書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

いちからの子育て記録6・言語能力獲得へ向けて努力した事

 多くの学習はそもそも、「模倣」から始まります。言葉もしかり。しかし息子は、「大人の模倣」を全くしない子でした。呼べばこちらを向き、あやせば笑い、目も合うし、よく世話してくれる人を認識し愛らしく懐く。だから、当初は誰も、息子が障害児だとは気付きませんでした。何かおかしい、どこかがおかしい、私が最初に大きな不安を感じたのは、「息子が大人の模倣を一切しない事」だったのです。
 他の様々な学習と同様で、「言葉の獲得」は模倣から始まります。模倣する気が一切ない子供に、言葉を教える事は不可能です。
 私は、ありとあらゆる方法を試しました。
 絵本も読み聞かせ、一緒に遊び、何かと自然に話しかけ、息子の意味のない喃語にも答えてやり、病院にも連れて行き、専門家にも聞き、療育にも「言葉の教室」にも通わせました。しっかりコミュニケ-ションを取り、よく話しかけ、テレビに子守りをさせるような事もなかったし、外遊びも積極的にさせ、同年代の子供と触れ合わせ、できるだけ刺激を与えるように、努力していました。
 でも、どこへ連れていっても、誰に合わせても、どんな刺激を与えても、息子は変わりませんでした。息子は、周囲の真似をする、という事を、一切しませんでした。

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 大人の模倣をしないのであれば、当時の息子が一体何を喜んでやっていたのかというと、前回書いたような、自閉的な反復行動です。例えばその場でピョンピョン飛び続ける、というような。そういう反復行動をしている時、息子はとても安定していて、心地よいように見えました。自分だけの世界に自閉し、外には一切関心を持たない境地というのでしょうか。そこにいさせてあげれば、彼は大人しく、手がかからず、本人も満足している。そこにとどまっていさせてあげれば、彼は幸せだったでしょう。けれども、そこにとどまっている限り、言葉を獲得する事は、不可能です。
 人間にとって、言葉は、コミュニケーションの基礎となるものです。
 もちろん、自閉的な常同行動に浸ってはいても、成長するに従って息子も、いつかは言葉を獲得していたと思います。10歳で?15歳で?分かりませんが。でも、息子は、この日本という社会に生きている。3歳から5歳まで幼稚園、6歳から11歳まで小学校、12歳から15歳まで中学校、16歳からその上へと。そういう社会システムの中に生きています。
 もし、息子が、無人島に私と二人で生きているなら、私も、無理やり言葉を教える事は、しなかったと思います。息子の自然な成長を待って、ゆっくり教えていっても何の不都合もないからです。
 でも、この日本の社会システムの中では、幼児期に言葉を覚えなければ、幼児期に経験する事を、経験できないままに成長する事になる。それは息子にとって、不幸な事だ、と私は思いました。
 それで、少しでも息子の模倣欲を刺激する方法はないかと、日々、工夫を繰り返しました。そして、ある日、ある1つの方法が、ヒットしました。それは、ほんの偶然でした。

 前日、家族で出かけた時のビデオを、私はテレビ画面で再生しながらDVDに落とし込んでいました。その時、息子が、画面に反応したのです。画面には、私が映っていました。息子は、テレビ画面の中の母親と、今このリビングに一緒にいる目の前の母親とを、同時に視野に収めていました。そして、とても不思議そうな顏をしました。ピンときた私は、ビデオの中で、私自身がやっていた動き(確か、喋りながら歩いていた)を、同じように実際に、息子に向けてやってみせました。つまり、画面の中の母親も、目の前の母親も、同時に同じ事をしているように、息子には見えたわけです。何が、どう、息子の頭の中で繋がったのか、分かりません。
 ただ息子はそこで、生まれて初めて、「他者の動き」というものに、注視したのです。画面の中と、目の前の母親を、じっと眺めていた彼は、ゆっくりと、私の真似をして、同じように歩き出しました。リビングを、ぐるぐると、私と一緒に、歩きまわり始めたのです。これが、息子が、私の動作を、最初に模倣した瞬間です。息子はすでに2歳でした。
 それから、息子は少しづつ、私の模倣をするようになっていきます。でも、言葉の獲得は、まだまだです。

