書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

視線に気づく理由

 他人をじっと見詰めてしまう癖がある。エスカレーターで降りている時や、お店の窓から外を見ている時に。行きかう人の群れに、ぽっとスポットライトが当たったように、ふと一人の人に目が吸い寄せられてしまう。大抵は、私より少し年上の、私が「こういう風な女性になりたいな」とぼんやり思っている女性だ。

 いつも不思議に思うのだが、私がその人を見詰めると、何故か数秒もたたないうちに、相手に気づかれてしまう。エスカレーターの上から階下を眺めていたり、カフェのガラス窓を通して見ていただけなのに、まるで「ちょっとすみません」と声をかけたかのように、相手はパッとこちらを見る。気づかれた!と思い、勝手に見てしまっていた申し訳なさで焦り、急いで目をそらすが、間に合わず目が合ってしまう事もよくある。とても気まずい。

 しかしアレは、一体どういうことなのだろうか。何故人は、誰かに見られると、その視線に気づく事ができるのだろうか。後ろからの視線ですら、敏感な人は「あ、誰かに見られている」と気づくようだ。どういう仕組みになっているのか。

 私が勝手に思うのは、脳波がぶつかっているのではないか、という事だ。イルカのように。目が対象を見る時、それは脳からの指令なわけで、つまり目が見る方向に脳波が広がっていくのではないか。受け取る側は、誰かの脳波が自分の脳波にぶつかる事で、「誰かに見られている」と察知するのではないか。

 他人の脳波と自分の脳波がぶつかる事は、疲れる事もあるが、ある種の快感も生むのではないかと思う。わざわざ衆目を浴びる事を望んだり、そういう仕事(演劇人や講師教師など)につきたがる人が多いのは、脳波どうしのぶつかりに、快感を覚えるからではないか。脳波はそもそもが揺れたい、揺さぶられたいものなのではないか。より大きく。より激しく。それが、刺激を求めていく行動の影のモチベーションになっている気がする。私自身はどうかというと、快感よりも疲労のほうが大きいように感じる。