書くしかできない

発達障害の息子、夫、私。過ぎていく日々を書き留めています

子供が産まれた時に思ったこと

 息子が生まれた時の日記をちょっと読んで、自分にイラっとしたので書いておく。

 出産後、初めて息子に対面した時、産まれたての赤ん坊を見て私が思った事を、私は日記に書いていた。「こんなに小さいのに目も鼻も口も手の指も全部完全に揃っている。凄いなと思った。こんなに小さい赤ん坊なのに、なんかどっしりしてる。私はすでにこの子に、心のどこかで頼っている。頼りにしようと思わせてくれる」と。

 うわー、っと悲鳴をあげそうになった。自分自身の幼さというか、「非力でかわいい私」ぶっている気色悪さというか、そういうものが行間から読み取れて、よくもまあここまで未熟で生きていられたわ、私、と思う。イヤ別に、今が完成しているとか、老成しているとかそういうわけではないが、あの頃の自分は本当に考えが甘過ぎる。油断しすぎている。人として、幼すぎる。自分が一番かわいく、産まれたての赤ん坊でさえ、自分を守ってくれる存在だと決めつけている。自分が赤ん坊を守るのではなく、赤ん坊が自分を守ってくれるのだと決めつけている。

 いや、そんな風には読み取れないんじゃないですか、と仰る方もおられるかもしれないが、この日記を書いたのは私自身なので、どういう気持ちで書いたのか、私自身が一番よく分かっている。私は紛れもなく、この、産まれたての赤ん坊にさえ、守ってもらおうとしていたのだ。自分は、周囲の全ての人から、守られ優遇されて当たり前だと思っていたのだ。書いていて痛い。

 この時の私は、息子が発達障害児だなどとは思いもしなくて、こういうお気楽なお花畑な事を書いているわけで。

 この直後から、私の地獄の子育てが始まる。文字通り、この直後から。

 例えば、息子は障害からくる体の筋肉の弱さ(未発達さ)故に、体がぐにゃぐにゃに柔らかくて、抱っこする事がとても難しかった。どんなに工夫してしっかり抱いても、端からぐずぐずにずれていくのだ。普通の子供なら、産まれたてだって抱かれたら体を固くして手も何かを掴もうとして、とにかく抱きやすいのだが、息子の場合は、常に全身脱力しているから、中途半端に水の入った細長いビニール袋を抱いているような感じなのだ。体を支えたら頭と足がダランとなるし、頭と足を支えたら、腰がぐにゃんと沈んで落ちそうになるし。ただ抱く事、それだけでも困難で、新米母の私を苦しめた。更に言えば、口の筋肉も未発達だったから、お乳がうまく吸えない。乳首をくわえさせても、吸い付く事が下手で、ほとんどのお乳がぼたぼたと左右から漏れてしまい、口の中に入らない。お乳の出る勢いのほうが強くて、子供の顏にシャワーのようにぶち当たってしまう事も多かった。とにかく全然飲めないのだ。お乳が出にくいとかなら諦めもつくが、たっぷり出ているのに飲ませる事ができないのだ。

 でもまだまだこの段階では、息子が発達障害だなどということは、私も勿論周囲の誰も思いもしないから、私は「子供も抱けない、お乳も飲ませられない、不器用な母親」と叱られた。産婦人科に入院中の時は、看護婦さんから直に何度も叱られた。退院後はしばらく実家で過ごしたのだが、母にもずっと叱られ続けた。そして、この後、全ての発達の遅さ、沢山の「変な行動」、激しいこだわりと癇癪と「泣き」、いつまでも終わらない夜泣き、いくつになっても言葉でコミュニケーションが取れない事、等々に私は苦しめられていく。何故ここまで子育てが苦しいのか、何故この子はうまく育ってくれないのか、その理由が分からないから私はどんどん追い詰められていく。それでも子育ては一瞬でも途切れる事なく、続けなくてはならない。休む、という事ができない。実母にさえ「こんな難しい子供は預かれない」と拒否され、義母には生まれている事さえ周囲には隠された。そもそも私以外の人間が抱くと、ひきつけを起こしたように泣きわめくので、誰にも預けられなかった。

 「赤ちゃんが私を守ってくれる♡」などとお花畑な事を考えていた私が、その直後からこんな子育て地獄に落ちるのだ。人生はうまくできているとつくづく思う。

 一応念の為に書いておくが、今、この息子は高校生で、将来の夢を考えながら地道に勉強している。性格も穏やかで前向きで、一緒にいて楽しい気持ちになる。月並みだが、苦労して育てて本当に良かったと、今は思う。人生はうまくできている。諦めたらそこで終わりだし、諦めなかったらそれなりに続いて行くのだと思う。