書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

嫌々やるから失敗する。完璧を望み過ぎる春。

 他人様のことをアレコレ言う暇があったら、自分の事をちゃんとやれ、と自分自身を怒鳴りつけたくなる状況が、立て続けに起こっている。反省、反省、反省の連続。ここ最近、直視せねばならない自分の弱みが、白日の元に晒される事が続いている。

 私の失敗の原因を紐解くと、必ず「嫌々やったから」という所に辿り着く。嫌な事はやらなくていい、というようなポリシーで生きておられる方も多いだろうけれど、そしてそれはそれで幸せな生き方として正解なのだろうけれど、私は自分自身の選択として「嫌な事もやらねばならないのならやる」主義だ。嫌な事は避けて通ったり、後廻しにしたり、見て見ぬフリはしない事にしている、そこは良い。そういう自分を肯定している。でも私は、嫌な事をやる時に、嫌々やってしまうのだ。そこがいけない。

 嫌な事も後廻しにせずさっさとやる。そこまでの私の行動は良いのだが、「嫌だから嫌々やってしまう」のだ。これがいけない。

 どういう事かというと、嫌々やると、たいてい失敗してしまう。その失敗にその時点で気づければまだいいが、時間差で失敗が発覚する場合はもう、取り返しがつかなくなっている。後悔に激しく歯噛みするのだけれど、悪いのは私自身だから、どうしようもない。こういう時は本当に辛い。生きていく事自体が嫌になるぐらい、落ち込む。

 例えば、提出書類の不備や、提出期限の間違い。勘違い。以前にも書いたが、私はこの手の失策が本当に多い。多すぎる。とにかく書類を正確に書くのが苦手中の苦手で、だからこそ早め早めに書いてしまうのだけれど、早く書き終えたいの一心だから、字を間違ったり書く欄を間違ったりする。夫の名前は少し難しい漢字なのだが、過去何度書き間違えたことか。毎回同じ個所で書き間違う。書き間違ってから、ああ、またやった、と思う。なんでこの人はこんな面倒くさい名前なんだろう、と、自分の粗忽さを棚に上げて夫を呪う。あっちもこっちも、二本線を引いて訂正印の嵐だ。提出場所や提出期限もしょっちゅう間違う。指示書を嫌々読んでいるからだ。早く読み終えたい一心で読んでいるから、はしょって読んで分かった気になり、勘違いする。一度で済む用事が、二度手間三度手間になる。

 先日は、子供の学校関係で、私が激しくポカしていた事実に気が付いてしまい、あまりの自分への不甲斐なさに、苦しくて眠れない日々を過ごしている。

 説明すると長くなるのだけれど、要は子供の受験時の希望コースの選択を、間違ったのだ。子供の高校には、沢山のコースがある。受験説明会で貰った資料を見ると、理路整然とコースの説明がされていたので、私はまんまとその説明を鵜呑みにして、子供のコースを選んで受験させてしまった。子供は頑張って合格してくれて、機嫌よくそのコースで学んでいるので大きな問題は無いのだけれど、「あれ?」と思う事が何度かあった。それで色々内情を調べてみたら、学校側が受験生に渡している資料に書いてある事は、嘘ではないけれど誤解を招く表現を使っていて(というか、誤解して欲しくてそういう曖昧な表現を使っているのだろうと思う)、私はまんまと誤解して受け取って、子供に損させていた事が分かってしまったのだ。

 私の子供の成績なら、別のコースを選択すべきだった事が分かったのだ。そのコースを仮にAコースと呼ぶが、Aコースは通常クラスの半分の少人数クラスなのだ。私の子供は発達障害なので、少人数クラスで学べるにこした事はない。クラスの人数は一人でも少ないほうが良い。その分クラスは静かで、問題が起こる率が下がり、教師の目は行き届きやすくなり、様々な行動の際の待ち時間が減る。

 息子は、私のミスで、本来は少人数のAコースで学べた筈なのに、通常の大人数クラスに入ってしまったのだ。何故私はそんなミスを犯したのか。

 学校側が作った資料には、理路整然としたコースの説明はあったが、「コースごとのクラスの人数」は記載されていなかった。私は、一クラスの人数は、当然、どのコースを選んでも同じだと、思い込んでしまっていたのだ。でも実際は、倍ほどの違いがあった。その事実はでも、どの資料にもホームページにも一切記載されていない。

 それでも、入学時点で、「Aコースだけ、1クラスの人数が半分だな」という事には気づいていた。でも、「Aコースは国公立大を受験する人向けのコースだから、息子は入れなかったから仕方ない」と思っていた。

 でも最近、恐ろしい事に気づいてしまったのだ。Aコースは、別に「有名国公立大を受ける生徒さんだけのコースではない。資料では便宜上そう謳っているだけで、実際は、志望大学別にコースが別れているわけではない」という事実だ。よくよく調べてみたら、Aコースでも、私大しか受けない生徒さんもいるのだ。私大しか受けなくてもAコースに行ってもよかったのだ。実際のコース分けは純粋に成績順だったのだ。

