息子について、最近あまり書いていなかった気がするので、少し書いておこうと思います。
学校のほうは、おかげさまで、無事に機嫌よく通っています。少し前に、軽い困りごとがあったのですが、できる限りの手を打って、あと、氏神神社と下鴨神社にお願いに行ったら、きれいに解決しまして、今は平穏です。
成績のほうは、学校の成績は相変わらずよくて、近々の定期テストだと、得意な理数英はどの教科もほぼ満点でした。ただ、苦手な国語系だけは、平均ギリギリです。まあ平均点でも、生まれてから一冊も本を読んだ事のない息子には精一杯だと思います。学外の模試は今ひとつでしたが、手薄になっている範囲が出たので仕方ないかなあ。これから夏休みにかけて、キッチリ仕上げていかないといけないと思っています。やる事は分かっているので、あまり焦る気持ちは息子にも私にもありません。
私が焦らない理由の一つに、息子が勉強自体が好き、というのがあります。私はほとんど今までも息子に、「勉強しなさい」と言った事がなく。今はもう本当に言いません。時間が来たら本人が自分の部屋に行って勝手に勉強を始めるので、口出しする必要がないのです。これは多分、小1からずっと、つきっきりで一緒に勉強してきた習慣のせいかなあと思っています。小学生の間は、とにかく自宅での勉強の際は、ずっと横について教えていたし、一人でやらせる時も、後ろに座って「ちょっとココ教えて」と言われたら間髪入れずに応じれるように待機していました。
なので、息子は、「勉強する=母と一緒に取り組む、楽しい、分からないという辛さがない」、というような、ポジティブなイメージを確立したのではないかと思います。
中学生になってからは、放っておいても一人でどんどん出来るようになっていったので、小学生の頃のつきっきり、という感じではなくなったし、高校になってからは、本当に分からない所だけ教える、という感じで、ほぼ手出ししなくなりました。ただ、勉強の計画や予定表は、今でも一緒に作ります。こういうものは、どうも、息子一人で作るのは難しいようです。
つきっきりだった小学生の頃の成績が一番悪くてテストはほぼ毎回一桁。中学生になって急に出来るようになって、平均を超えるようになり、高校の今は上に書いた通りです。小学生の頃は、出来なかったからつきっきりで教えるしかなかった、という感じでした。それだけ手間暇かけてもなかなか結果が出なかったのですが、諦めないというのは大事ですね。
私自身が、親から一切勉強を教えてもらった記憶がなく、自己流で勉強していたので、無駄や不完全な面が多く、今思うと残念だったなと感じるので、息子にはそういう思いはしてほしくなかったので、一緒にやりました。親が口先だけで「勉強しなさい」と言うよりも、親が一緒になって子供と勉強し続けてやれば、子供は少なくとも勉強嫌いにはならないんじゃないかと思います。もちろん、勉強を教える際は、怒ったり叱ったりせず、根気よく穏やかに丁寧に工夫して教える必要がありますが。怒りながら教えるなら、教えないほうがまだマシなので。
勉強以外の事も書いておきます。
少し前に、一緒に下校する友達ができた、と書きましたが、今も変わらず時々一緒に帰っているそうです。先日は、「受験が終わったら、一緒に旅行しよう」とその子から誘われたそうで。でも息子は「僕、一人で東京行く予定だから、〇〇君とは旅行しない」と答えたのだとか、、、(苦笑)。こういうそっけない態度でも、仲良くしてくれるその子に本当に感謝です。
息子の、私に対する態度も、わりと安心できる感じで推移しています。心配ごとがあっても、私に長時間からんでくる事はないですし、手が出る事もありません。言っていいことと悪いことを考えて話しているのが分かるし、話しかけていいかタイミングを見る事もやれるようになってきました。
全体的に、最近の息子は、いい感じだなと思っています。有難いです。このまま、平穏で行って欲しいです。今年の3月頃は、私が家を出る事を本気で考えていたわけなので、嘘のような改善です。あの時作った荷物はスーツケースに入れたままで、まだスタンバってます。当分、そのままにしておきます。
うまくいっている理由は、一つには、腹をくくった、というのがあると思います。あとは、うまくいくように一つひとつ具体的に努力し続けている、というのもあります。それから、神社に参拝して祈願しているのも大きいと思います。勉強に関しては、京都の北野天満宮と大神神社の久延彦神社、他いくつかの境内社の天満宮に祈願しています。友人関係については、主に氏神神社と上賀茂神社に。精神的な落ち着きについては、石切神社と下鴨神社に。あと、色んなお願いを、色んな神社でさせて頂いています。
自助努力が一番大事ですが、一人で努力しているとなんかこう、空しいというかしんどくなるので、そういう時に神社に行って祈願すると、気持ちがラクになります。以前の私は、神社などまったく興味がなく、一年に一度初詣に行くのが関の山な人間でした。しかも初詣でも、手を合わせるだけで何も願わず。神頼みが何より嫌いな人間だったのです。今とでは雲泥の差。別にどっちがいい悪いの話ではないのですが、ああ私変わったなあ、、と、ときどきふと不思議になります。