書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

竹生島(琵琶湖)に行って来ました。②

 竹生島に行った時の話、続き。

↓これは島の中央にある長い階段からフェリー乗り場を見たところ。

 

 さて。久夫須麻神社を堪能したので、宝厳寺へ向かう事にした。久夫須麻神社と宝厳寺は舟廊下という舞台造りの渡り廊下で繋がっている。舟廊下は急斜面に掛けられている。位置的には久夫須麻神社の向かって左側。

本殿から左に進むとこんな感じで渡り廊下がある。

この舟廊下は、秀吉が朝鮮を攻めた際の御座船「日本丸」の骨組みが使われているそうだ。よく見ると墨で文字が書いてあるのが分かったりして、興味深い。

廊下の途中に屋内お社のような観音堂があった。独特の雰囲気があり千手観音様が祀られていたのでここでもお参りした。ここを過ぎると更に舟廊下が唐門まで続く。唐門を出た所が、宝厳寺に続く石段の下。

 165段あるらしい。若い人はサクサク登っておられたが、私はまたしてもヒーヒーゼーゼー言いながら登った。情けないが登れるだけ有り難い。私は足に持病があり、以前は階段なんてもってのほかだったから。歩く事も難しい状況がずっと続いていて、悲観的になったりもしたが、神社仏閣巡りをしたい一心で出歩いているうちに、段々と歩けるようになっていった。

 しかしこの時の私は、この後もっと足に負担をかける過去一苛酷な状況が待っているとは知る由もない、、、。

 さて、階段を上って宝厳寺に到着。

 こちらも、見事としか言い様がない。よくこんな建物をこんな小さな島に、と感嘆した。こちらは弁才天様が祀られている。中に入ると、お賽銭箱の前にご真言が書かれていて有り難い。私は弁才天のご真言知らなかった。ここで覚えようとしっかり7回唱えたが、、、今これを書いていて思い出せない(悲)。祈願もしっかりして、心ゆくまで本堂を見てまわった。本堂内に社務所があり、様々な縁起物が売られていて楽しい。

 桜井さんが推奨されていた錦の巾着袋もしっかり見つけた。これは秀吉が運玉をしまっていた錦の巾着袋と同じ種類のものだそうで、かなりの縁起物とのこと。色が沢山あって選ぶのに迷った。楽しい!結局、厚地の生地の赤いかわいい柄の巾着袋にした。1500円成。いそいそとビニール袋から出し、宝厳寺の気になじませる。これで縁起物率がぐっと上がるそうだ(桜井さんいわく)。縁起物は全て、一旦袋から出すのが良いそう。家で飾る時も、ビニールに入れっぱなしではなく、ビニールから出して飾る。ビニールに入れているほうが汚れなくていいかなと思うけど、出さないといけないらしい。

↓私が買った錦の巾着

 桜井さんとお揃いの(多分)巾着が買えて大満足し、次の場所へ。

 宝厳寺の前にこれまた長い階段があり、その上に三重塔があった。

 本来の建物は江戸時代に消失し、こちらは平成12年に再建されたそう。見れない時期もあるそうで、見れたラッキーだった。

 宝厳寺は満喫したので、急いで階段を下りる。なぜ急いでいるかというと、この島での滞在時間は1時間半しかないからだ。1時間半後に、帰りのフェリーが出てしまうのだ。もう一度、久夫須麻神社に行っておきたい。少しでも長く龍の近くにいたい、という思い。なにせなかなか経験できない事だから。

 桜井さんいわく、龍はクールな神様なので、あまり人間の祈願を叶えてくれたりはしないらしい。とても親切な龍(久夫須麻神社の龍神様も親切)であっても五分五分だそう。だから祈願が叶ったらラッキーという感じだそうだ。

 ただ龍というのはとてつもなく大きなパワーを持っている為、そばにいるとその力で勝手にこちらの細胞が活性化されるらしいのだ。免疫力が上がり、疲労が回復し、調子の悪かったところが治る。体だけでなく脳もクリアにしてくれる為に、迷い憂いがなくなり思考がクリアになるとのこと。

 というわけで、再び舟廊下を渡って久夫須麻神社へ。本殿をゆっくり見させて頂き、再び龍参拝所へ。

ここでどれだけ長居したか、、、。ここが快適過ぎて。私、こういう景色が本当に好きなんです。

ちなみに、この島には鳥が多く、鳶が上空で舞いながら鳴続けていたし、名前の分からない小さい鳥が、柱の上にちょこんと乗っていたり。鳥を見ているだけで心が晴れる。琵琶湖は本当に広くて、一面視界を遮るもののない世界。この鳥は一生この広々した世界を見ながら生きていくのだろうと思うと羨ましい限り。深呼吸。深呼吸。

 あ、ちなみに。龍に一番近づけるのは本殿前の広場だそう(桜井さんいわく)。でも私は広場より、ここのほうが気持ちよかったので、ここにずっといた。今思うと、失敗したかなと思わないでもないけれど、、、。まあいいや。

