中瀬ゆかりさんが大好きなのだが、先日YouTubeで、こんな事を仰っていた。
「最近、聞き手が不足している。みんな、自分の話をしたがるが、人の話を聞いてあげる人間はあまりいない」と。
https://youtu.be/aHBl_p9PptY?si=7DirJkMfdG3qMzfY
確かに、世の中は、自分語りをしたがる人間で溢れているのかもしれない。聞いてくれる人をつかまえては、自分の話を聞かせる。でも、他人の自分語りを機嫌よく延々聞いてあげる事は忍耐力を必要とするので、余裕のない時代になると、誰もその役目を果たしたがらなくなるのだろうと思う。1円にもならないですからね。
私なんか、毎日毎日、息子の際限ない話に付き合わされているから、「聞く事」の苦痛はよく分かっている。本当にきついが、断るとキレるので、聞き続けるしかない。息子のように、断れない相手に無理やり自分の話を聞かせている人も、一定数いるだろうと思う。
カウンセリングなど対価を払うならいいけれど、無料で他人に苦痛を押し付けるのは、よくないことだと思う。いや、私が嫌だと言っているのではなく、息子にとってよくない事なんだろうと思うのだ。いつか罰が当たるんじゃないかと心配になる。それとも、障害者だから許されるのだろうか。
認知症患者がどんな迷惑を周囲にかけても許されるように。障害者だから許されるのならいいのだが。
話は変わるのだが、私はあまり他人と自分を比べないのだが、ふと比べてしまう人がいて、先日もそういう人に会った。とてもしっかりした女性で、私と同じ年で、美男美女の優秀な子供達を持ち、ご自身もパートながらもう20年以上フルタイムで働いておられる。私が何もしていない(働いていない)と言うと、「残された時間は短いのだから、無駄にしないようにしないと」と諭された。
その時はピンとこなかったのだが、後になってじわじわと来ている。
彼女のように何もかも理想的(に私には見える)な人だと、自分の時間も隅々までしっかり管理して無駄にしないよう丁寧に生活する事が正義なのだと思う。
でも私は躓いてしまったクチだ。子供は障害者なのだ。人生を無駄なく予定をたてて管理するなどという生き方は不可能なのだ。私の予定など、息子次第で蹴散らされてしまう。自分の個人的な予定など立てようがないのが、障害者の親なのだ。
そういう人生をもう20年以上過ごしてきて、ふと彼女のような普通のまっとうな人に会うと、自分との格差に衝撃を受ける。自分と比べるというより、衝撃を受けるのだ。なんという違いだ!と。
子供さえ生まなければ、私もあちら側の生き方をしていただろうと思う。
だからどうだ、という事ではないが、自分の予定通り、自分の計画通り、まっすぐ生きられる人は幸いだと思ったという話。
ではまた~