書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

自分の能力を正しく見積もる事

 今週は最高気温が30度前後と、少し涼しくなる予報。確かに、朝、エアコン無しで家事をしても、さほど汗まみれにはなりません。でも、やっぱり9時には窓を閉めてエアコンを入れてしまいますねえ、、。涼しい部屋で、今日は髪など染めております。ヘナで。

 真夏の間の外出時は、帽子が手放せず、多少の白髪は帽子で誤魔化せたのですが、太陽光線が少し和らぐと帽子が邪魔に思えて。となると、白髪も染めておかねばと思いまして。

 私の年代(50代)でも、白髪が全く無い方もおられるのですが、私は白髪は多いほうです。30才前半からもうありましたから。白髪染め歴20年以上。最初の10年間は美容院で染めてもらってましたが、だんだんと頭皮がピリつくようになり、危険を感じてヘナに切り替えました。それから更に10年以上経つ\ちますが、ヘナは私にはピッタリです。多分、一生使うだろうなあ。ちなみにヘナもピンキリで、私は、天然のヘナを扱っている所から通販で買っています。ドラッグストアで売られているヘナは、高いものでもやはり、質が今一つと感じるのです。染め上がりも悪いし、イヤな匂いもしますし。天然のヘナはきちっと染まってイヤな匂いがしませんから、助かります。

 

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 自分の能力を、正しく見積もる事は、生きる上で必須だな、と最近よく思っています。

 以前、「全力で何かに取り組むことはリスクが高い。それに失敗したらすべてを失うから」というような内容の記事を、読んだ事があります。筆者の方は、「全力を出したら成功するけれども、失敗する可能性もあり、全力を出して失敗すると取り返しがつかない。全てを失ってしまう。だから自分は何をする時も全力は出さない。だから自分は成功できないのだ」というような事を書いておられました。

 いくつか疑問に感じるところがありました。

 何故、全力を出して取り組んで失敗したら、「全てを失う(取り返しがつかない)」のか?

 何故、全力を出したら成功すると、決めつけているのか?(自分が成功しない理由は、全力を出していないからだ、と決めてつけておられるので)

 というような疑問を私は、感じたのです。

 もしかしたらこの筆者は、ご自身の能力を、把握できておられないのかなあと思いました。把握できておられない理由は、全力を出した事がないから、だと思われます。全力を出して到達した所が自身の能力なわけで、全力を出さなければ把握できませんから。

 全力を出して失敗したら取り返しがつかない、と書いておられたのですが、「なんで?」と強く疑問に思いました。究極、生きてさえいれば、どんな失敗も取り返しはつきます。失敗した原因を精査し、能力不足だと判断できれば目標設定を能力相応のレベルまで下げればいいし、努力不足だと判断すれば再度全力で取り組めばいいし。ただ運が悪かっただけだとすれば、同じく、再度挑戦すればいいし。

 いずれにしても、あえて全力を出さない生き方は、何一つ身に付かない身にならない生き方だと私は思います。全力を出す事で初めて、自分の能力を正しく見積もる事が出来、より確実でより自分に合った生き方へと進路を切り替えていく事ができるからです。

 そして何より、全力を出した、と思える経験が、多ければ多いほど、自己肯定感は確実に高まるからです。たとえ失敗したとしても、です。ぐずぐず言い訳している時間が長ければ長いほど、自己肯定感は下がっていくし、逆にキッパリ切り替えて全力でやってみたら、結果が出なくても、自分自身を肯定できます。誰に何と言われようと、私はやりきったのだ、と。これ以上無理なほどやり切ったのだから、これで十分だ、と。 

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 自分の能力を正しく見積もる事は生きる上で必須だというのは、つまり、自分の能力を正しく見積もる為にはまず全力でやってみる事が必要だから、です。自分の能力を正しく見積もる為には、全力で生きるしかなく、「自分はこの程度」と妙な謙遜か諦観か知りませんが、そういう風に逃げて誤魔化していたら、まず無理で。

 自分とは何か、自分には何がどこまで出来て、何がどこまで出来ないのか、それを正しく知る事、知れるように生きる事は、自分を肯定して生きる事に繋がると、私は思っています。

 今日もまた、偉そうな事を書いてしまいました。