書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

つじつまの合わなさに疲れた件。

 近畿地方は大雨が続いています。被害が大きくならない事を願います。

 それにしても、最近、こういう「変な」気象異常が多いですね。テレビの気象予報士さんも、「30年気象予報士をやっているが、近畿でこんな大雨があった記憶はない」と仰っていました。

 息子の学校も、本日休校。気象問題で休校になる事が、今年は本当に多いです。まだ一年の半分しか過ぎていないのに、、。

 別に休校になるなら、なるで、別にいいのですが、何にイライラしているかというと、当の息子に対して、なのです。

 昨晩の時点で、私は息子に「学校のホームページで明日は休校になるかどうか、チェックしておきなさいよ」と言いました。

 息子は素直にネットを開き、「暴風警報の時だけ休校にする」って書いてあるよ、と私に言いました。まあこれは、いつも学校から言われている事なので、あ、そう、という感じ。

 で。朝の時点で、暴風警報は出ていなかったので、いろいろ交通機関が止まっている中、無理やり学校に行った息子が、午前中のうちに戻って来たのです。息子いわく「学校、今日、休校だった」と。

 そこまでは、いい。そこまでは、あ、そう。と答えた私です。イラッとしたのは、息子のその次の台詞を聞いた時です。

 「確かに、昨日の夜、学校のホームページに、『明日の朝に、休校にするかどうかをホームページに記載します』って書いてあったわ。駅でも、同じ高校の子が、携帯見て帰って行ってたし、学校までの電車にも、同じ高校の子、誰も乗ってなかったし、今日は休校かも、って嬉しくなった。学校着いたら、守衛さんが『今日は休校だよ』って言ってたから帰って来た」と。

 「え。昨晩の時点で、今朝、休校かどうかホームページに載るって、分かってたの?だったら、朝、ホームページ見れば良かったじゃない、そしたら学校行く必要なかったじゃない。どうして見なかったの?」と息子に詰問したら、

 「忘れてた」と息子。ケロッとしてます。まったく悪びれていないし、悔いてもいない。学校休みで嬉しい!と、いたって無邪気に喜んでいる。

 ああああ!イライラする!

 朝にホームページに載せる、と書いてあったら、朝にホームページをチェックする、という、この当たり前の事を、「忘れる」なんて、どういう事? 朝から、というより昨晩から、ずっと「学校休校になるかな、どうかな。雨の様子、どうかな。どうかな。電車、運休するかな、どうかな、どうかな」と、5分置きにずーっと言ってた息子です。「そんなの、明日になってみないと分からないでしょ!!!」とぴしゃっと遮りたいのをこらえ、「そうやね、どうかな」と、私は穏やかに息子の不安感につきあってやっていたのです。

 朝にホームページを見れば全てが明らかになる、という事が分かっていたのに、それをする事を忘れた、という、その「いい加減さ、意識の低さ」と、昨晩からずっと「休校になるかな、どうかな」と心配し続けていた「気にする度合いの強さ」との間の、つじつまの合わなさが、甚だしい。

 それに私は、イライラしたのです。疲れたのです。おかしいやん、と。で、こうやってブログに書いてみたのですが、書いているうちに、私は、この事について、息子と話し合わねばならない、と思い始めました。それで、息子と話してみました。

 そうしたら、意外な事が分かりました。

 息子は、昨晩の時点では、学校のホームページに書いてある「休校にするかどうかは、明日朝に発表します」という記載文は、見ていなかったそうです。その文は、本文から少し離れた最下部に書いてあり、スクロールを中途半端に終わってしまった息子は、その最下部の文だけは見なかったのです。その文を見たのは、今朝、学校からの帰り道だったそうです。休校についてどう書いてあるかなーっとチェックして初めて、「あ、昨日の段階でこんな事が書いてあったんだ!」と気づいたらしい。

 息子の「忘れた」という言葉は、「そういう事が書いてあった事を忘れた」という意味ではなく、「その文を見るのを忘れた→その文だけ見なかった」という意味だったのです。

 なんだ。そうか。だったら分かる。だったらそれは、よくある事。私も、スクロールを最後までしっかりやらないせいで、最後の文章を見損なう事がよくあります。

 それにしても、駅で同じ学校の子が帰っていくのを見たり、電車に誰も乗っていない段階で、ケータイをチェックするという事を考えなかったのは、やはり判断力に欠けているわけです。なので、そこは厳しく言っておきましたが、ぼんやりしている息子に、そこまで気を配れ、というのは、無理かもしれません。それはまあ、できたら、というレベルで良いかなと思います。

 友達がいれば、こういう情報は放っておいても回ってくるのですが、息子には友達がいないので。友達がいない事については、今はもう私は、全く気にしていないし、仕方ないと達観しています。

 私が今回、とても気になったのは、息子の行動のあまりのつじつまの合わなさに対してだったのですが、それが私の誤解だという事が分かり、ほっとしました。ただ誤解が生じたのは、息子の言葉の不備(忘れた、という言い方はあの場合適切ではなかった)からなので、言葉は端折らず、丁寧に言うこと、を息子にしっかり言い聞かせました。

 息子は、話す時、主語と目的語を抜かす癖があるのです。大抵、述語だけポンと言って終わる。私もそれに慣れてしまっていて、欠けている主語や目的語は、私の想像力で補って理解していましたが、それでは駄目だと、今回強く思いました。将来、言葉でトラブルを招く恐れが多々あります。これからは、息子の言葉も、きちんと言うように、つどつど、直していこうと思いました。

 また、私自身も、学校のホームページチェックを息子に任せっぱなしにしていた事を反省しました。息子にさせるのは当然ですが、私も、ダブルチェックで見ておくべきでした。怠慢だったツケが、すぐにこうやって目の前にあらわれます。横着や怠慢は、すぐに自分の首を絞めるな、と、思いました。精進します(^_^.)

 それと。ことの経緯をブログに書かなかったら、息子とこの事を話すこともなく、私が誤解したままで「あー疲れるイライラする」という思いを抱いたままで、終わっていたと思います。ブログに書けて良かったなあと、改めて思いました。