 まだまだもっと見ていた気持ちはあったのだが、時間が来たのでフェリー乗り場に戻った。

 ここでちょっと時間を整理する。

 この島に到着したのは12時10分。帰りのフェリーは1時間半後と聞いていたので、出発は1時40分。というわけで、念のため、1時35分にフェリー乗り場に着いた。

 フェリーはまだ来ていないのを確認し、けっこう疲れていたのと少し寒かったので、売店で美味しそうな甘酒を買った。

 フェリー乗り場の石段に座って、海を眺めながら甘酒を飲んだ。あたりには鳶の鳴き声が響く。目の前は海。極楽。

 ここで、ふと横を見た。横はもう山で、草が茂っていた。その草の一部が、上下に大きく揺れていた。一部だけが、お辞儀するみたいに、何かに引っ張られるみたいに、同じ速度で上下に揺れ続けていた。他の草は一切動いていない。風もない。その草の横に、私と同じように海を眺める男性が立っていたのだが、その男性は何も気付いていない。おかしい、おかしい、と何度も見返したけれど、やはり草の一部だけが不自然に上下に揺れ続けている。

 うわ~。まただ。これは撮影すべきか。と内心迷いに迷ったが、やはりやめておいた。なんとなくいつも、神域で不思議な事が起こった時に、撮影できない。撮影してはいけない気がしてしまうのだ。

 私が見ている間はずっと、その草は上下に揺れ続けていた。

 時間が来たのでフェリー乗り場前に移動した。あれ?誰も並んでいない。おかしいな、と思って時刻表を確認したら、、、、!!

 長浜港行きの帰りの便は、1時45分発!と書いてあった!!

 え?え?

 しかも、長浜港着が2時20分と書いてある!!

 

 すみません。整理します。

 私が思い込んでいたのは、出発時刻1時40分、長浜港到着時刻2時10分

(なぜなら島滞在時間は1時間半、フェリーに乗っている時間は30分と聞いていたから)。

 

 しかし、実際には、出発時刻は1時45分、長浜港到着時刻は2時20分

(つまり島滞在時間は1時間35分、フェリーに乗っている時間は35分間)

 

 ショック過ぎて言葉を失った。いやいや、困るって!!

 何が困るかというと、帰りのJRの時間なのだ。長浜駅発の時刻が2時28分なのだ

 長浜港からJR長浜駅までは徒歩20分。2時10分に港に着いて小走りしたら間に合うと計算していた。

 でも実際に港に到着する時刻は2時20分JRは28分に出てしまう。たった8分しかない。船を下りたり駅の階段を上り下りしたりする時間を考慮したら、実質5分しかない。

 20分かかる道のりを5分で走り抜ける事が出来るのか?いやいや無理無理。

 でも、この2時28分のJR新快速の次は、3時38分と1時間後なのだ。それになってしまうと、大阪に着くのが5時半(米原駅で待ち合わせがあるらしい)。大阪駅から我が家まで帰る時間を考えると、めっちゃ遅くなる。いやだ~。夕食の準備もしてないし、帰ってすぐにバタバタ立ち働かなきゃならないのは絶対にイヤ。2時28分に乗れたら、帰宅後少し休む時間がとれる。

 フェリーに乗っている間、気が気ではなかった。間に合うかどうかは分からないが、とにかく28分を目指して走ろうと決めていた。景色は相も変わらず美しかった。

 フェリーは2時20分ちょうどに長浜港に到着。

 出入り口の前にスタンバっていて、ドアが開くと同時に飛び出した。出入り口の段が高くなっていて、つまづきかけてヒヤッとした。

 とにかく走る。背中のリュックが重い。ペットボトルを捨てたい(もったいないから捨てなかったが)。足が痛いとか息が切れたとか言っていられない。この青のマーカー部分を港から駅まで必死で走った。

 駅に飛び込んだのが27分。やった!なんとか間に合うかも!ICOCAを出しながらも走る。改札抜けてホームへの階段を下りかけた所で新快速がホームに入ってきた。うわー、間に合わないかも、となり足がもつれそうになりながら必死で下りる。最後の段を下りてなんとか電車のドアに飛び込んだ。間に合った。嘘みたい。

 なんとか乗れた、、。

 席もまあまあ空いてたので座れた。途中米原で沢山下りたので、窓際の席に移り、そこからは爆睡。気付いたら大阪駅。終点ではないので急いで下りた。

 そして無事に家に帰れた。竹生島、また行きたい。

 

足のほうだが、さほどダメージがなかったのが何より有り難い。歩けなかった私が、あの距離を一瞬も足を止める事なく走り抜けられるようになったのかと思うと感慨深い。年齢的にも(60才)まだ頑張れる事が嬉しい。インフルエンザの予防接種を受けて以降、少し体調が悪かったのだが、元気いっぱいになった。龍効果なのか、プラシボ? あの草は何だった? いろいろ楽しい参拝でした。