書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

いちからの子育て記録1・誕生

 私の息子は発達障害児です。産まれた時から、「あれ?」「あれ?」と、とまどう事ばかりでした。まだ産後、産婦人科に入院している時からすでに、それは始まりました。

 まず、抱けない。体が柔らかくてぐにゃぐにゃしていて、抱けないのです。赤ちゃんというのは柔らかいものですが、あの柔らかさとは違う、ビーズクッションのような芯の無さ、と言えばいいでしょうか。

  抱けないと、授乳ができないので、本当に困り果てました。最初の頃は、胸の下に何段も枕を重ねて、息子をその上に乗せるようにして、授乳した記憶があります。

 結局、バスタオルを使ってがっちりした鎧のようなおくるみを作り、それで息子を包む事にしたら、うまく抱ける事が分かりました。試行錯誤の末です。息子は、バスタオルの鎧にガチガチにしめつけられているのに嫌がるどころか、体が安定するのか、機嫌が良くなりました。とにかく、ミイラを作るみたいにガチギチっときつく包むのです。そうする事により、体が崩れてしまう事なく、抱けるようになりました。

 ただ、授乳のたびに、バスタオルを広げて、息子を置き、端からのり巻きのようにギッチチギチに巻きつけていく作業をせねばなりません。産後の入院中の授乳は、新生児室で他のお母さん方と一緒に行うので、バスタオルを広げる場所がありません。私の為に場所を開けてもらって、毎回バスタオルと格闘しました。他のお母さん方は、ひょいっと赤ちゃんを抱き上げて、すぐに授乳を始められていて、この違いは何なんだろう?と思ったりしました。

 次に困ったのが、息子が乳首を咥える事ができなかったことです。バスタオルのミイラ状態でやっとこさ、なんとか乳首にまで、息子の口を近づける事に成功しても、息子は、うまくお乳を吸う事ができなかったんです。本人は、お腹がすいていて、お乳が飲みたい、飲みたいという状態なのに、吸えない。吸えない、というか、吸いつけない。すぐに乳首が口から離れてしまいます。私はお乳の出は良かったので、お乳は周囲にぴゅーぴゅー無駄に飛び散って、周囲はべとべとになります。

 何故、うまくお乳を飲ませられないのか、新米母である私には、全く分かりませんでした。産後の疲れ切った体で、私は途方にくれていました。看護婦さんに聞いてみても、困った顔をされて、根気よくやってみて下さい、と言われるばかり。お腹がすいているのにお乳が飲めない息子は、怒り狂って泣き喚いていますし。泣きたいのはこっちだよ、、、という感じでした。たまたま病院の売店で、ニップシールド、というものを見つけました。乳頭保護の目的でつけるゴム製の乳首です。試しに装着してみたら、これがうまくいきました。ニップレスのように、自分の乳首の上につけるのです。多分、人間の乳首より、ゴム製の乳首のほうが、大きいししっかりしているので、息子には吸い付きやすかったのだと思います。

 ただこれも、一回一回使用するたびに洗って消毒せねばならず、面倒でした。他のお母さんでこんなのつけて授乳している人は、いませんでした。また、このニップシールドに慣れてしまった息子は、哺乳瓶では飲みません。乳首部分の形状の違いが嫌なようでした。私は基本、母乳で育てていましたが、哺乳瓶の出番も結構あるのです。お風呂上りの水分補給にお白湯を飲ませたり。でも息子は、頑として哺乳瓶を拒否。ニップシールド以外の乳首を認めませんでした。これにも本当に困って、ありとあらゆる哺乳瓶を取り寄せてみた結果、乳首の部分がニップシールドに似ている(大きくて固め)の哺乳瓶なら大丈夫だ、という事が分かり、以後はそれ一辺倒。

 まあ、こんな感じで、入院中から前途多難な私の子育てが始まりました。

 息子が発達障害だと分かったのは、2歳半でしたので、産後当時は全く何がなにやら分からず、毎回途方に暮れていました。当時、発達障害は今ほど一般に知られてはいませんでしたので、私は、息子が特別なのだ、という事には思いが至らず、ただただ私自身に問題があるのだと思っていました。赤ちゃんの抱き方すら分からない落第母なのだ、と。

