路駐という違反をしているのは、どういう事情があれ、彼女側なんですよね。家の前にゴミを捨てるというやり方は、褒められたものではありませんが、とはいえ、彼女に問題がない、と言い切ってしまうのも、どうかと思いました。

 

 他人から非難されたり攻撃されたりした時、問題は自分には無い、としてしまうと、とてもラクです。反省や改善をする面倒はないし、プライドも高く保てます。

 でも、自分側に問題がある場合に「常に、問題は、非難してくる相手側にある」と決めつけてしまうのは、危険だと思います。

 だって、そんなはずはないからです。

 世の中には、正当な批判は存在します。上の彼女のように、彼女が路駐しているという事実は、批判されるに値します。「工事中だから仕方ないだろう」と、涼しい顏で澄ましていて良いはずありません。

 

 彼女は、田舎暮らしに憧れ、田舎に一軒家を建て、都会の賃貸から引っ越して来ました。一人暮らしの50代女性です。これからそこで、一生暮らすのです。

 田舎のご近所付き合いというのは、人間関係が悪くなると、ほぼ地獄だと聞きます。

 新参者である彼女は、いきなり大失敗したんじゃないかと、私は思いました。

 それでも、新参者らしく、「何も知らず、気が利かず、申し訳なかった」と頭を下げてご近所に詫びを入れれば、まだ改善の余地はあった。

 なのに、今流行りの「相手が自分を嫌っている時、問題は自分にあるのではなく、相手にある」という考え方に染まっている彼女は、「悪いのは、私じゃない」と澄ましている。

 大丈夫、、、?と、他人事ながら、怖くなりました。

 

 彼女の家が建っている場所は、ずっと長らく空き地だったそそうです。彼女の家は、大きな2階建てログハウス(屋根裏部屋付)で、軒先を並べるように北側に隣りの家があります。

 つまり、お隣りさんは、彼女の家が建った事により、南からの採光と広々した田舎の眺めの2つを、奪われた形になります。

 その上、彼女のログハウスには薪ストーブを設置しており、冬は薪を燃やすのを楽しみにしているのだとか。薪ストーブの煙の臭い公害は、ご近所トラブルの筆頭。これも、大丈夫なのでしょうか。。

 

 誰かから批判されたり、攻撃された時、「悪いのは相手」と割り切るのは、自分の心を守る為には正しいやり方だと思います。でも、正当な批判さえも受け取らず拒否する事は、結局は、自分の首を絞めるだけだと感じています。

 私だとて、人から批判されるのは好みません。でも、批判されるにはそれだけの意味があるのだと、苦しくてもまずは受け取り、内容をしっかり吟味する事にはしています。そして、自分に悪い点があれば、そこは頑張って反省し改善します。相手のほうが「より悪い」からと言って、自分の悪い点が、相殺されて消えるわけではありません。

 相手にも悪い点があったとしても、それはそれ。自分にも悪い点があるなら、自分の悪い点だけは、謝って反省し改善します。

 

 上の彼女の例でいえば。

 相手も、他人の家の前にゴミを捨てる等という行為は悪いわけです。でも、だからといって、彼女が大きな工事車輛2台をずっと路駐させているという「悪さ」は、相殺されません。

 彼女は多額のローンを組んで家を建ててしまったので、その田舎で、これからも暮らしていかねばなりません。流行りの「私を批判してくる人は、その人自身に問題があるのだ」とか、「私を批判してくる人は、私を嫉妬しているのだ」とかの自己啓発は、田舎では通用しないと思います。どうなるのでしょうか。