今日は、そこそこ辛辣な事を書きます。
もうすぐ父の〇周忌の法要があります。私の親族は、こういう法要は、体調不良の理由以外で欠席しないのですが、今回は姉の息子が理由なく欠席するようです。
理由なきというか、実際のところ、以前の記事にも書きましたように、彼の結婚問題での姉の対応に、彼が徹底的に愛想をつかし、心底姉を見限ったせいだと思われます。つまり、今後は姉とは縁を切りたい、よって姉側の親族の集まりなど、金輪際出席しない、という事なのだろうと思われるのです。
法要の連絡は、主催する母(彼からしたら祖母)が彼にメールしたのですが、返信がないとの事。いつもは、祖母にはすぐに返信する人なので、とうとう祖母も彼に切られたのだなと思いました。返信がないと会食の人数が分からないので困るという事で、義兄から彼に連絡をとってもらう事になりました。ああ煩雑。
親族の中でもめ事が起こると、こういう面倒くささがあって、本当に嫌ですね。だから私は、親兄弟を含め、親族とは本音では関わらないのです。何重にも本音を隠し、あたりさわりない態度で接し、できるだけ一緒にいる時間を作らない。距離を置く。そうする事で、決定的に揉める事を防いでいます。他人なら離れられますが、親族は離れられませんから。揉めたら面倒くさいのです。
姉の息子が法要に来ないというか、欠席の連絡すらしてこないという事について、姉は母に、泣きながらこんな風に言ったそうです。
「私の育て方が悪かった。申し訳ない」と。
それを聞いて、正直私は、胸が悪くなりました。育て方の問題じゃないと思ったからです。
育て方を間違った、という言い方をすると、あたかも、姉自身は正しく、でも、育て方だけ間違ったのだ、なんなら、もっと厳しくしつけるべきところを、甘く育ててしまった、みたいなニュアンスに受け取れます。
でも、甥っ子が法要に来ないのは、甘やかされて育ったせいではありません。単に、母親に心底ウンザリし、母親を心底嫌い、よって、母親関連の事には一切関わりたくないから来ないのです。
育て方の問題じゃない。
姉という人間が、人として、間違っているから、子供から縁を切られたのです。
でも、姉にはそれが分からないし、私も説明する気はありません。理解もできないでしょうから。
姉だけでなく、母もまた、こういう事をよく言います。私(や姉)が、何か母の気に障った時、「お母さんの育て方が間違っていたのね」と、まるで母自身を卑下し反省しているように言うのです。でも、実際はそうではないですよね、この言葉。結局のところ、「もっと厳しく躾けるべきだった、甘やかしすぎた」という意味ですから。
でも、私(や姉)が、母の気に障った理由は、甘やかされて育ったせいとは限りません。ただ単に、母と私の価値観が異なっている、以前は母に合わせていたけれど最近は合わせなくなった、だけの事かもしれないし、甘やかされたのではなく、逆に、構ってもらえなかった放置されていた、面倒くさがって親身に説明してもらえなかった、だから身につけるべき時期に身につけるべき事を身に付けれなかった、という事かもしれません。
だから本来言うべき言葉は、「私が親として、子育てに手を抜いてしまった」だと思うし、今回の姉の場合ならば「私が間違った人間だから、息子に愛想を尽かされた」だと思います。
でも、実際には「子育てに手を抜いた」とか「子供に愛想を尽かされた」とかは認めたくないし言いたくない。自分が悪いと認める事になるから。その代わりに「育て方を間違った」を使うのです。これだと、自分は正しいという前提だから、ラクなのでしょう。
親は、特に母親は、「私の育て方が悪かった」という言い方で、上手に逃げているなあと感じます。だから私は、この言葉は使いません。
辛辣なことを書きましたが、リアルでこれを誰かに話す事はありません。辛辣過ぎますから。ブログにだけ書いています。