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 2歳半で、医療機関にかかり、発達検査を受けさせた時、彼は一言も話せてはいませんでした。そこから私が、どういう努力をしたのかは、あまりにも長くなるので省きますが、おおまかに言うと、こういう事をしていました。
〇生活の中で、1つひとつの言葉を丁寧に言う。生活の中の物の名前を、物を使いながら、繰り返し言って聞かせる。
〇息子が発する音(言葉ではないなん語)は、さえぎらず、しっかり会話のように聞いてやる。
〇息子に、無理にリピートさせない。無理に何か言葉を言わせようとしない。
〇息子に、「これは何?」等と、聞かない。言葉を無理やり引き出そうとしない。
〇毎日、絵本の読み聞かせをする。
〇お遊戯や簡単な言葉遊びで、言葉のリズムを繰り返し聞かせる。
 それから、前述しましたが、毎日様々な刺激を与える事、できるだけお腹の底から笑えるような毎日を心がけてやる事、等をやっていました。
 息子が3歳になったある日、息子が、初めて言葉を話す日がやってきました。不思議な事に、私は、その言葉が何か、覚えていません。ただ、「パパ」でも「ママ」でもなかった事は確かです。息子は、何かを私のところに持ってきて、「〇〇して」と、頼んできました。何を持ってきて、何を頼んできたのか、私は覚えていないのです。嬉し過ぎて、頭がぼーっとして、私は忘れてしまったようです。
 多分、息子は、オモチャの缶を持ってきて「(蓋を)開けて」と言ったのか、何かそういう事だったと思います。いずれにしてもその時、「あけて」(というような言葉)、意味のある言葉を、息子が生れて初めて発しました。とても自然に。当たり前のように。その瞬間、私はただ、わーわー泣いて、嬉しくて嬉しくて、ぽかーんとしている息子を抱いて、飛び回りました。こうやって、息子は、初めて言葉を獲得しました。

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 しかしながらその後の言葉の成長も、遅々として進まず、たどたどしいものでした。こちらの言う事はまあまあ理解していましたが、彼から何かを言う、という事は、本当に少なかったです。幼稚園の先生には、以下の事をお願いしていました。

①クラス全体に話しかけた言葉は、息子には理解できないので、必要な事はクラス全体に話した後、息子に個別に話してやって欲しい。

②その際、できるだけ具体的な写真を用意してくれると理解しやすい。

例:「10時から園庭で遊びます」なら、10:00に合わせたデジタル時計、と、園庭の写真を見せる。息子はデジタル時計なら読めました。「12時からお弁当を食べます」なら、12:00に合わせたデジタル時計と、お弁当の写真を見せる。

このように、幼稚園の当時から、息子は、先の予定がハッキリ分かっていると、安心して過ごせるという特徴があったので、幼稚園の先生方には、できるだけ先の予定を息子に教えるようにお願いしていました。

③息子に何か尋ねる時は、二者択一の質問形式にして欲しい。その際、先生は右手と左手を出し、息子が答えを選択する時にどちらかの手をタッチして答えれるようにしてもらっていました。

例:「〇〇君は、しんどいですか?(先生は「しんどい」と言いながら左手を出す)。それとも大丈夫元気ですか?(先生は「大丈夫元気」と言いながら右手を出す)」。息子は、しんどければ、先生の左手をタッチしますし、大丈夫なら右手をタッチします。こういう質問の形でないと、息子は答えられなかったのです。

 「〇〇君、大丈夫?」的な漠然とした質問では、当時の息子は、答えられませんでした。答えを二者択一で限定される事で、息子の頭の中で物事がクリアになり、回答を選ぶ事ができたようです。

 ちなみに、普通の子供ならウンとうなずく、いいえと首を横に振る、という動作でイエス・ノーの意思表示をするものですが、息子は、この手の動作は一切できません。

④息子への指示は、一度に一つにして下さい。

例:「手を洗って、靴を脱いで、鞄をしまってから来てね」だと、息子に理解できるのは手を洗う事だけです。後の指示は忘れてしまいます。ですので、「手を洗ってね」と言って手を洗わせ、「靴を脱いでね」と言って靴を脱がせ、という風に、つどつど指示を言ってもらわねばなりません。

