書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

ストーリーに酔わない

 今日は、昨日の続きのような事を書きます。

 昨日は、心の健康の為には、心の構えをゆるくしておくことが大事、というような事を書きました。

 でも、これって、わりとよく言われる事ですよね。「気をラクに」とか「平常心が一番」とか。リラックスすることが大事、というのはよく聞きます。でも、リラックスって、しようと思えば思うほど、できなかったりします。意識すればするほど、心が緊張するというか、ある事に心がとらわれて執着してしまうというか。

 それって、どうしてなのかなあ、と考えてみたのですが、多分、自分でストーリーを作ってしまっているから、なのかもしれないと思いました。

 例えば。ある仕事に挑戦している、という場合、そこに「この仕事の土台は、親が作り上げてくれた。親孝行の為にも成功させなければ。それが自分の使命だ」みたいなストーリーを自分で作ってしまうと(それが事実であっても)、心をゆるめるのは難しいだろうなあと思います。

 また、「この仕事は私がずっとやりたい事だった。小さい頃の夢を実現させたい。夢を実現する事で私は私らしく生きたい」というストーリーを作ってしまうと、ただの仕事が、自分の存在理由みたいなものと繋がってしまいます。そうなると、その仕事を諦めるという事は、自分の存在理由を否定する、という事になってしまいます。

 本当は、「その仕事」は、ただ一つの仕事、というだけであって、「親孝行」そのものでも、「自分の存在理由」そのものでも、ないのに、心の中のマイストーリーで、イコールになってしまっている。

 何故イコールになってしまっているか、というと、そこをイコールにするほうが、自分が気持ちいいから、だと思うのです。

 「自分の人生では、自分が主役」というような言葉、よく聞きますが、人はみな、主役になりたいのだと思います。主役になる為には、そこにストーリーが必要で、だから私達は、何かにつけて「ストーリー」を作り上げてしまう。そのストーリーは、その筋書きを遂行する強力なエンジンになるけれども、同時に、そこから逸れるのを拒む強力なブレーキにもなるわけです。

 何かをする時に、「ストーリー」という強力な動力の助けを得られれば、火事場の馬鹿力のような力が湧いてくるわけですが、そんな力なしに、淡々と始めるほうが、実は安全なのだと思います。何をする時も淡々と始め、淡々と終える。

 そんな淡泊な人生は味気ない、つまらない、何かに夢中になるほうが楽しい、という思いこみ自体が、一つの「ストーリー」なのではないか、と最近思うようになりました。

 夢中になれる事があるって素敵、楽しい、人生が充実する、という思いこみ、というか。確かに一瞬はそうかもしれないけれど、最初の熱が冷めた後、その熱を持続させる為に「ストーリー」を手放せない、「ストーリー」に執着するという事になると、心がどんどん硬くなっていって、ゆるさやゆとり、から離れてしまうのだと思います。

 何かを始める時だけではなく、日常的に、自分が何をする時も、何をしない時も、自分の行動や選択の一つ一つに、何らかの大義名分をくっつける、という癖は、止めたほうがいいかもしれません。

「ああだから、こう」「こうだから、ああ」「これはこのままだとこうなるから、こうした」「あれはああいうことになるから、ああした」、、、。

 自己正当化癖、とでも呼べばいいのでしょうか。下手するとおやつのパンを買う時にすら、それを選んだ正当性を主張してしまう。それがもう癖になっている人が、知り合いにいました。

 これも高じると、心がどんどん硬くなっていくのではないか、と思います。パンを選ぶ時は、「それが欲しかった」でいいわけです。なのに「このパンは揚げてあるから確かに高カロリーだけれども、具材に野菜を使っているからヘルシーだし、ここの揚げパンは有名だから、一度は食べておかなきゃいけないと思っていたのだ。流行るものには流行るだけの理由があるのだから、それを知るのは意味のあることだ、、」みたいな大義名分というか自己正当化の根拠をくっつけないと、パン一つ買えない人がいたのですが、その人はやっぱり、心を病んでしまわれました。

 私の息子も、いろんな事象に対して、その理由を知りたがる癖があります。「理由なんてないのだ、ただそれがそうである、という事実があるだけなのだ」と説明しても納得しません。きっと、理由があるほうが、安心できるのだろうと思います。でも、これが高じると、危険なのですよね。

 それはそうである、ただそれだけ。という世界観を、少しづつ息子に身につけさせてやりたいと思っています。

 生きていくのに、いちいちそこに理由やストーリーをくっつけない、淡々を始め、淡々と終える、というのが、心をゆるめる一つの方法ではないかと思います。

 自分の人生をストーリー化してしまうと、そこから外れる事がとても難しくなってしまいます。外れる為にはそれ相応の、自分に対して説得力のある別のストーリーを、作り上げねばなりませんから。人生は「ストーリー」ではなく、自分は「主役」ではない、という感覚で生きることは、心の健康を保つ秘訣かもしれません。

f:id:oinor-i:20180319083307j:plain