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「大惨事と情報隠蔽」ドミトリ・チェルノフ+ディディエ・ソネット著

「大惨事と情報隠蔽」を読みました。

 

大惨事と情報隠蔽: 原発事故、大規模リコールから金融崩壊まで

大惨事と情報隠蔽: 原発事故、大規模リコールから金融崩壊まで

 

   なかなか読みごたえのある本でした。帯の説明をそのままコピーすると。

原発事故や原油流出などの工業分野の大事故だけでなく、軍事的失敗や感染症大流行などの社会的事件、自動車の大規模リコールや衣料製品不正製造などの消費者問題、さらには銀行破たんや金融崩壊などの経済危機まで、幅広い分野の事例を検証。人はなぜ「危険」を隠したがるのか?リスクの無視、非共有、あからさまな隠蔽を、人々にさせる理由とは、そういう組織の特徴とは?」

 どの事例も丁寧な取材がされており、一つの事例だけで一冊の本ができるのではないかと思われるほどの情報量と完成度です。最初は、いかにも人間らしいちょっとした心の弱さや狡さ、また、大きく複雑になってしまった組織の綻び、そんな些細な裂け目が、ある時突然広がり始め、あっという間に想定外の大惨事に進んでしまうその有様を、沢山の事例として紹介されています。

 また、過去の事例でけでなく、本書の後半には、未来の大惨事の可能性について、まさに今、隠蔽が進行中の事例の紹介に、多くのページが割かれています。

 例えば。

 アメリカのシュールガスオイル開発

 遺伝子組み換え作物

 アメリカの政府債務と中国のGDP

 サイバー軍拡競争

 ソフトウェア産業脆弱性

      ・・・・・・・

 不思議な事に、こうやって今現在隠蔽が進んでいると分かっているのに、私達には何もできないのです。いずれ必ず大惨事が起こると分かっているのに。その理由が、本書には詳しく載っています。

 1つの例として、ソフトウェア業界の脆弱性について本書に書かれていた内容を、ざっくり要約してみます。

 普通の小売商品というのは、欠陥が見つかればリコールがかかります。が、ソフトウェア商品に限り、リコールする必要がないのだそうです。なぜならば、ソフトウェア商品は、生産者と末端の消費者が直接繋がっているからです。生産者は、自社商品の欠陥を見つければ、「アップデートのお知らせ」という形で、個々の消費者に直接、新しい商品を送りつければすむだけなのです。ですから、ソフトウェア商品というのは、発売時にすでに欠陥商品であり、それが当たり前であり、発売した後に、欠陥部分を1つ、2つと直した「現段階で少しだけマシになった商品」を、「アップデート」として消費者に送るのです。消費者は「アップデート」の意味を、「更に良い商品」という風に受け取っていますが、実際は「アップデート」とは、「お粗末な商品の欠陥を、少しだけ直した商品(完全には直せていない)」なのです。

 これの何が問題なのか、と言えば、どれだけ不完全な商品であっても、消費者はそれを知る事ができない、ということです。生産者がリコールを行う必要がないので、商品の欠陥が、消費者に知らされることがないからです。

 つまり、ソフトウェア企業は、自社製品の信頼性と直面しない、という特殊な立ち位置にいるのです。ソフトウェア業界とて、激しい開発競争にさらされているのは、他の小売業界と同じ。他の小売業界は「自社の信頼性」という重しがある為に、おいそれと欠陥商品を発売できませんが、ソフトウェア業界には、それができてしまうのです。現在、政府組織も企業もソフトウェアに依存しているこの社会で、そのソフトウェアに脆弱性が織り込まれているという事実は、サイバー攻撃の危険をいや増す事に繋がります。いつか必ず決壊が起こるはずです。

 サイバーセキュリティーに詳しいダン・ギア氏(イン・テルの最高情報セキュリティー責任者)が、情報セキュリティの国際会議”ブラックハット”で、2014年に、こういう事を主張しました。

「世界には2つだけ、製品の信頼性を考えなくてもいい業界があります。1つは宗教界、そしてもう1つはソフトウェア業界です」

 確かに。。

 ちなみにこの日本では、宗教は、自己啓発やスピリチュアルに形を変えて広がっていますが、これも大惨事が起こる芽は確実にあるなあと個人的に思いました。

 また、信頼性を考えなくてもいい云々とは別の話になりますが、「トップの人間性に狂いがあり、組織に歪みがある場合、大惨事はいつか必ず起こる」という事は、今回の日大アメフト部の事件を見て改めて実感しました。歴史ある日大アメフト部ですが、廃部に追い込まれる可能性は高いと思います。また、付属高校8校持つ、大学自体も超マンモス校である日大に、今後、我が子を通わせたいと思う親は、激減するだろうと思われます。今回明るみに出た私学としての日大の体質は「親として子供に経験させたくない組織体質」そのものだからです。この事件に関しては、別に思う事が沢山ありましたので、改めて記事に書きたいと思います。