先生には、とてもお手間のかかる事で、これをお願いするのは、親として、本当に心苦しい事でした。

⑤息子から何かを先生に言いに行くことはまずないので、困っていないか苦しんでいないか、時々気にかけてやって欲しい。
 こんな感じで、幼稚園では先生方に大変お世話になりつつ、なんとか卒園する事ができました。その頃には、たどたどしいまでも、ある程度の意思疎通はできるまでになっていました。私の言う事も、複雑な表現でなければ、理解できるようになっていましたが、私以外の人とは、まだまだ会話が成り立たない状態でした。

 少し蛇足になりますが、言葉に関して、幼稚園の頃に私が一番しんどかった事をここで書いておきます。

 それは、息子が同じ言葉を、延々繰り返し私に言いたがる事です。と同時に、私にそれをリピートさせたがるのです。例えば、お散歩していて看板があったとします。息子は看板を指さして(当時、やっと指さしをマスターしました)、「アレなに?」と息子は私に聞きます(当時、「アレなに?」という言葉も、やっとマスターしました。息子にとって「アレなに?」は、「アレ」と「なに?」の2語ではなく、「アレなに?」という一語として使っていましたので、目の前のものでも指さして「アレなに?」と言っていました)。

息子:(看板を指さして)「アレなに?」

私:「かんばん」(だよ、とかそういう言葉はあえて言いません。言ってしまうと、かんばんだよ、という名前のものだと覚えてしまうからです)

息子:かんばん

私:(そうね)、かんばん

息子:かんばん

私:(うんそうね)、かんばん

息子:かんばん

私:・・・・・・(面倒くさくなってリピートをやめる)

息子:あー!!!!!あー!!!!かんばん!!!!(私がリピートしないので、怒って大声を出し始める)

私:(仕方なく)かんばん

息子:(機嫌を直して)かんばん

私:かんばん

息子:かんばん

 かんばん、かんばん、のやり取りが、20分も30分も続きます。私が言うのをやめると、息子が癇癪を起すので止められないのです。これは本当に大人にとっては無意味な無益な行動で、とてもしんどかったです。当時、担当医に相談したところ、息子はこうやって同じ言葉を延々やり取りする事で、私と会話している気分になっているのだろう、という事でしたが、ではどうやったらコレをを止めさせる事ができるのか?については、教えてもらえませんでした。

 この、息子の言葉を私が延々リピートする、というものは、息子にとっての常同行動に近いものではないかと、今の私は思います。乳幼児の頃の息子は一人っきりの世界に浸って常同行動をしていましたが、それが、私と二人の世界になっただけの事じゃないかと。いずれにしても閉じた世界で同じ行動を繰り返す事で心地良くなる、という、息子の自閉的な面が出ていたのではないかと、今になっては思います。

 でも、幼稚園当時の私は、息子が「言葉」というものを話す発する事を、止めさせるなんて、とてもできませんでした。どんな言葉でも、どんな状況でも、息子が彼自身の自発的な意思で言葉を発する機会があるのなら、それはとても貴重で大切なものなのだから、邪魔したり止め立てしてはいけない、と思い込んでいました。ましてや医師から「それは息子さんはお母さんと会話しているつもりなんですよ」と言われた日には、もう、息子の無意味でしんどい「延々リピート」に、付き合い続けるしかなかったのです。

 今思えば、適当なところでやめて(3回なら3回と決めておいて)、やめて息子が癇癪を起しても仕方ないと諦めて割り切るべきでした。「延々リピート」に付き合った事は、私にとっての苦役だっただけでなく、多分、息子の自閉さを助長したのではないかと思います。あれが医師の言う通り「息子にとって会話のつもり」だったのだとしたら、「会話というものは自分勝手に自分が好きなように好きな事を延々言い続ければいいものだ。相手の反応など気にしなくていいのだ。相手が一方的に自分に合わせてくれるものが、会話なのだ」という間違った感覚を、息子に植え付けてしまったように思います。

