発達障害の息子と話していて疲れる理由が、今日わりとハッキリわかりましたので、書いておこうと思います。
➀息子は、前提を端折って、言いたい事だけ言う。
自分の頭の中の前提は、当然、こちらも分かっていると何故か思い込んでおり、前提を説明してくれないので、こちらは、前提を推測する必要があり、疲れる
②前提が、普通の思考ではない。認知が歪んでいるのと、幼稚園児並みの幼い感覚が入り混じっている為、私の普通の思考で、彼の前提を推測する事が難しい。
③自分の希望や要望を、否定される事を認めない為、質問に否定的に答える事が不可能。
④現実的にはどう考えても、ノーとしか言えない場合が多いのに、嘘をつく事なくイエスを答えなくてはならない為、とてつもなく頭を使う。
⑤イエスと答えても、彼の希望通りのイエスでなければ納得しない為、質問が終わらない。
まあ、ざっとこんな理由があり、息子と話すのは疲れるわけです。
最近気づいたのは、特に、➁の特徴です。
彼の前提を推測するのが、とても難しく、この推測ですったもんだの会話の行き来があり、彼も自分の言いたい事が、すんなり私に通じないので苛立ちます。
「ごめん。それって、こういう事?」と私がかいつまんで、彼の前提を確認するのですが、彼はその都度「そうじゃない」「どうして分からないの?」「何度も聞いてきて、申し訳ないと思わないの?」と言ってくるのですが。
いや、だったらもう諦めて、私に言わなきゃいいのに、と思うのですよね。
私から話しかけたわけじゃないわけです。彼から、私に話しかけてきているわけなので。私が理解できないからといって、私が怒られるのはおかしな話です。
彼の話を理解できたところで、私には何のメリットもないのですから。
私が彼に「こういう事?」と尋ねるのは、彼の説明が不十分すぎるからであって、非は彼のほうにあるのですが、私が彼に尋ねる形になっているので、まるで私が彼に何かを質問し教えを乞ういているかのようになるのですね。
で、「どうして分からないの?」と彼に怒られる、イライラされる、という理不尽。
だったらもうこの話はおしまい、と言ってしまいたい気持ちをグッとこらえる辛さ。
これが、息子と話すと疲れる一番大きな理由だと、最近やっと気づきました。
例えばこういう事です。(仮定の話です)。
大学に入った頃、彼が「2年の終わりが卒業式になると思う?」と聞いてきました。
普通に答えるなら「100%ノー」です。でも、何がなんでもイエスで答えねばならないので、「なる可能性も0じゃないね」と答えました。天変地異や戦争があったとして、、、という荒唐無稽な可能性を入れれば、という事で無理やりですが、嘘じゃない。
でも、これは息子の欲しい答えではなかった為、「どういう時に、卒業式が2年の終わりになると思う?」と質問を変えて来ました。
こうなるともう、的確な答えは湧いて来ませんから、こちらから、質問の前提を尋ねるしかありません。
「どうして、2年で卒業したいの? 勉強する期間が短くなるから?」と尋ねると、
息子いわく「違う。卒業式が2年後だといいなと思って」と言う。だから、そう思う理由を聞いてるんじゃないか!と苛立ちそうになるのを抑えて、「どうして2年後だといいの?」と聞くと、「お祖母ちゃんが若いから」と答えるんですね。
息子は、私の母に卒業式に来て欲しいそうで、2年後ならまだ母も元気だから、来てくれそうだから、2年で卒業したいと、こういう事だと分かりました。
どうして卒業式に、お祖母ちゃんに来て欲しいのか尋ねると、卒園式も、小中の卒業式も、お祖母ちゃんが来てくれたから、と答えるのです。高校はコロナで、卒業式に外部の出席はありませんでした。
もともと行事ごとが苦手な息子は、卒業式も苦手ですが、ずっとお祖母ちゃんが来てくれたから、それが理由で、卒業式が楽しかったから、息子は、お祖母ちゃんが卒業式に来てくれたら、卒業式が楽しくなる、と思い込んでいるのです。
う~ん。大学生ですよ。
これを、本気で、真剣に考えているわけで、悲しくなりますが、これが息子なので仕方ありません。
ここまで分かると、息子の希望する答えを答える事が、可能になってきました。
「お祖母ちゃんは、まだまだ元気だから、卒業式がずっと先でも、きっと来てくれるよ。大丈夫よ」
これは、可能性としてはかなり高くなりますので、息子も納得し、この会話は無事に終わりました。
書くとスンナリ会話が進んだように見えますが、実際は、ああでもないこうでもない、の行ったり来たりがあってから、ここに到達しましたので、やはり疲れるわけです。
お祖母ちゃんが来ないと卒業式は苦行になってしまう、というのが、そもそも認知の歪みなですよね。ナンセンスなわけです。祖母なんて、ただ後ろに列席しているだけですから、何の影響力もないのに。息子は、あると思い込んでいるわけです。
尚且つ、お祖母ちゃんに行事ごとに来て欲しい、だなんていう思考は、幼稚園児のものであって、大学生のものではありません。洒落じゃなく、本気で涙ながらに思っているのだから、余計です。
こういう事が、頻繁に、息子との会話で起こります。そのたびに私は、とても疲れ、かつ、少し絶望するわけです。でも、人生は続いていきますから、何とかしゃっきりしてやっていきます。ではまた~