書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

他人に我意を押し付けるのは、自分の欠けを満たす行為

 今日もまた、とりとめもない事を、ダラダラと書きます。

 前回の記事の続きになりますが、望む現実を引き寄せる為に必要な事は、

①まず先に自分がやるべき事をやる(主観ではなく本来本筋の義務として自分がやるべき事をまずやる)、

②その後、自分が良いと考える事をやる(他人に批判されても、その批判が的外れであり、きちんと自分を省みて反省すべき点がなければ、他人の意見は気にしない)、

と書きました。

    実はこの2つ以外に、もう一つあると思うのです。なので、今日はそれを書きます。今回は、神仏がかった事になります。

 その三つ目とは、

 ③他人が間違っていても、相手に対し、直接批判の言葉をぶつけない。

 というものです。 

 「あの人は間違っているから、間違いだと教えてあげなくては」と、相手に批判の言葉をぶつけるのは、大きなお世話です。「あなたの為に」言ってあげるのだ、というのも、誰しもが実は気づいているように、ただの欺瞞です。本当は、自分がスッキリしたいから、言いたいだけです。相手の上に立ちたいから、相手を否定したいだけです。自分を偉く見せたいから、言いたいだけなのです。

 こういう行為は、自分を下げます。不運を呼びます。よって、自分が望む現実からは遠ざかります。

 

 私には山のように欠点があるのですが、唯一、「相手に直接、批判の言葉をぶつけない」という事だけは、かろうじて、守れています。その代わり、このブログで自分の考えを開示していますが。ブログは、読みたくない人は読まずにすもので、相手に直接批判の言葉をぶつけているのとは、わけが違うと思っています。

 それでも、たま~に、「それ、間違っているよ」と、相手に直接偉そうに言ってしまう事があります。本当に、年に1度あるかないかですが。「あ、言ってしまった」と気づいた時はもう遅いわけで。おそろしい事に、その後必ず、何かしら不運に見舞われます。100発100中で。普段言わないだけに、たまに言うと、テキメンで結果が出るのだと思います。

 こういう言い方は失礼かもしれませんが、普段からおせっかいを言い散らかしている人は、もうそれに慣れてしまっていて、そのせいで不運が次々と起こっている事に、気がつけないのだと思います。人間は習慣の生き物なので、良い方にも、悪い方にも、慣れると鈍感になっていきます。

 例えば、白砂糖を控えている人が、たまに白砂糖こってりのチョコ等食べると、気分が悪くなりますし、吹き出物が出たりします。でも、普段から砂糖を食べまくっている人は、それで気分が悪くなる事もないし、肌荒れももうすでにしているので今更変わらない。ただ、体質がどんどん悪くなっていくだけで。悪くなっていっていても、それに気づけないのです。慣れのせいで。

 

 話がそれましたが。

 他人の間違いを相手に直接は告げない、相手に批判の言葉をぶつけない、というのは、ものすごく難しい事です。人間は誰しもマウンティング欲や自己顕示欲を持っていますから、他人の間違いを正す事は、快感なのです。自分を偉く見せる事ができるので、鼻高々で気分がよくなります。でも、これも訓練で、「何も言わない」を繰り返していると、段々、言わないでいられるようになります。

 

 何故、他人に自分の意見を押し付ける(あなた、それ間違っていますよ)が駄目なのかと言えば、それがズルい事だからです。

 本当に、100%自分が正しいと知っている人は、わざわざそれを他人に押し付ける必要性を感じません。自分として完璧に円満に球になっていて、欠けている所がないからです。

 でも、自分の意見に少しでも自信がない部分がある場合、その欠けを満たす為に、他人を利用するのです。自分の意見を他人に認めさせ「あなたが正しい」と言わせる事で、自分の欠けを満たすのです。

 他人に教えてあげる体で、実は、他人様の力で自らの欠けを満たしている。つまり、ズルいのです。

 ズルい行為は、一番霊格を落とす行為です。つまり、神仏から一番離れる行為。これをやると、一歩、また一歩と、神仏から離れ、餓鬼のほうへ近づいていく事になります。(神仏によって)良い運を頂く事が減って行き、(神仏によって)悪い運を回避して頂く事もなくなり、よって、どんどん運が落ちていくのです。

 

 ズルい行為は、他にも沢山ありますが、たいていもっと分かりやすいものです。大抵「ああ、私はズルい行為をしてしまった」と気が付ける。でも、他人の事を気にしすぎる、他人の間違いを見逃せない、他人が間違っていると否定したくなる、というのは、一見、ズルい行為とは自分で感じられないので、こわいのです。

 ズルく生きない事は、我が身を救う最大の秘訣だと思うし、望む現実を引き寄せる方法の一つだと思います。

 

f:id:oinor-i:20210122111806j:plain

 もちろん、人から「私の間違いはどこですか?」「教えて下さい」と言われて教えてあげるのは、善意です。OKです。でも不思議なもので、普段からおせっかいを言い尽くしている人に限って、「教えて欲しい」と言われると、妙にもったいぶって教えてあげないんですよね。「自分で考えなさい。それがあなた自身の為。何でも人から教えてもらおうとしない」みたいに言っちゃって。

 要するに、意地悪なのです。ズルい人は大抵、意地悪です。そして、不運です。

 (ちなみに、逆は真なりではありません。つまり、不運な人が、みんなズルくて意地悪だというわけではありません)