書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

元事務次官の長男殺害について更に思う事。

 前回、前々回の記事に、更に付け加えです。今回は、私が一人でつらつら考えている事を。

 病気に対して、昨今は、「治療」より「予防」の重要性が唱えられています。病気になってしまったら勿論治療が大事ですが、そもそも病気にならないように日頃から予防に気を付けるほうがよい、というような感じ。

 発達障害は障害なので、病気ではありませんが、同じ事が言えるのではないかと思うのです。

 発達障害児を不適切に育てて社会で生きられなくしてしまってから、つまり問題が噴出してきてから初めて、「どうやって支援するか。どうやって助けるか。専門の機関を作って云々、、、」というのは、必要だとは思うけれども、順序としては後だなと思うのです。問題を起こした発達障害者を助ける組織を作る事は、治療に当たる部分だと思うからです。

 不適切に育てられ、こじれにこじれてしまった発達障害者の精神疾患を、社会で生きられるまでに治療(?)するのは、大変に困難です。健常者が病気になったのとはわけが違うからです。どこまでが精神疾患からきている問題(よって治癒可能)で、どこからが障害からきている問題(よって治癒不可能)なのか、見極める事はほぼ不可能だし、幼い頃から不適切に育ってきてしまった長い長い年月によって、歪められた認知を、正しくするのは、これまたほぼ不可能だと私は思います。

 だからこそ、元事務次官は誰にも相談しなかった。誰にも長男を救えないと分かっていたから。行政のプロである彼には、今の日本の福祉では、長男をどうする事もできないと分かっていたのだと思います。

 これから新たに、精神に問題を抱えた発達障害者を救う為の福祉施設を作ろうったって、なかなかうまくはいかないでしょう。何故なら、認知が歪んでしまった彼等は、自分を親身になって助けてくれる人間を、助けてくれる距離まで近づいてきた人間ほど、恨み傷つけようとするからです。逆恨み、八つ当たりそのものですが、彼等にはその理不尽さが分からないのです。精神を病んだ全ての発達障害者が、他害するわけではなく、逆に自害する人もいますが、いずれにしても、救う事は厄介極まる仕事になります。誰が好き好んで、そんな苦行をしてくれるでしょうか。

 

 それよりも、予防。何よりも予防。発達障害児が生まれた時点で、障害に気が付いた時点で、適切な子育てに切り替えるしかありません。それにはとてつもない手間暇と忍耐体力気遣いその他が必要となりますが、やらないという選択肢はあり得ません。そのぐらい割り切って、適切に育てる事で、二次障害である精神疾患を防ぐ事ができる。

 不適切に育ててしまって精神疾患を起こさせてしまってから救う事を考えるのではなく、そもそもの最初から適切に育てる事で、精神疾患を起こさせないように予防するのです。

 

 今、この事件について語っている人はみんな、「どうやって彼等を救うべきか」という治療についてばかり話しているように思いますが、それでは何も変わりません。誰にも彼を救えないからです。

 それよりも、「どうやったら、彼等を精神疾患に至らせないようにするか」を考えるべきだと思います。

 それには合理的方法など何もなく、世話をする大人(たいていは母親)が、泥臭く無私の忍耐で献身するしかないわけです。ただ、発達障害児の育て方については、以前よりずっと情報が増えてきました。以前は正しいと言われていた「全面受容」が、実はよくないという事も分かってきました。

 医療機関には、ぜひとも、最新のより正しい育て方を発信して頂きたいと思います。それがこの問題を解決する、一番の方法だと思います。

 生まれた発達障害児を、より適切な方法で育てるという事、それが、今回の悲惨な事件を防ぎ、第二第三の事件をうまない、唯一の方法だと思います。

 

 ここからは完全に、私の私見で、極端な意見だと分かっていてあえてかきます。

 私の見て来た経験や、人から聞いた話、読んだ本などから考えるに、やはり発達障害は遺伝です。しかも、前々回の記事に書いたように、代を追うごとに障害特性は強く出るようになります。親から子へ、或いは一つ置いて、祖父母から子供へとか、叔父叔母から姪甥へ、などステップ遺伝する例も見ます。いずれも、下へ行くにつれて、重度になっていきます。血縁が途絶えればそこでリセット。でもまたどこかの家系で何らかの理由で発達障害の気を持つ人がぽつんと生まれ、代を追うごとに濃くなっていく。ある程度濃くなれば結婚する事も子供を持つ事も不可能になるので、そこでまたリセット。でもまたどこかの家系で新たにぽつんと。。。これの繰り返しだと感じます。

 これについてはぜひとも研究して頂きたいと思いますが、研究結果が出そろうまでには相当な年月がかかるでしょう。その研究者一代で結果が出る事はないですから、研究したいと望まれる方は出ないかもしれません。発達障害はマウス等での実験ができませんから。

 

 もし、自分が、もしくは親族の誰かが、普通よりもかなりマイペースであれば、自分の子供に発達障害が生れる可能性があります。これを全ての人が、知っておくべきです。その上で、出産するなら、発達障害児でもちゃんと育てられるという強い覚悟を持たないと、自分の身に今回のような悲惨な事件が降りかかる可能性があります。 

 私事で恐縮ですが、私の親族に発達障害は一人もいません。夫のほうもそうです。ですが、どちらかといえば私の父はマイペースだし、私も姉もどちらかといえばマイペースです。私は社会生活で困った事はありませんが、どちらかといえば、一人でいても寂しくないし、一人を気楽に感じるタチです。そして私も姉も、発達障害児を産みました。産んですぐに発達障害だと分かったわけではありません。私は息子が2歳の時に気が付きそこから子育てを切り替えましたが、姉は娘が20歳になるまで気づかず、イジメや不登校を放置してこじらせてしまいました。

 これは、我が家だけに起こっている状況ではなく、発達障害児を産んだ人の多くが、同じような環境です。親族に発達障害者は一人もいない、親もしくは自分が少しマイペース、そして生まれた子供が発達障害、という。

 みんながみんな、まさか自分が発達障害児を産むなんて、思ってもみなかった!と言います。私もそうです。身内に障害者など一人もいないのですから。青天の霹靂です。でも、慎重に注意深く親族を見渡してみれば、確かにマイペースな人がいる、自分も(もしくは親も)そうだ、という事実に気づいた時には後の祭り。

 子供が欲しいのに子供を持たないという選択をした人生は、ある意味、地獄でしょう。でも、地獄にも濃淡があります。発達障害児を育てる人生は、より濃い地獄なのです。確実に起こる薄い地獄と、起こる可能性のある濃い地獄を比べて、どちらを選ぶのか、という選択なのです。

 そういう事を、すべての人が、しっかりと考えてから子供を産み、育てるように人の意識を変えていかないと、こういう事件は減らないし、むしろこれから増える一方ではないかと私は思います。

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