書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

子供が聞かれたのに親が答えるという事について

 今日、下記に書いたような内容のブログ記事を拝読しました。ネガティブな意見を書いてしまうと思うので、引用はやめて、内容の要約で紹介させて頂きます。

 

 そのブロガーさんは、有名な心理カウンセラーさんで、「バウンダリーオーバー」というケースの紹介をされていました。

バウンダリー(境界線)とは、

自分と他人との適切な境界線を引くということ。それは具体的には、①他人の問題を自分の問題にしない、②他人の責任を自分の責任にしない、③他人がやるべきことを自分がやらないこと、の3つである。

だそうです。「オーバー」なので、これが出来ていない、という事です。

 で、そのブロガーさんは、次のようなケースを書いておられました。

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 小学2年生の子供とお母さんが、悩み相談に来られた。カウンセリングに来られる親子のケースでは、私が質問したことに、お母さんが先に答えようとすることが多い。 私が、その小学生2年生の子供の目を見て、「いちばん仲のいい友達は誰?」と聞いてみたところ、「それは○○くんよね。いつも宿題も届けてくれるし」とお母さんが先に答えた。私たちカウンセラーは、このパターンはよく心得ていて、「お母さんに聞いているのではなく、□□くんの口から答えを聞きたいのです」というような、あからさまな対応はしない。お母さんは、無意識のうちに、子供の答えが親である自分と不一致にならないように警戒してしまうので、先に答えるのは自然な態度だからだ。

 小学校2年生ならすでに、子供自身の感情世界があって、クラスメートや教師との日々の微細な「感情模様」の中で生きている。ところが、お母さんから、既定路線の(お母さんが希望するような)友人の構図を横から吹き込まれると、その構図と日々の「感情模様」に葛藤を感じる。ココロをうまく言葉に表わせない子ならなおさら混乱し、学校での振る舞いがわからなくなってしまうのだ。

 つまり、起こっているのは、母親による子供の感情世界へのバウンダリー・オーバー。これはお母さん自身の不安のなせることであり、それゆえに解決プロセスは複雑だ。なにしろ、現実に顕あらわな問題となっているのは子供のほうであって、お母さん自身は自分の周囲の人間関係はうまくいっていると考えているからだ。

  ポイントは、バウンダリー・オーバーしてくる人は、①一見、その子(人)のために見える②その善意に身を隠して、自分の欲求を満たそうとしている、ということだ。

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 さて。

 私がこの記事を読んで感じたのは。

 「あー、だったら、このカウンセラーさんは、子供とだけ話せばいいのになあ」という事です。

 息子が小さい頃は、言葉での意思の疎通が難しかった事だけでなく、言葉が話せるようになっても、他人の話の意味を理解する事が(文脈の意味を捉える事が)、息子には難しかったです。また、息子が話す事も、他人には「え?何が言いたいの?」というちんぷんかんぷんな内容でした。早い話が、会話が全く成り立たない。

 息子に、彼が理解できる言葉で説明できるのは私だけだったし、また、息子の言葉を他人が理解できる言葉に変えて説明できるのも私だけでした。

 なので、他人と息子との会話には、必ず私が「通訳」として入りました。そうしなければ、会話が成り立たなかったからです。

 ですが。

 私が「通訳」として、「先生」の言葉を息子に説明しようと、先生と息子の間に入ると、「親がしゃしゃり出て」「あー、この手のお母さんね」「こういう出しゃばりのお母さんだから息子さんに問題が出るのよ」「息子さんの問題はお母さんのせい」と、散々言われてきました。言われないまでも、そう判断されてきました。

 そのたびに私は思いました。

 だったら、カウンセリングを、息子と二人っきりでやればいいじゃないの、と。

 小2の頃であれば、普通の人は、息子とは全く意思の疎通ができなかったはずです。ちんぷんかんぷんな、あさっての方向を向いた、意味のない、ただただストレスのたまるだけの言葉が往復するだけで。それを経験されて初めて、「先生」は、親である私の通訳無しには、息子のカウンセリングが成り立たない事に気づくのです。

 私が一番嫌なのは、

「お母さんに聞いているのではなく、□□くんの口から答えを聞きたいのです」というような、あからさまな対応はしない

事です。あからさまな対応をされたら、むしろ有難い。「では、子供と直接話して下さい」と言えるから。そして、そうすれば、子供と直接の会話が成り立たない、という事が相手に分かってもらえるから。

 そうではなく、勝手に相手の中で「ああ、この親はバウンダリーオーバーだ」と決めつけられるのが困るのです。私がさげすまれる、という事が嫌なのではなく「この子供が抱えている問題は、親がバウンダリーオーバーだからだ、親のほうに問題があるのだが、それをこの親は分かっていない」という間違った判断をされる事が困る。間違った判断からは、正しい解決方法は、導き出されませんから。

 問題を抱えた子供がカウンセラーを訪ねるという事と、グレー児を含めると6人に1人が発達障害だと言われている現状を重ねてみれば、カウンセラーを訪ねる子供の中に含まれる発達障害児の割合は、相当高いと推測されます。

