書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

年末年始は家で過ごしている

 最近の年末年始は、家で過ごしている。

 以前は旅行に行く事が多かった。大掃除やお正月の準備から逃げる為と、家族がずっと家にいる期間なので、家族に対して何らかのアクティビティを与える為だ。旅行に出てしまえば、アクティビティを私が考える必要はなくなるので。

 でも最近は、息子が一人で余暇を楽しむようになり(この表現おかしいかもしれないが)、夫もさほど手間がかからなくなった。私自身が、大掃除やお正月の準備といった家事を、さほど負担に思わなくなった。

 またコロナ以降、人混みを出歩く事が嫌になったのもある。年末年始の交通機関や旅先のホテル、観光地は、私の選び方が悪いのかもしれないが、とにかく混んでいて疲れてしまう。待ち時間がやたら長い。また咳込む人がいる空間に閉じ込められる事を、怖いと思うようにもなった。

 年末年始は病院をはじめとして、普段は普通に利用出来ているサービスが利用できなくなる。ある意味、社会活動が一時的にストップする「不便な期間」でもある。出来るだけ「不測の事態」は避けたい。病気なども出来るなら罹りたくない。

 となると、家で大人しくしているのが一番、という考えに至るのだ。

 更に最近は年のせいで、「出歩きたい欲」がない。以前は家にいると、「外に出かけなきゃ。色んなものを見なきゃ。楽しまなきゃ。経験を増やさなきゃ。人生を充実させなきゃ」と焦るような気持ちになった。でも今は、家にいても何とも思わない。不思議なものだ。家にいる事が一番安全で確かなように感じる。

 今日は、混雑を避ける為、朝いちで開けたばかりのスーパーに行き買い物を済ませた。例年ぐずぐずしていて9時頃出かけてしまい、レジの長蛇の列に泣いていたので。今年は秒でレジが終わった。午後はゆっくりして、夕方からお煮しめを作る。毎年お煮しめだけは作る。夜はこれと、天婦羅をのせた年越しそばを食べる予定。

 おせちはお店に頼んでいたお重が既に届いた。義実家からも毎年何かと送って頂くので、冷蔵庫はパンパンだ。結婚もせず子供もいない1人暮らしだと、こういうのもないんだろうな、もっとシンプルに暮らせるんだろうなと思うと少しだけ溜息が出るが。

 パンパンになった冷蔵庫と、掃除が終わった家と、出たり入ったりする家族の様子を把握しながら、ブログを書いている。書いた後は本を読む。そんな年末。

 とにもかくにも今年も一年、なんとか生き延びた事を有難く思う。もう駄目だ、と追い詰められた事は何度もあった年だった。原因は息子である。今までで一番厳しかったんじゃないだろうか。今ここでブログを書けていることが不思議な気がする。当の息子は、「良い年だった」と言っている。息子における「発達障害故の苦しさ」を全て私が身代わりに背負っているのだからそうなる。

 来年のことは分からない。どうなろうと、最期は死ぬだけだと腹をくくっている。私が死んだ後は、息子は自分の苦しさを自分で背負う事になる。それはもう諦めてもらうしかない。出来るだけ長生きして身代わりになり続けてやりたいが、私も生身の人間なので、どうなるかは分からない。

 世の中には、金銭だったり、健康だったり、人間関係だったり、沢山の苦しみがある。子供の事で苦しんでいる人は、どのくらいおられるのだろう。と書いてはみたが、それがそんなに気になっているわけでもない。他人様のことはもうほとんど気にならない。自分の事も正直どうでもよくなっている。来年も、息子が無事に生きていられたらそれで良い。私の願いはそれだけだ。

 

 皆様におかれましては、今年もお付き合い下さり有難うございました。どうぞ良い年をお迎えください。