今日は台風の影響で、朝からけっこうな雨です。気温も2~3度低い感じで、窓から入って来る風がひんやりします。
こういう日は、熱い紅茶を淹れて、雨を眺めながら飲みたくなります。湿度が高いので、いつもより紅茶の香りを強く感じます。紅茶の香りを嗅ぐと、月並みですが、ロンドンの公園や、不思議の国のアリスなんかを思い出します。
奈良の鹿と同じように、ケンジントン公園には白鳥が沢山います。
暗さがいいです。紅茶の香りで私が思い出すのは、こんな風景と空気です。
話は変わるのですが。
私は、「子供を産むのも育てるのも、とても大変な事なので、正直、女性がラクに生きるには、出産はしないほうがいいのではないか?」という意見を、ずっと持っています。特に、どんな子供が生まれるのかは一種のギャンブルで、発達障害児の確率も決して低くはない(グレー児を含めると6人に1人)現在、出産は女性の人生の可能性を狭めるリスクを有していると思っています。なので、みんなが平気でじゃんじゃん出産されている(ように見える)事に、いつも不思議な気持ちを持ってしまっていました。
それが、最近、少し見方が変わりました。
きっかけとなったのは、またしても桜井識子さんなのですが。
桜井さんは、人里離れた神社仏閣にも足を運ばれるので、よく深い山にも入られます。山には、神様がおられる山と、おられない山があります。おられる山には、悪いものはいないのですが、神様がおられない普通の山には、いわゆる魑魅魍魎といった存在がいる場合が多いそうです。同じ見えない存在でも、神様の方向ではなく、もっと低い次元の妖怪とかそういう悪いほうです。
なので、桜井さんは、神様のおられない山を行く時は、必ず歩くのではなく車に乗るのだそうですが、それでも、車の周囲をそういう魑魅魍魎というか妖怪というかこわいものが囲んでいて、ずっとついて来る事があると、書いておられます。
桜井さんは、たくさんの神仏とご縁を繋いでいて守られているので、まず大丈夫なのですが、それでも、怖いから車からは降りれない、と書いておられます。
そんな時に、何かの拍子に、それらの魑魅魍魎が、一斉にパッと離れる事があるそうです。急にいなくなるのだとか。
「え?」と思って周囲を見ると、深い山の中に、ぽつんと小さな集落があるのだそうです。家が10軒ほどあって、一軒に数人づつ住んでいたとして、合わせて30人程のごく小さな集落。それでも、人間が一人では、魑魅魍魎に憑かれてしまいますが、30人も寄れば、魑魅魍魎のほうが離れていくのだそうです。
人間が集まった時の力というのは、とても強いのだそうです。見えない低次元の存在も、集団になっている人間には、手を出せないのだそうです。集団になっている人間からは、とても強いエネルギーが常時出ているから、だそうです。
そして、こういう風に、集団になった時にとても強いエネルギーを出すのは、人間だけ、なのだそうです。たとえば、山の中だと、当然、野生の動物は沢山います。でも、魑魅魍魎は山の中に普通に存在できるのです。野生の動物の集団からは、見えない存在を脅かす力は出ないのです。
見えない存在に影響する力を出せるのは、人間だけなのだそうです。人間だけが、特別なのだとか。
確かに、神仏ですらも、人間がお祀りして祈祷する事で、更に力を増していかれるという事は、よく聞く話です。
命に貴賤はない、とよく言いますが、それでもやはり、人間の命というのは、特別なのだと思います。
そして、その人間を産めるのは、人間だけ、それも女性だけ、それも20歳から40歳ぐらいの20年間だけ。
だとしたら、どんなにリスクがあろうとも、女性が出産をためらわないのは、当然かもしれない、と思うのです。人間を産む、という事のとてつもない大きな価値を考えたら、リスクは仕方ない、と思える。
人間として生まれて、人間の中でずっと生きていると、他人より優れなくてはいけない、とか、人と同じでは価値がない、等と思ってしまいがちですが、人間として生まれて生きている、という事それだけで、とても大きな価値があると思えます。その価値を噛み締めつつ、一日いちにちを、考えながら生きていけばいいのだろうなあ。
香りのよい紅茶を飲むと、少し哲学的な事を考えたくなります。こういうぼんやりした時間が、何よりも好きです。
*画像は全て、ネットからお借りしました。