書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

見えない世界の存在意義

 このご時世、宗教なんか必要ない、と考える方も多いのではないでしょうか。

 私は、宗教自体はどんな宗教も信仰していませんが、「見えない世界がある」という事は信じています。

 どうしてかというと、宗教は人間が作ったものなので、嘘やご都合主義が多々含まれていると思うからです。

 一方、「見えない世界」の存在を信じている理由は、個人的に知っている霊能者の方がおられ、その方が100%確実に未来予測をされるからです。その方は、「聞かれた事に答える」方式で未来予測をされるのですが、少なくとも私や私の身内に関し、その予測が外れた事は一度もありません。その方は、見えない世界の存在に未来予測の答えを教えてもらうのだと仰っているので、それで、見えない世界はあるのだな、と思うわけです。

 

 でも、そういう私の小理屈は抜きにして。見えない世界の存在を信じる事は、人間にとって有意義なんじゃないかと、私は思っています。

 

 何故ならば、普通に生きていると、筋の通らない事や、おかしな事、思い通りにならない事、明らかに相手に都合がよくこちらに不都合しかない状況を押し付けられる事、など、しょっちゅうあります。

 そういう時に、反論したり、改善を要求したりが出来ればいいですが、こちらの立場のほうが弱い場合には、歯を食いしばって泣き寝入りせねばなりません。

 理不尽を押し付けられ、泣き寝入りをせねばならない時ほど、辛く苦しい事はありません。

 腹もたつし、絶望もするし、自暴自棄になりがちです。夢や希望を持って、正しくしっかり生きていく事を、放棄したくなったりもします。どうせ無駄なんだ、何もかも無駄なんだ、と思うほうがラクだからです。

 

 でもそういう時、見えない世界の存在を信じていると、「割り切る」という事が可能になります。

 

 自分は理不尽な思いをしている、でもこれは最悪の事態ではない、私は見えない世界によって守られている、悪いことにはならない、これでいい、もしこれが本当に悪いことに繋がるならば、見えない世界の調整が入るはず、入らないのなればこれで問題ないという事だ、今の私にはこの状況は理不尽に感じるが、これは大きな問題にはならない。

 

 見えない世界の存在を信じていれば、こういう風に割り切って考えられるので、理不尽さを乗り越える事が出来るのです。

 

 もっと単純な話をすると。

 例えば、見えない世界など無い、と思っている人は、自分という存在は、「死と同時に消滅する」と考えるしかありません。これは、なかなか受け入れるのが難しい概念だと思います。死が身近になってくる高齢になればなるほど、追い詰められた気持ちになるのではないでしょうか。

 でも、見えない世界も存在する、と考えると、死後にもまた自分の存在は続いていく、と思う事ができ、ゆったりと安心した気持ちで、人生を送る事が出来ます。

 

 見えない世界の存在を信じると、

 理不尽な状況にも自暴自棄にならず、それはそれ、と割り切って生きられます。

 また、死後も自分は続いていくと思えるので、人生をゆったりと生きられます。

 

 更に言えば。

 見えない世界の存在を信じると、表面的な勝ち負けにこだわる事がなくなります。なんとしても相手を論破したいとか、相手の上に立ちたい(私が正しい、相手が間違っていると相手に思い知らせたい)といった欲が消えます。現実世界において相手を貶める事が、見えない世界を含めた全体において、自分を貶める事であるのを、知っているからです。そうすると、無闇に人から恨まれる事がなくなり、平和で安全に生きていけます。

 また、バレなければいいだろうといったズルや、自分勝手な行動が、見えない世界において自分を傷つける行為だと分かっているので、やらなくなります。「正しく生きる」という事と、「ただのお人よし」の違いが明確に分かるので、自分に自信を持って堂々と生きていけます。不安がなくなるのです。

 

 見えない世界を信じると、様々なメリットがあると私は思います。理不尽さや絶望や焦りや不安に、押し潰される事がなくなり、自分が本来持っている力を出し切って、強く生きていく事が出来るように思います。