 今でも発達障害について知らない人は多いと思いますが、当時、産婦人科のドクターも看護婦さんも、発達障害について何も知らなかったようです。子供の体がぐにゃぐにゃな事も、お乳がうまく飲めない事も、彼らに相談したのですが、「発達障害かも」ということが一切浮かばなかったようです。彼らに少しでも発達障害の新生児についての知識があれば、それなりの対処を教えてもらえたと思うのですが、そういったアドバイスは何ももらえませんでした。

 2歳半で発達障害だと分かって、それから私自身がいろいろ勉強して、謎が解けるように、育てにくさの原因が一つひとつ分かっていったのですが。

 たとえば、体がぐにゃぐにゃなのも、発達障害児の赤ちゃんにはよくある事だそうで、筋肉の未発達からくるのだそうです。生まれた時すでに未発達で、それからも発達が遅れていくので、座るのも立つのも歩くのも平均よりはるかに遅かったです。また、一応できるようになっても、バランスが悪く危なっかしい。例えば、一応座れるようにはなっても、ベビーカーに座らせると、体を支えられないので、ずるずると前にずれていきます。股の所で止めると、今度は体が横に倒れていきます。だからB型ベビーカーはあまり使えませんでした。あと、おんぶもできませんでした。抱っこは全面的に私が支えるのでできますが、おんぶの場合は、息子が私の首にしがみつかないといけません。この、「しがみつく」という事が、息子にはどうしてもできませんでした。だから私は、一度も息子はおんぶした事はありません。

 また、お乳をうまく吸えないのも、口元の発達が遅れていたせいでした。発達障害児は、体の「先端」の部分の発達が、特に遅いそうで、手先、足先、口先、が、通常の発達よりずっと遅いのだそうです。息子は、手先の発達も遅かったので、とてつもなく不器用でした。たとえば、3歳になっても4歳になっても靴下がはけませんでした。服も自分で脱げないし、着れない。まともに物が持てない、スプーンも持てない、ジャングルジムも掴めない、なんだか本当に、何にもできるようにならない子でした

 靴下なんか、履き方を教えてあげればいいのに、と思われた方もおられると思います。教えました。教えましたとも。何百回も、丁寧に手取り足取り。でも、どうしても履けないんです。つま先を靴下に入れる事ができるようになったのが、4歳の頃でしょうか。そこからがまた長かった。靴下を持ち上げるのですが、どうしても踵のところでひっかかって上に上げる事が出来ないんです。踵のところでちょっと後ろに引っ張る、というひと手間が、どうしてもできないというか分からない。靴下が履けるようになったのは、小学校に入る直前だったと思います。

 とにかく、何をどれだけ根気よく丁寧に繰り返し繰り返し教えても、一向にできるようにならない、それが息子でした。ザルで水をくむように、教えた事は全て無駄に流れていきました。何も、本当に、何もできるようにならない。ひとつも発達してくれない。それでも諦める事はできなかったです。

 そうそう。ニップシールド以外を受け付けなかった理由も、発達障害児独特の「こだわり」故だと分かりました。「何かをきっかけに、ある一つの事に対しての執着が発生すると、それ以外を受け付けなくなる。そこには全く合理的理由は存在しない」というもの。これは、「物」だけでなく「状況」にも広がり、日々の子育ての難しさを加速させました。例えば、お散歩の道はいつもと同じコースでないと、気が済まない、とか。その時も道のどちら側を歩くとか、どこの信号を渡るとか、どこで立ち止まるとか、そういう細かいところまで、「いつもと同じ」でないと気が済まない。うっかりいつもと違う事をしてしまうと、気が狂ったように泣き叫び、泣き止まない。大惨事です。だから、毎日、一分一秒、気が抜けないわけです。常に、「いつもと同じ」状況にしてやらないと、泣き叫ばれてしまうから。

 泣かしておけばいい、そのうち泣きやむだろうから、と思う方もおられるでしょうが、、。発達障害児が一旦泣き出すと、泣き止まないんです。気分を変える、という事ができないので、泣き始めると、疲れ果てるまで何時間でも泣き続けます。本人もしんどいでしょうが、見ている親もしんどいです。しかも恐ろしい事に、泣き叫ぶ事が多くなると、今度は、泣き叫ぶ事に執着が発生し、本当に些細なことが泣くきっかけになってしまう。最後は、きっかけがなくとも、泣きわめくようになってしまう(そういうお子さんも療育の場で時々見ました)。だから、細心の注意を払って、泣かせないように状況を整えるしかなく、神経を使いました。

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