 しかし不思議なことに、多くのカウンセラーさん(或いは先生方)は、クライアント(もしくは生徒)が発達障害である、という可能性を何故か考慮されないのです。

 理由は、発達障害児(者)への心理カウンセリング技術が大変難しく、まだまだ発展途上である為、ほとんどのカウンセラーさん(もしくは先生方)は、発達障害児(者)への専門家としての対応が、分からないからです。勉強しようとしても、あまりにも難しい為に、さじを投げてしまうのです。

 だから、自分のクライアント(または生徒)には、発達障害はいない、という前提に立たれるのです。発達障害がいる、という前提に立ってしまうと、じゃあそれについて勉強していない自分は怠慢であり、カウンセラー(先生)として失格である、という事になってしまうからです。

 従って、「子供が発達障害児なので、親が子供と先生との間の通訳に入っている」というケースであっても、「親がバウンダリーオーバーだ。親に問題がある。子供に問題はない」という事に、されてしまうわけです。つまり、せっかく相談に行っても、的外れな対応をされ、子供の問題は解決されないわけです。

 ・・・・・・

 もちろん、バウンダリーオーバーな親はいると思いますが、発達障害児の親に限って言えば、私は見た事がないです。むしろ、「バウンダリーオーバーだと思われたくない(出しゃばりな親だと思われたくない)」という意識が強すぎて、子供を助けない親、放任してしまう親のほうが、発達障害児の親に限って言えば、多いと感じます。それは、子供が小さい頃から、致し方なく子供に手をかけてきていて(障害児故、手をかけずには育てられないからです)、その事を周囲から責められ続けた結果、子供に手をかけると自分が責められる、と勉強してしまうからです。また、上に紹介したような「先生方」からバウンダリーオーバーと判断され、手をかける事を非難されるからです。親から手をかけてもらえない発達障害児は困るし苦しむのですが、親自体は過保護だと責められる事はなくなります。

 (世間的に見て)いいお母さんに育てられた発達障害児は、けっこう苦しい思いをしている子供が多いと感じます。個人的には、発達障害児の親は(世間的に見て)いいお母さんになる事を諦めたほうが、いいんじゃないかと思っています。

 恨み節っぽくなりますが、我が家のような育てにくい子供を育てていると、必ずといっていいほど、他人様から、こういう視線を浴びました。

「あの母親の育て方は間違っている。私(僕)が育てたら、もっとちゃんと育ててあげられるのに。子供がかわいそう」

 発達障害児は、一見、健常児に見えるので、子供に問題が生じる原因は親にある、という風に思われがちなのです。

 私の大好きな桜井識子さんですら、5年ぐらい前のブログで、とんちんかんな事を書いておられました。電車の中で騒いでいる子供に対する、その親の対応がおかしかった、こうすればいいのに、と思った、というような内容でした。

 一読して、私は、「あー、この子供は発達障害児だな」とすぐ分かりました。言動が発達障害特性そのものだったからです。なので、その子が騒いでいるのをやめないのは親の対応の不手際ではない、と言うか、親がどう対応しても一旦癇癪状態に陥った発達障害児を収める事は不可能なので、子供が疲れ切るのを待つしかないのです。他人に迷惑がかかる場合は、電車を途中下車してホームで子供の癇癪が収まるのを待ちますが、特急などで駅になかなか着かないと、それもできません。電車内で、親は針のむしろです。ちなみに、発達障害児の癇癪の火種は、予測不可能な場合が多く、発達障害児が癇癪発作を起こしたからといって、それを100%親の咎と決めつけるのには無理があります。そういう事を、発達障害児の親なら分かっていますが、そうでない人には分からない。仕方ないことです。桜井識子さんにも分からなかった。だから、その親の取るべき対応について、とんちんかんなアドバイス記事を書いておられました。

 桜井さんのその記事に対しては、少なくない数の批判メッセージ(おそらく発達障害児の親から)が届いたとの事です。「こうこう、こういう内容の批判メッセージが沢山来ました。私の思いがきちんと伝わらなかったようです。私はこういう事が言いたかったのです」と桜井さんは改めて記事を書いておられましたが、残念なことに、それもまた、とんちんかんなアドバイスでした。

 何が言いたかったか、というと、一流霊能者の桜井識子さんですら、発達障害については的を外す、という事です。桜井さんですら、発達障害についてはよく分かっておられない、という事です。それぐらい、発達障害については、誰も何も知らない、理解できていない、という事が、私は言いたかったのです。

 繰り返しになりますが、発達障害は今現在、グレー児を含めると、6人に1人生まれて来ています。なのに、あまりにも難しい為、誰も理解できていない、という事実が、恐ろしいなあと思うわけです。長々と書いてきて、結局それかい、という話ですが、、、。それでも、親は、諦めずに育てなくてはいけない、いつも結論は同じです。

 

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