クリスマスですが、皆様は如何お過ごしですか?
我が家は、有難いことに、穏やかな年末を迎える事が出来ました。昨年は、姉の事で大きなトラブルが発生し、巻き込まれてバタバタしていた私と母が、相次いで骨折。私はなんとか年内に回復したものの、母は手術になり、年明けまで入院しました。手術の付き添いや、実家の植木の水やりや掃除などなど、昨年はちょっと大変な年末でした。
それに比べると、今年はラクです。何も起こらないって平和だな~としみじみしております。
桜井識子さんの本に、12月にするとよい事として、大掃除がありました(来年の運気をかなり上げてくれるそうです)。大掃除を夏にしてしまう方も多いようですが、やはり年末にしたほうが、運気的には良いそうです。
なので、12月に入ってから、少しづつ掃除を続けてきまして、あともう少しで終わります。残っているのは、キッチンと、リビングのガラス拭き(窓とかドアとかの)のみです。まだ残り日数ありますので、焦らずゆっくり片づけていこうと思っています。
あと、これも桜井さんの本によると、年内にどこかの神社仏閣で、今年の厄を落としてもらうと良いそうです。これも、12月に行くとよいとか。厄落としの目的で参拝する時は、来年の祈願等はせず、「厄落とし」だけをお願いするのがポイントだそうです。
というわけで、先日、厄落としに、住吉大社に行って来ました。あと、楠珺社で、縁起物や水晶の御守りも新しく買いました。今年は身内に不幸があり、喪中であるのを忘れてうっかり縁起物やお守りを触ってしまったので、新しいものに買い替える必要がありまして。年明けだとなくなりそうだったので、年内に買いました。桜井さんによれば、縁起物はいつ買っても良いとの事だったので。
今年は、息子の成長を感じられた年でした。勿論、まだまだおかしな所は多いのですが、本人が、「自分がおかしな事を言っている」事に、気が付き、自らを正していこうという姿勢が出て来たのは大きい成果です。
非合理的な、意味の分からない事に、こだわってきちがいのようになる事のある息子ですが、最近は「僕が今こだわっている事も、何年かたったら、どうでもいいと思うようになると思う。だから、こだわるのは意味がないと思う」と言うようになりました。
例えば。
息子は6年生の大学を卒業した後、ある国家試験を受けるのですが、これについては一切ストレスを感じないし、勉強が嫌だとも思わないのだそうです。人間関係も問題ないです。なのに、「大学行くのはしんどい」と言うので、「大学の何がしんどいの?」と聞いたら、「謝恩会が嫌」と答えまして。
はい?
謝恩会の何が嫌なのかは分かりませんが、とにかく嫌なら出席しなくて良いのだと教えましたが、出席しないのも嫌なのだそうです。
どうも、謝恩会というものが存在することが嫌なようです。でも、存在する以上は欠席はしたくないのだそうです。そして、「謝恩会が存在するから大学が嫌」と言うのです。本気でそう思っており、ここ数か月、毎日毎日、「謝恩会が嫌」という話を、私にし続けていました。
意味が分からな過ぎて、、、うんざしりましたが、うんざりした顏をすると怒り出すので、無理やりニコニコ上機嫌な演技をして話に付き合い続けました。
ところ、先日、突然、「僕は今謝恩会にこだわっているけれども、数年したら、どうでもよくなるのだろうと思う」と言い出して、それ以来、あまり謝恩会について言わなくなりました。
同じようなことが、過去に沢山あったことに、本人がやっと気が付いたようです。
例えば、成人式が嫌だと言い出し、何年も「成人式が嫌」と毎日毎日言い続け、でも欠席はしたくないと言い続け、とうとう成人式の日が来たら、嫌々出席し、帰って来てから、「別になんともなかった」と。
或いは、ある知人(仮にA氏)に憧れ、「Aさんになりたい」と連日言い出し、Aさんのようになることは出来ても、Aさんそのものにはなれないよ、と私が教え諭しても、聞かず。なんとしてもAさんそのものになりたいと、何時間も狂ったように何年も毎日言い続けた日々もありましたが、今の息子は「どうしてあんなことを言っていたのか分からない。Aさんそのものになれるわけないやん」と言うんですね。
こういう事が積み重なり、やっと本人が、自分のこだわりの「不条理さ」に気が付いたようです。
有難い。ここまで来るの、長かった~。この成長は本当に大きいです。
ダラダラ書いて失礼しました。年内残すところあと少しですが、皆様どうぞご無理されず、ゆったりとお過ごし下さい。今年もお付き合い下さり有難うございました。ではでは。