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元事務次官の長男殺害事件について息子と話してみた

 昨日書いた記事の続きになります。

 元事務次官の長男殺害のニュースがテレビで流れていたので、たまたま一緒にいた息子と、それを見ました。息子は自分の身に置き換えて、興味深く見ていました。

 ニュースを見終わった後に、息子が、「父親と長男と、どっちが悪いの?」と聞くので、「どっちも悪かったのだと思うよ」と私は答えました。その上で、以下のように説明しました。

①父親は、長男が小さい頃から生きづらさに苦難している時に、親身になって助けてやらなかった。発達障害だと知らなくても、普通の子ではない事は一緒に暮らしていたら分かるはず。それでも、健常児並みに扱い、出来ない事を許さず、イジメに遭っても適切な助けをせず、勉強して良い仕事につく事を要求した。こういう不適切な子育てをされると、発達障害児は必ず二次障害を起こして精神疾患にかかる。

②長男は、発達障害にも関わらず、親から不適切な子育てをされて、辛い日々をずっと送っていた。そこは同情できるけれど、小さな子供のうちはまだしも、成人してからはもう少し、自分で自分のことを、真剣に考えるべきだった。病院にも通っていたわけで、自分がどういう人間で、どういう風に生きればいいのか、人に褒められるとか自慢できる自分になる事を望むのではなく、どうしたらなんとかギリギリでも「生きていける人間」になれるのか、そこを謙虚に地道に考えるべきだった。親が助けてくれないなら、担当医に、担当医が助けてくれないなら福祉行政に、とにかく助けてもらえる人を必死でなりふり構わず探すべきだった。何もかも親のせいにして、親を責めれば自分はラクだけれど、そういう弱さはどんどんエスカレートしていき、まともな(自分にとって苦しい)ものの考え方ができなくなっていく。この長男も、親にだけ頼らず、自分でなんとか生きていく道を真剣に探すべきだった。

  

 次に息子は「父親は、どうして長男を殺したの?」と聞くので、私は「理由は3つあると思う」と言って、また以下のような事を息子に言いました。

①同居を始めた途端に、長男から「殺すぞ」と言われ、実際にひどい暴力を受けたので、このままだと本当に殺されるという恐怖から、いわば正当防衛のような気持ちで、長男を殺した。

②もし長男が自分を殺したとしても、自分を殺しただけで満足するはずはなく、逆に自分を殺した事で人を殺す事への心理的ハードルが下がって、人殺し欲がエスカレートしていくだろう。隣りの小学校の運動会の騒音に対して腹をたて「うるさい。殺す」と言っていたことから、自分を殺した後、小学校へ行って生徒さんを殺しかねない。自分が殺される事ですべてが解決するならいいが、そうはならない。長男が他人に危害を加える前に、長男を殺してしまわないといけない。

③長男は44歳にもなって無職で、職につく意欲もなく、日々の生活もまともに自力ではできない。親が助けてやらないと生きていけない状態。将来自分達親が死んだら、長男は生きていけず苦しむのは目に見えている。そうなる前に、今のうちに殺してしまったほうがいい。

 

 以上のような計算が、元事務次官の父親の頭の中に、あったのではないかと、これは私の推測ですが、思いました。なので、そう息子に言いました。

 言った上で、「それでも、どちらがより悪いかといえば、父親だと思う。その理由は、父親が長男を殺したから、ではなく、父親が長男を適切に育てる義務を怠ったから。でも、父親自身が、おそらく発達障害の傾向があり、若干自閉的傾向があって、他人の気持ちが分からない人なのだと思う。子供の気持ちを汲んだり、子供の立場にたって考えたりする事ができなかったのだと思う」と言いました。

 

 息子は「僕は2歳から病院に行っているし、療育にも行っているし、お母さんは怒らないで優しいし、学校でもイジメられたらすぐにお母さんや先生が助けてくれたし、だからこの長男のようにならなかったんだと思う」という内容のことを、訥々と言いました。また「でも、僕も、危ない事が何度もあったよね。お母さんの事を叩いたり噛んだりした事もあったし、何時間もお母さんに絡んだ事もあったし、担任の先生が休むというだけで学校を休もうとしたし。あの時、それは駄目だとお母さんに言われてすごく腹がたったけども、言われてああいう事を止められたから、今、エスカレートしてないんだと思う。僕も、ちょっと間違ったら、この長男のようになっていたと思う」と我が身に照らして、色々考えているようでした。

 

 私も息子も、本当に、薄氷の上をおそるおそる歩いているような人生です。一歩間違ったら氷の下に落ちてしまう事が分かっている。今までは、それが分かっていたのは私だけでしたが、今では息子にもそれが分かるようになってきました。

 かわいそうですが、それでも、自分がどういう人間か、という事を自分できちんと把握する事は、自分を守る事にも繋がります。

 息子は、自分が発達障害であり、どういう弱点があるか、という事を、しっかり理解し、だから他人がしない苦労をし他人がしない努力をし、他人がしない我慢を沢山せねばならない事も、納得するようになっています。これは彼の成長。

 

 元事務次官の長男殺害事件は、悲しい事件でしたが、この事件を機に、発達障害者自身である息子も、その親である私も、多くの事を考え話しあいました。自分達だって、一歩間違ったらこうなっていておかしくないのだという事を、改めて確認しあいました。その上で、こうならないよう、お互い気を引き締めて頑張っていくしかないなと、改めて言い合いました。

 また、発達障害という存在の容赦の無さ、無情さ、厳しさ、について、話し合いました。発達障害を甘くみない、という事。息子という一人の人間にはとても価値があり、この人生を生きる意味は確実にある事を強く確認した上で、でも、発達障害児が生まれる事の不幸について、話し合いました。

 息子は、「僕は、健常者に生まれたかった。でも、発達障害に生まれてしまった。これはもうどうしようもない。だから僕は、発達障害として一生懸命生きる」と言っていました。障害の自己受容というのは、大変苦しい事だと思います。息子がこの言葉を言った裏に、どれだけの苦しさを抱えているか、私は感じます。だからこそ、今まで以上に息子を認め、支え、一緒に頑張っていこうと思いました。

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