 息子は私立大を目指していたので、「Aコースは国公立大を目指す人のコースだから、私大希望の息子は行けない」と思いこんでいた。息子の成績なら、Aコースは合格圏だった。しかもその高校は回し合格が可能だったから、Aコース希望と書いておいて、損は何もなかったのだ。Aコースに万一落ちても、今のコースには受かっていたのだから。

 なぜ私がこんなミスを犯したかというと、思い起こすに子供の受験準備の時期、私はとてもストレスを感じていた。誰しもそうだから、私だけが苦しかったわけではないので、何の言い訳にもならないし、言い訳のつもりで書いているわけでもないのだが、とにかく、子供を受験させ、それを成功させねばならない事に、私は強くストレスを感じていた。

 でも、逃げ出すわけにもいかないし、子供に任せて親が知らん顔するのも違う、ましてや発達障害の子供を抱えていれば、親が率先して動き回らないとどうしようもない。更にストレスだったのは、私の住む地域の受験事情として、1校しか受けられない、という事情があった。全ての高校の受験日が、なんと同じなのだ。だから、本命はここ、滑り止めはここ、と何校も受ける事ができない。1校しか受けられず、そこに落ちたらアウトなのだ。しかも高校受験は、浪人ができない。一発勝負で、失敗は絶対に許されない、という状況で、かつ、発達障害児の息子だったわけで、私は息をするのもしんどいくらい、受験を「嫌だ」と思っていた。

 嫌だけれど、やらねばならない。中二の春ぐらいから、色んな高校の資料を集め、実際に見学に行き、志望校は二転三転し、秋ごろ「ここにしよう」と決めた高校の説明会で、「やっぱりだめだ」と気が付き、またそこから一から高校見学を始め、「今度こそ、ここにしよう」と決めた別の高校がまた、「ここも駄目だ」と気づき、三度めの高校見学を経た後、やっと見つかった高校が、今の高校で、その受験説明会に出席したり、受験生用の資料に目を通す段階で、私はもう、徹底的に疲れ切っていた。夫はもう、文句しか言わないから頼れないし、息子は天真爛漫だがやはり頼りにはならない。全て私が調べ、私が足を運び、私が一人で責任を負って決めていくしかなかった。それを1年半続けてきて、私は疲れ切ってしまっていたのだ。だから、高校側が用意した資料や説明会の、裏の真意を深く読み取る事を、怠ったのだ。高校に言われるがままを、そのまま疑わずに受け取る事がとてもラクだったので、そうしたのだ。

「Aコースは国公立大志望者用と書いてあるから、私立大志望の息子は行ってはいけない」と、勝手に杓子定規に決めつけてしまった。でも、実際は、私立大志望でもそのコースには行っても良かったのだ。また、資料には記載されていないが、実際はコースごとにクラス人数は大きく異なるのだ。

もし私が高校側に個別に質問していれば、真実を答えてもらえていた筈だ。なのに質問するという行為を、私はしなかった。質問するのがしんどかったのだ。面倒くさかったのだ。受験に関して、私は、嫌々取り組んでいたから。物事が複雑であればある程、それを整理して自分の頭に取り込む際に、ある程度割り切って整理していくほうがラクだから、「はい、このコースは国公立大、はい、このコースは私立大」「どのコースを選んでも、1クラスの人数は同じだよね」と私は勝手に決めつけて、理解してしまったのだ。いちいち高校側に質問するなどという手間な事をすれば、それだけ時間が余計にかかってしまう。私は、志望校決めを、手早く終わらせたかった。一刻も早く終わらせたかった。だから深くも考えず、質問もせず、勝手に決めつけたのだ。嫌々やっていたから、そうなったのだ。

 嫌々やるから、丁寧さに欠ける。深く考える事を避ける。うわっ滑りの思い込みや勘違いをしてしまう。相手の思惑に簡単に流される。よって、失敗する。

 嫌な事ほど、嫌々やらない。嫌な事ほど、丁寧に、深く考える。素早く終えようとしない。粘りに粘って熟慮する。思い込みや勘違いはにしない。少しでも「?」と頭に浮かんだ事は全部メモして、一つひとつ確実に事実を確認する。お手軽に見られる資料やホームページは鵜呑みにしない(資料は小さい字こそしっかり読み、大きな字は無視するぐらいで調度いい)。モノゴトの上っ面をお手軽に仕分けて理解した気にならず、多くの人に本当のところを聞いてまわる手間を惜しまない。大事なことには時間がかかって当たり前と覚悟を決める。

 この太文字を、自分に徹底的に言い聞かせる春です。辛すぎて苦しい。この事を友人に話したら、「誰しも完璧には出来ないのだから、8割うまくいったらそれで大成功だと思わないと」と言われた。私は完璧を望み過ぎているのだろう。