 こんな風に、息子の子育てにおいて、何をどこまで受容すべきか、という事が、今思えば最大の謎だったと思います。当時、どの専門家も「何でもかんでも受容して下さい」という方針を推奨されていたと記憶しています。お子さんの事は拒絶せずに受容して下さい。際限なく受容して下さい、と。

 でも今思うに、子供の自閉的な部分が子供にさせている事については、キッパリと否定すべきだったと思います。癇癪が始まってしまうと収拾がつかなくなるので、癇癪が始まる一歩手前で、それが起こらない工夫をするべきだったと思うのです。例えば、息子の「延々リピート」も、最初のきっかけはいつも「アレなに?」からでしたから、息子が「アレなに?」と聞いた瞬間に、息子の気をそらす事をすればよかったかもしれません。息子が自発的に興味を持って聞いてくれたんだから、と嬉しがって、馬鹿正直に答えてしまうから、「延々リピート」が始まってしまったわけです。

 今冷静に考えると、息子は私に「アレなに?」と聞いてはいますが、実はすでにそれが「何かということ(例えば、かんばんであるという事)」を、知っている場合も多かったのです。知っているくせにあえて聞く、という事を、当時の息子はやっていて、この癖は今でも続いています。だから、当時、私が、「あ、この子は知っているくせに聞いてきているな」と気づけば、答えずに、息子の気をそらす事をすれば良かったのだと思います。それが、息子の「延々リピート」つまり自閉世界に閉じこもる機会を、減らす事にも繋がったのだと思うのです。

 ですが、そういう事を、当時の私は知りませんでした。専門書にも書いてなかったし、専門家も言ってはいませんでした。だから仕方ない、と言うのもおかしいですが、まあ、残念ではあります。

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 まあそんな息子ですが、なんとか無事、小学校に入学できました。息子が、私以外の人とも、なんとか会話が成り立つようになったのは、小4の頃だったと思います。ですが、「会話が成り立つ」と言っても、こちらが息子に分かりやすく単純な内容の事しか言わないし、息子からの返しの不備もこちらが意味を推測で補う事によって、かろうじて成り立っている、という感じ。よく考えたら、こういう状態が、今だに続いています。
 なので、息子は、配慮して会話してくれる大人とは会話できますが、配慮してくれない同じ年齢の子供達とは、会話が成り立ちにくいのです。息子に友達ができない原因は、会話が成り立たないから、というのが大きいです。ですが、不思議なもので、会話ができないのですが、勉強はできるのです。なかなか複雑な論述文も読み取っていますし、学校の成績は学年で一桁以内ですので、、。息子の会話力が伸びないのは、やはり根本に、「人と会話したい」という欲求の低さがあるのだと思います。他人に対する興味の薄いのです。今の息子は、雑談は苦手ですが、必要な要件なら会話でやり取りできるところまで来ました。
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 私は、息子を育てていて、ずっと「この子の脳ミソは、ザルのようだわ」と思っていました。よく、言葉の獲得に関する子供の脳は、コップのようだ、と言われますが、息子の脳はザル、だと。
 普通の子の脳はコップなので、大人の言葉かけという水が、どんどんたまっていく。水がコップの縁まで来たら、発語という形で溢れだします。でも、言葉をかけてもかけても、一向に話し出さない息子の脳は、ザルで出来ているようだと、当時の私には感じられたのです。かけた言葉はすべて、ザルの穴からこぼれて流れてしまうようでした。
 でも、息子の脳がたとえザルで、自分のこのせっせとした声かけが、全て無駄であったとしても、それでもいいのだ、と当時の私は思っていました。何もしないでは、いられない。この努力が、全て無駄であったとしても、それでも、何もしないでいるわけにはいかない。私は、そう思っていました。
 結局のところ、息子の脳は、ザルではなく、やはりコップだったわけです。ただ、そのサイズが、通常よりずっと大きく、水がたまるまで、通常よりずっと時間がかかったのですね。もしくは、何かの奇跡がおこり、ザルがコップに変わったのかもしれません。本当のところは、誰にも分かりません。

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