書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

発達障害と神

 最近、発達障害について書いていなかったので、今日は少し書きたいと思います。

 どうして書いていなかったかというと、特に息子に問題がなかったからです。大学生活も2年目に入り、順調で、日常生活でも特に問題がなく、対処に困る事がなくなりました。息子自身が成長した事も大きいし、私が息子の扱いに熟練した事も大きいと思います。

 まあ少し自慢になるかもしれませんが、勉強については驚く程の伸びを見せていて、今回の2年の中間試験では、理数系の2教科で満点を取っていました。専門的で難解な勉強をしていますし、そもそも大学のテストは満点が取れるようには作られていないので、息子自身も驚いていました。何度も書いていますが、息子は2歳で発達障害の診断が付いた時、小学校には行けないと言われ、実際小4までまともに会話ができない子でした。そういう子に、これだけのポテンシャルがあったという事は、驚き以外の何物でもありません。

 勿論、同じ発達障害でも、言葉に遅れのない高機能アスペ(昔の言い方ですが)の人は、知能は高いと言われていますが、息子は高機能アスペではありません。バリバリ言葉に遅れがありましたから。また、アスペの特徴も持っていません。むしろASD気味です。いわゆる「鈍い」タイプ。だから、ここに来ての知的発達の伸びに、驚いています。発達障害児は、育ちあがってみないと、どうなるか分かりませんね。本当に。

 というわけで、特に勉強については、最近は困る事はほぼ無くなったわけです。

 一方、日常生活においては、息子の一番の特性である「自分の希望通りの答えが返ってくるまで、何時間でもしつこく私にからむ」癖が、ほぼ消えました。

 今日は、これについて、最近考えている事を書きます。

 

 なぜ、私にしつこく質問し続けてくるかと言えば、息子は、先の事で不安になることが多いからです。不安になるので、未来は全て自分が安心できる状態になる、という事を、私に約束させたいわけです。

 例えば、明日が晴れになって欲しいとします(息子は雨の日に外出するのを極端に嫌がります)。でも、天気予報では雨100%。そういう時、息子は私に、「明日は晴れるよね」と聞いてきます。当然「雨だよ」としか答えられません。すると、息子は手を変え品を変えて、明日が晴れになる可能性について、しつこく私に聞き続けるわけです。天気予報は完全ではないよね、とか。今まで天気予報で当たらなかった事があったよね、とか。そして、私が明日は晴れるよ、と言うまで、この質問を止めない。

 これが、以前の息子でした。

 この息子の「私への長時間に及ぶ質問癖」に、私はほとほと消耗していました。

 それが、無くなった理由は、以前にもいくつか書きましたが、最近新たに、これもあるな、と気づいた事があります。

 それは、息子が「神様」を信じるようになった事です。

 

 え?唐突に、何ですか?と思われるかもしれませんが。順に説明しますね。

 息子は、私の言葉に、絶対的な意味を感じていたわけです(天気予報が雨だと言っても、私が晴れだと言えば、間違いなく晴れになるはずと信じていた)。

 息子が私に質問し続け絡み続けたのは、私の答えを絶対視していたからに他なりません。つまり、息子にとって、私は神なのだ、という事に、ある日気が付きました。

 でも、私は神ではありません。何でも分かるわけではありませんし、未来を息子の望むように変えてあげる事もできません。

 ならば、息子に、本来の神様というものを、紹介してやろう、と私は考えました。

 そもそも私は、神の存在を信じているので。

 

 私が信じている「神」については、過去記事にも書きましたので、よろしければ。 

oinor-i.hatenablog.com

 

oinor-i.hatenablog.com

   ここでは、便宜上「神」と言っていますが、多少違和感はあります。要は、私達が存在しているこの世界というかなんというかこの場所というかなんというか、、、ここには、私達以外の別の存在もいるんだろうな、と思っているという事です。そして、その別の存在からはこちらが見えていて、こちらからはあちらが見えない。あちらからこちらに何か作用する事はできても、こちらからはあちらに作用できない。そんなからくりになっているのだろうな、と思っています。

