書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

家の中で話しかけられるのが苦痛

 話しかけられるのが嫌な時って、ありませんか。

 私は特に、家の中にいて何かを夢中になって楽しんでやっている時に、家族から話しかけられるのが苦痛に感じます。

 外出中に、つまり家の外でなら、誰かに話しかけられても、そこまで苦痛に感じないのですが。

 外出中は、そこまで集中しないからだと思います。何かを楽しんでやっていたとしても、常に周囲を意識する部分を残しているというか。集中しきっていないというか。

 でも家の中では、安心して油断して、徹底的に集中しているので、だからこそ、家族に話しかけられる事でそれを中断されると、とても苦痛に感じるのだと思います。

 たとえば、息子からの話というのは、全く話す意味のない事が多いのです。単に、息子の不安感を何とかして欲しい、という内容のことばかりで。何度も繰り返し同じ質問をしてくるし、それに答える事に意味なんて感じないものばかり。ナンセンスな事ばかり。まったく無意味な質問と、まったく無意味な回答(でも無意味だからこそ、頭を振り絞らないと答えられない。)

 何かをしている時に、まったく無意味な事でそれを中断させられるというのは、私には苦痛に感じられるのです。

 例えば、これが赤ちゃんで、オムツを替えなければとか、何なら理由は分からないけれど泣きだしたのであやさなければ、というのならまだマシなのです。少なくとも意味はあるから。

 意味がない事の為に、今この楽しい集中を途切らせねばならない、というのが苦痛なのです。

 でも、息子には、できるだけ機嫌よく答えるようにしています。少なくとも、不機嫌さは出さないように気を付けています。

 だって自分も、何か話しかけた時に、あからさまに嫌そうな顔されたら、不愉快だもの。うちの夫がそうなのです。

 彼はテレビを見ている時に話しかけられると、とても不愉快そうにオーバーリアクションでまず録画再生をリモコンで中断し、それから「はあ~?なんなん?それ今言わないとあかん事?そんなしょーもない事聞いてくるなんて、頭おかしいんと違う?」的な感じで、過剰に顔を歪めて、私に対応する事がものすごく大変なのだという事をアピールしつつ同時に私を小馬鹿にした風にこっちを見るので、腹立つんですね。

 夫は家にいる時はほぼほぼテレビをつけているので、となると、夫に話しかける事はほぼほぼ無理、という事になります。

 なので、私はだいぶ前から、夫に言わねばならない事は、メールで送る事にしています。面倒なのですが、話しかけて「はあ~?」と嫌そうに小馬鹿にされることよりも、まだマシなので。

 夫はそんな風に、私から夫に話すのは嫌がるくせに、自分からは私に話してきます。こちらが何をしていてもおかまいなしに。内容は「〇〇はどこにある?」的な質問が多いです。この家に住んで20年以上たつのに、まだ○○の場所を覚えてないの?とウンザリします。覚える気がないのでしょう。

 彼は私に話しかける権利がある、でも私には彼に話しかける権利はない、そんな風に夫は思い込んでいるようです。私は別に、無駄話をするタイプではないし、話自体もダラダラ長いほうではなく、むしろ簡潔に手短にまとめるほうなのです。話す内容も話す必要がどうしてもある事に限っています。それでも、夫からしたら駄目なようです。

 そう言えば、以前、同じような内容のアメリカ小説を読みました。女性は話してはいけない法律が出来たアメリカ、みたいな。小説なので架空ですが、リアリティーがありました。 過去記事にも書きましたが、もう一度ご紹介。

  内容は過去記事をそのままコピペします。

 舞台は現在のアメリカ。ジャンルとしてはSFかな。でも、SF嫌いの私が、とても面白く読めたので、SFではないのかも。

 ざっくりあらすじを書きます。「アメリカで、大統領政策として、強制的に、あらゆる女性から、言葉が奪われた。一日100語以上話すと強力な電流が流れるというブレスレットを、全ての女性がはめさせられる事となった。話す事を禁じられたので、女性は働く事ができない。女性は、口を開かず、家で家事育児のみをし、夫の相手をしていればそれでいい、という政策。家の中でも、同じ子供でも、男児は活発に喋る事を奨励され、女児は黙っている事を強制される。女児は女児だけの学校に通い、ただ教師の話を聞くだけで自分達からは発言しない。話す言葉が一番少なかった子には褒美が出る。

 主人公の女性は、もともとは失語症の研究者。政府は、ある研究の為に、主人公に協力を依頼する。政府に協力している間に限りブレスレットを外す許可が下り、主人公は言葉を自由に話す事が出来るようになった。しかし、政府の研究の真の目的は、更に女性達から徹底的に言葉を奪う手段を見つける事だった。それに気づいた主人公は、表面的には政府に協力しつつ、裏をかく方法を模索する」

 主人公の女性の夫は、優しく包容力もあるひとかどの人物として描かれているのですが、その夫からして、主人公が政府に協力する条件で再び言葉を自由に話せるようになったら、「以前の(話せない)君のほうが良かった」と、つい口走ってしまう、という場面が印象的でした。

 アメリカ人女性は、たしかに、ものすごく喋りますが、、。だから、あの口を塞ぎたい、と男性が考えるのも分かりますが、、。とにかく、皮肉に満ちた見事なディストピア小説で、1ページたりとも退屈さや凡庸さを感じるページはなく、新鮮でありつつ、激しく共感でき、一気読みです。

 

 私が一気読みした理由は、ものすごく共感したからだと思われます。

 人は、自分が好き勝手喋るのはいいけれど、(自分が話しかけられたくない時に、または、自分が興味のない話題を、または、自分が話したくない事を)人から話されるのは嫌なんだろうと思います。考えてみれば当たり前のことだけれど。

 外にいる時は多少構えているからまだ大丈夫だけれど、家の中では油断しているから、苦痛をダイレクトに感じてしんどいのだろうなあ。

 まあ、だからといって、何がどう、という事はありません。そういう日々だというご報告です。いい事もあり、嫌な事もあり、なのが当たり前だし、これは私個人の考えですが、嫌な事こそ嫌な顔をしないで過ごすことが、大事じゃないかと思っています。何故かというと、嫌な顔をするとその嫌な事が、何倍にも膨れ上がるからです。嫌な事も普通の顔でやり過ごすと、最小限で終われるので。

 あと、嫌な顔をすると、相手も嫌な気持ちになるしね。相手を嫌な気持ちにする事自体が、私は嫌なので。それもあります。

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 あと。

 息子のナンセンスなしつこい質問に答え続ける事も、まったくの無意味ではなく、最近は、繰り返しているうちに息子自身が内容を咀嚼し自分なりに結論をつけて、終わってくれるようになりました。

 以前は、とにかく、息子が欲しい答えを私が言うまで終わらなかったのです。私の答えが息子の欲しい答えではない時は、全部無視して最初から質問を繰り返すという。だから質問が永遠に終わらないという。

 でも最近は、息子が欲しい答えと、私の答えが異なる時でも、なんとか息子なりに解釈をつけ、自分なりに落としどころを見つけようと努力するようになりました。

 よって、私が答えてやる事がまったくの無意味ではなくなり、少しづつ手ごたえが生まれて来た事が嬉しいです。

 夫についても、以前よりはマシになってきました。

 そう考えると、世の中にはまったくの無駄など、ないのかもしれません。無駄に思わる事は、多分その効果が、まだ目に見えるほどたまっていない、多くない、という事なのかもしれません。

 ではでは、今日はこのへんで。