書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

どういう思いと考えで、それをやるのか。

 人生には答えはない、思いと考えがあるだけ。そんな風に思いました。

 私の苦手な「主観が全て。客観は無視」というヤツではなく、答えを求めても無駄だな、と思ったのです。そこに答えは無いから。誰も、人の人生の正解は教えてくれないし、自分でも絶対に分からないから。

 単純に、結果を出す事=正解、としてしまえば簡単だけれども、これだと、結果が出せない時、その事に囚われて落ち込んでしまうわけで、かなり危険。

 結果が出なくても落ち込まないようにする為には、予め、結果が出なかった時の為に、心の対処法、割り切り方、次の一手の出し方、を考えておけばいいわけで、それを用意しておけば、結果が出なくて落ち込む危険を、ある程度回避できる、と思う。

 で。この「心の対処法」「割り切り方」「次の一手の出し方」が、すなわち自分の「思い」であり「考え方」であるなあと思ったわけです。

 何かをする時決める時に、どういう思いと考えでやるのか、そこが一番大事で、そこを予め決めておけば、結果に囚われる事なく、前に進めるし、いちいち正解を思い悩む必要もなくなる。

 どういう思いと考えで、それをやるのか。

 それが一番大事なことで、そこさえ自分で納得できていれば、結果や正解にこだわる必要はなくなるな、と思いました。ただ、自分で納得する、というのは言うは易し行うは難し、で、相当覚悟のいる事です。

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