 そして、自分自身のいくつかの経験から、神様(というか別の存在というか)の助力を得る事で、人生はだいぶ生きやすくなるという事を実感しています。

 

 そもそも息子は、うちの親族が頼りにしていた霊能者さん(すでに故人)に何度か会った事があり、その人の言う(予言的なこと)が、全て実生活で当たったいくのを、目にしています。

 息子自身が、その人に「どうして未来が分かるのですか」と聞いたら「神様から教わるんや」と言われたので、神様っているんだな、と息子は漠然と思っています。

 息子は自然に「神様はどこかにはいる」と信じていたわけですが、ただそれだけでした。息子にとって、身近で便利な神様は、私だったからです。

 これを、変えなければいけない、と私は思ったのです。息子によって私に担わされている神という立場を、本来の神様に担っていただかねば、と。

 具体的には、神様の声を、息子に聞かせるしかない、と思いました。

 それで、息子を神社に連れていき、息子が聞きたい未来について神様に質問させ、おみくじを引かせてみました。

 最初に行ったのは、宮島の厳島神社です。過去記事に書きました。 

oinor-i.hatenablog.com

 この時、息子は大吉をひき、そこに書いてあった言葉にいちいち心当たりがあった為、何か聞きたい時は、神様に聞くという方法をひとつ選択肢として持つようになりました。

 その後、今度は、昨年、愛媛県石鎚神社に行きました。 

oinor-i.hatenablog.com

  上に書いた霊能者さんが、「自分が死んだら神様修行の為に石鎚さんに行くので、石鎚さんに来てくれたら自分はいるから」と息子に言っていたからです。

 その言葉通り、私達が石鎚神社に行くと同時に、巫女さんの舞いが始まり、息子がひいたおみくじは大吉で、そこに書かれた言葉は、息子の質問の答えでした。

 また、今年、また石鎚神社に参拝し、巫女さんの舞い、大吉のおみくじ、と同じ事が起こりました。 

oinor-i.hatenablog.com

  ここに来て、初めて息子は、神様は私ではなく、神社にいるあの神様なのだ、と思い定めたようです。めでたく神様役が、私から本当の神様に、変わりました。息子は来年からは、石鎚神社参拝は、一人で行くと言いました。もう、私の付き添いはいらないと。

 今でも、日常的な息子のサポートは私がやっているし、こまごました事は二人で相談して決めていますが、息子はもう私には、未来に関する質問はしてきません。自分で分からない未来、不安な未来、こうなって欲しいと思っているが本当にこうなるのかどうか、そういう質問は、ためておいて、年に一回石鎚神社で、神様に聞くと言っています。おみくじを引く、という方法で。

 

 私や息子は、特別な宗教を持っているわけではありません。ただ、「何か別の存在」がいるという事や、その存在は、私達が良心に従って懸命に生きていれば、助けてくれるものだという事を、信じています。何もせずに自己中心的に怠惰でいて、ただ祈るだけでは、助けてはもらえないと思っています。

 なので、神様に依存しているわけでは、ないと思っています。

 このへんは、どうなんですかね。自分自身ではよく分かりませんが、今のところ、私達は、神様を信じる事で、スムーズに楽しく暮らせているので、良いかなと思っています。

 発達障害児は、特に母親に依存的になりやすく、と同時に、母親だけに我儘を言い暴力をふるい母親の言う事だけを聞かない、という風になりがちです。また、現実を自分の思い通りになるのが当然と思っていて、そうならない事に耐えられません。

 こういう発達障害児の問題を、「神の存在を信じる」事で、息子は乗り越える事ができました。他の方にお勧めできるかどうかは分かりませんが、こういう例もある、という事、うちはこれでうまくいっているし、とくに弊害はない、という事を、今日は書いてみました。

 では、このへんで終わります。

 

f:id:oinor-i:20210422105304j:plain